演歌師「神長瞭月(1888~1976)」






神長瞭月(1888~1976)はバイオリンを独学で学んで演歌の伴奏楽器として初めて使用したバイオリン演歌の先駆者(パイオニア)である。

上京して縁日に読売(当時の演歌師は唄いながら歌詞を刷り込んだパンフを客に売った)を聞きに行き、刺激されて処女作「松の声」を作詞作曲した。

「松の声」は女学生堕落の唄として知られ当時大ヒットした。勉学のために上京した女学生が親や教師の注意にもかかわらず学業をおろそかにして男と恋愛、親からの仕送りを断たれ、子をはらんだ後に男にも捨てられて自殺するまでの経過を叙事的に唄ったもので誰もが興味を持つ三流週刊誌記事の弾き語りであった。

”三年(みとせ)の後に汝か顔見るが我等の楽しみぞ 
錦を飾りて帰る日を指折り数へて待つべしと
情も深き言の葉に行くも止るも涙川 
小袖の露も未だ乾(ひ)ぬに許し給はぬ不義の道
故郷の空を後にして上り来しより早や三年ーーーーー
嘸や涙にむせぶらん免し給へや父母の君ーーー”

1888(明治21)年6月:栃木県塩谷郡塩谷 生まれ。
1904(明治37)年:苦学しようと上京し神田に下宿。
1907(明治40)年:浅草電気館の活動写真の幕間にヴァイオリンの基本演奏を習い、「残月一声」を作曲しヴァイオリンに載せて観衆の前ではじめて披露した。人気を得て演歌師を生業となす。
1907(明治40)年「松の声」、「残月一声」を作詞・作曲
1908(明治41)年 ハイカラソングを作詞・作曲する。

1913(大正2)年:「松の声」「残月一声」などの演歌を日本ではじめてレコードに吹き込み市販した。録音は川崎にあった日本蓄音器商会、現在の日本コロムビアで行われた。
1918(大正7)年:神田で独立音楽会を開設しマンドリンとヴァイオリンの教習をする。
1924(大正13)年頃:演歌の作詞作曲をする傍ら、発明の道にも手を染めた。
1939(昭和14年)戦時歌謡「戦場の幼な子/田端義夫(ポリドール)」発売
      作詞作曲:神長瞭月   https://www.youtube.com/watch?v=cKDLtLS5Dz8
1939(昭和14年)戦時歌謡 「白衣の尺八 塩まさる テイチク」
       神長瞭月作詩 田村しげる作曲(『九段の母』の片面)
       https://www.youtube.com/watch?v=PjHreqOLM1I
1941(昭和16年)戦時歌謡「別れの尺八」発売 坂口 淳作詞、神長瞭月作曲
        https://www.youtube.com/watch?v=aTIusVr8oBY  
1957(昭和32)年暮れ:早稲田大学図書館から瞭月は「街からいなくなってしまった演歌師の記録を残すために演歌を歌ったほしい」という依頼を受けた。初めて演歌にバイオリンを使った「残月一声」を含め、演歌53曲を35分間で一気に歌いきった。瞭月69歳のときであった。

70歳を過ぎても自分の作った楽曲をレコード会社へ売り込みに行き続けた。

1968(昭和43)年5月:東芝レコードから「演歌集 これが演歌だ」を発売した。瞭月79歳。
1973(昭和48)年3月:キングレコードから踊りに使う舞踊歌謡シリーズが発売され、その中に瞭月の未発表楽曲が使われた。
1976(昭和51)年2月:「元祖・神長瞭月」-これが基本演歌だ-のLP2枚組(45曲)をビクターよりリリースした。このレコードには添田さつきが作詞した「東京節」は入っていない。瞭月87歳。
1976(昭和51)年12月:永眠。88年の生涯であった。

神長瞭月発行のバイオリン楽譜(大正12年):http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/1719803.html
これは大正12年(1923)に神長が発行した”流行名曲集”である。この年に関東大震災が起きた。発行者 神長源ニ郎、定価金五十銭と書かれている。当時としては高価な立派な楽譜集である。いわゆる演歌師が街頭で売る歌本ではない。

国立国会図書館検索:
神長//瞭月が著作者として関わる書誌は3冊ある。(神長//源二郎)
全国書誌番号 タイトル 役割  出版地 出版者 出版年 ページ数 大きさ
41003264   華巌の嵐   著 東京 華巌の嵐社 1906 47p 15cm
41003268   血涙集    著 東京 日清堂   1907 104p  16cm
40075063   不如帰    著 東京 讃美界雑誌社 1909 8p 24cm

不如帰 : 新作琵琶歌   神長瞭月 (源二郎) 著
タイトル不如帰 : 新作琵琶歌
著者神長瞭月 (源二郎) 著
著者標目神長, 瞭月, 1888-1976
出版地(国名コード)JP
出版地東京
出版社讃美界雑誌社
出版年1909
大きさ、容量等8p ; 24cm
JP番号40075063
出版年月日等明42.11

栃木県立図書館 (2110002)
栃木県塩谷町(当時の船生村)出身である、演歌師「神長瞭月(かみながりょうげつ)」に関する資料
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000141645

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神長 瞭月(カミナガ リョウゲツ)
職業:演歌師 作詞・作曲家
本名:神長 源二郎
生年月日:明治21年 6月10日
出生地:栃木県県 塩谷
経歴:明治40年「松の声(女学生堕落の歌)」を根気強く歌い続けヒットさせる。演歌に初めてバイオリンを使い、41年「残月一声」42年「ハイカラソング」など自ら作詞・作曲した歌で人気を博す。朗々とした歌声で、大正2年には当時書生節といわれた演歌を初めてレコードに吹き込んだ。
没年月日:昭和51年 12月3日 (1976年)
https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%95%B7+%E7%9E%AD%E6%9C%88-1670778

出典|日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について

「新撰 芸能人物事典 明治~平成」
明治から平成までに活躍した芸能人のうち、物故者5400人を収録した人名事典です。舞台・映画・ラジオ・テレビで活躍した往年の歌手・役者・芸人・タレントの生没年、経歴、受賞歴などの詳細なプロフィール、伝記図書がわかります。
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演歌師「神長瞭月」に関する資料
https://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/62229804.html

「演歌を育てた男 神長瞭月」 栃木放送 特別番組 その1
https://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/62244715.html

戦時歌謡でも活躍した神長瞭月:
https://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/62653286.html


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コメント

No title

神長さんは、当然鈴木政吉を使っていたのでしょうか?小生の祖父より10歳年上の方だったんですね。

No title

当然、国産品を使っていたと思いますよ。バイオリンは演奏者がいなくなっても次の時代の方が大切に使っていますね。政吉を再生して演奏しているとは大変だけれですばらしいですね。

No title

もちろんバイオリン伴奏で歌っています。
でもお年ですから、バイオリン伴奏をさせて本人が歌っているのだと思います。
大物演歌師になると弟子が伴奏をしていました。
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