1933(昭和8)年公開の松竹映画「非常線の女」より、
赤坂のダンスホール「フロリダ」でのダンサーのテスト風景
<昭和4年8月にフロリダ開場>
警視庁 は,1928年(昭和3)11月 に急 きょ「舞踏場取締規則」を発布 し,1929年末 までの猶余期 間をも うけた上で ダンスホールに一定の規則遵守 を義務づ けた。規則 の内容は,周 囲か らの遮敝,3階 以上の高層建築化 などであった。
その結果,従 来 どお りでほぼその まま営業 を継続で きたの は,ユ ニオンダンスホール と日米ダンスホールの2館のみだった。 また,規 則に合 った建物に移転 して営業を継続 したのが,京 橋に移 った国華,新宿日活館 階上に帝都舞踏場と改名 して移ったパルナスである。 また,クラブ形式の舞踏場 としては芝園倶楽部と耕 ちゃん倶楽部(ジャパ ンと改名)が 残 った。
取締規則発布時に33あ ったダンスホールは,猶 余期間の切れた1930年には6館に しぼ られた。 しか しまた,取締規則発 布以後 に,九 段 ダンスホール,飯 田橋舞踏場,溜池 ダンスホール(のちのフロリダ)が 新たに開館 した。
菊池寛は東京朝日新聞掲載の小説「勝 敗 」 の な か で フロ リダ を 登 場 さ せ て い る。 す な わ ち 「そ こ か ら フ ロ リ ダま で は,い く ら も な か っ た 。 狭 い 階 段 を上 っ て,二 階 のホ ー ル へ 上 っ た 。 ジ ャ ズ,バ ン ドは,作 り物 の シ ャ コ 貝を 背 景 に 一 段 高 い と こ ろ に い た 。… … 」(1931年10月9日)
フ ロ リ ダ に 限 ら ず,こ の 年 代 の ダ ン ス ホ ー ル の よ うす は,久米正雄,大 仏次郎 などの作家の作 品や 日活や大船の映画に しば しば登場す る。
フロリダ(赤 坂溜 池)
夜 は淋 しいあの溜池 に思 わぬジャズの音がひびく。このホールは何 といっても津田又太郎氏のスマー トな経営で八大 ホールを代表 していた。
ホールの設備 も,バ ン ドも,客種 も他 のホールで味わ えぬ雰囲気だった。外人のバ ンドをアチラか ら直接招聘 した りして,諸 外国の外交官 ぞも多 く来ていたようだった。このホールの ダンサ ーは他のホールよ り,背 の高 い外人向のスマー トなのが揃 っていた。ホール全体 が上品な点 も客種 が良 い証拠だった。