船橋ミルクホール(なつかしい昭和の建物)


1984年(昭和59年)頃の船橋ミルクホール

<船橋ミルクホール (なつかしい昭和の建物)>
新入社員のころまでは駅にコーヒーを飲んだりする場所はなく、また自動販売機もあまりなかった。そこでサラリーマンたちは駅の売店、ミルクスタンドに群がって牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳などを一気飲みして満員電車に飛び込んでいったものだ。当たり前のように従業員のおばちゃんがふたを開けてびんを手渡してくれた。紙の容器などほとんどなかった。

昭和50年代頃まであり、私もよく利用した船橋市のミルクホールの写真がまいぷれ(船橋)に記載されていて懐かしかったので紹介する。

まだ京成船橋駅が地上にあったころ、近くの細い商店街を行くと緑青になった銅ぶきの壁・屋根、営業開始当時はハイカラであったであろう建物があった。

店内で座ってパンや牛乳を飲食もできたと思うが私はいつも店頭で立ち飲みであった。店員さんが牛乳瓶の紙ぶたをアイスピックのようなもので突き刺して空けてくれてそのまま牛乳びんを手渡しされて飲んでいた。

牛乳は千葉県民なら誰でも知っている、八千代市にある興真牛乳(コーシン牛乳)であった。当時は八千代市に広い牧場がありその中に工場もあった。まだ乳牛が放牧されていた気がした。社史を見ると昭和初期には乳牛600頭を飼育していたとあった。

現在、船橋ミルクホール跡はビルになってしまって面影もないがすぐ近くの畳屋さんは畳の見本を店頭に並べてまだ営業をしていた。その見本があまりにも年月がたって古くて見本にならないような代物であった。


昔、ガラス瓶に入った牛乳を配達する姿が日常だった頃、船橋にもいくつか牛乳加工・販売所があったそうです。そして、その店内で牛乳を飲みながら、交流を楽しむことができた「ミルクホール」と呼ばれる場がありました。

船橋仲通商店街にあったミルクホールは、今はもうビルになってしまいその姿を見ることは出来ませんが、当時の様子を写した写真をご紹介します。

1982年(昭和57年)頃の船橋ミルクホール(カラー写真) 

赤と白の縞模様が入った扇形の窓は、栃木県磯田乳業のアサヒ牛乳のマークのなごり。その後は、千葉県民にはおなじみの興真牛乳(コーシン牛乳)の加工・販売を行っていたそうです。


緑青の色が鮮やかな銅の屋根をはじめ、当時はいわゆる“ハイカラ”な建物。
店内には丸いテーブルがあり、それを囲みながら牛乳瓶を片手に会話を弾ませ、商店街の中の社交場として地元の方々に愛されていました。

明治39年(1906年) 東京市小石川區氷川下町(現在の東京都文京区大塚3丁目付近)において興真舎牛乳店として創業
昭和3年(1928年) 千葉縣大和田町新木戸(現在の千葉県八千代市)に66万m2の牧場を新設。乳牛600頭を飼育し、千葉から東京へ市乳供給の先鞭をつけ、生産-処理-販売の一環経営体制を確立


習志野興真牧場
(昭和初期)


昭和 ミルクホール 興真牛乳(コーシン牛乳) ミルクスタンド なつかしい建物
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書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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