2014/05/05
世相に流れゆく演歌師 演歌四十年の“小松ッちゃん”(新宿)
東京は日本ではないと外人にいわれるたびに私は、いや東京こそはまぎれもなく日本なのであると答えることにしている。都には国のすべての要素が集結しているのだ。ものの考えかた、感じかた、職種、料理、下劣、気品、名声ある変化の達人の知的俗物、無名の忍耐強い聖者たち、個人的清潔と集団的汚濁、繁栄と貧困、ナポレオン・コニャックとラーメン、絶望と活力、ありとあらゆるものがここに渦巻いている。ここで思いつかれ、編みだされた知恵と工夫と狡猾が地方を支配する。
「ずばり東京」文春文庫) 開高健
「ずばり東京」は、1963年10月から翌年11月まで、『週刊朝日』に写真とともに掲載され、当時の東京の姿を鋭く切り取って描いた。
「ずばり東京」 第39回
世相に流れゆく演歌師
自由民権の壮士だったのは昔の話、いまは流行歌からCMソングまで
「オレは河原の枯ススキ……」 演歌四十年の“小松ッちゃん”(新宿で)
“演歌師”という言葉は演説を歌でやるところからでてきた言葉のようである。…だから、夜ふけにギターをかついで酒場から酒場へ歩きまわる人たちはエンカシというよりは、やっぱり、リュウと呼び、流シと呼ぶほうが正しいのだ。
東京都内だけでざっと千人ぐらいは流しがいるのじゃないかという噂がある。盛り場では新宿がいちばん盛んで、三味線の門付なんかもいれると、だいたい二百人から三百人ぐらいいるのじゃないかという。
(昭和39年7月3日号掲載) 1964年
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