花と緑の音楽会」で昭和歌謡 バイオリン演歌  2016 春


花と緑の音楽会」で昭和歌謡 バイオリン演歌  2016 春

2016年5月22日(日)、江戸川区フラワーガーデンスプリングフェア2016「花と緑の音楽会」に「昭和ロマンを楽しむ会」が書生&女学生の編成で参加し昭和歌謡・唱歌を演奏した。


当日は夏のように暑く、子供たちはいつものように大きな噴水で水遊びしてはしゃいでいた。やはり春のバラは鮮やかできれいだった。バラはやはり真紅が一番好きだ。黄色もすばらしい色だと感じた。

われわれの前は19名編成のビックバンドでなつかしいスタンダードの曲を演奏していた。ブラスバンドにエレキベース、ドラムですごく懐かしく感じたのでなぜかと思ったらダンス音楽であった。

ダンスパーディなどでよく聴いて踊った曲であった。歌謡曲や唱歌を聴いたり歌ったりするようになりビッグバンドやタンゴバンドの演奏をすっかり忘れていた。今ではタンゴは「上海帰りのリル」、ルンバは「ラブユー東京」ぐらいしか演奏して歌えないのが現実である。

今回、戦前の曲は東京節、東京ラプソディすみれの花咲く頃ああ玉杯に花受けて誰か故郷を想わざる等を歌った。終戦直後の歌としては東京ブギウギ、昭和30年代の歌は「この世の花」と「見上げてごらん夜の星を」を歌い、最後の曲は東京のご当地音頭「東京音頭」にした。
その他の歌った歌:高原列車は行く北国の春

演奏終了後はいつもの「なか卯」で昼食。この時期はいつも暑くてみんなでうどんを食べるのが楽しみである。私は「ごまだれ冷やしうどん大盛り」を注文、「5種野菜の冷やし担々うどん」を食べた方が2名もいた。横で食べているのを見ると次回は「冷やし担々うどん」を食べようと強く思った。

その後、公園の隅で秋の練習曲「別れても好きな人」(昭和55年)を数回練習して確認した。男女のデュエット曲なのでいろいろ面白そうである。予備として美空ひばりの「真っ赤な太陽」も練習してみた。

花と緑の音楽会 2016年5月22日  
11:20~11:45   ヴァイオリン演歌師 楽四季一生  
11:50~12:20   ブルーバック オーケストラ              
12:25~12:50   昭和ロマンを楽しむ会
12:50~13:15   かうは 
13:20~13:45   オカリナサークルtutti
13:45~14:10   砂町バンビ(くちぶえ) 
14:10~14:35   一五一会  
14:40~15:05   Y’s  
15:05~15:30   のこぎり のんのん 

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クラブ「桃山」 ダンスホール  福岡・博多 

クラブ「桃山」 福岡、博多 ダンスホール 昭和時代


Night in MOMOYAMA  「桃山のよるだから」

バンド演奏とクラブ専属歌手がいて楽しく踊った思い出
タンゴ、ワルツ、ジルバ、チャールストン

博多には「美松」や「Benice」もあった、懐かしい。

2020年東京オリンピック エンブレム使用中止 ロゴ 酷似 盗用 パクリ疑惑 佐野研二郎 

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佐野研二郎によって作られたデザインに関して他の作品との酷似 盗用 パクリ疑惑が出ている。単なるリスペクト、オマージュなのか。裁判で決着をつけない限り盗用ではないとしても素人が見て似ているものは似ている。 

ロゴやエンブレムのデザインは見て判断するものであり、コンセプトやデザイナーの考え方を理解してから判断するものではない。どんなに優れていても他のデザインと似ていれば採用しない。

商標登録も設計思想を記載する必要はない。同じ文字の略号であれば発想や意味が違っていても同じ商標登録や似たものがあると当然拒絶される。コンセプトが違うから「似ていない」とはいえない。

技術系ではライセンス、提携、ノックダウン生産(現地組立て、販売)、部品の共通化などは当たり前で契約によって他の技術やデザインを当然使用するのでちょっと違うが似ている製品はたくさんある。しかし、そのことを明記しているので消費者はだまされることはない。

<佐野研二郎のデザインと他者デザインとの比較>

2020年東京五輪のエンブレム(ロゴ)について、ベルギー東部・リエージュにある劇場のロゴをデザインしたオリビエ・ドゥビさんが「自分の作品に似ている」と主張。自身のツイッターなどで2つのデザインを並べた画像を載せ、「びっくりした」とコメントしている。




ベルギーの劇場ロゴデザイン












震災復興デザイン
スペインのデザイン事務所


東日本大震災の際にスペインのデザイン事務所が手がけたロゴとも、色が似ている。





両方合わせると2020年東京オリンピック エンブレム?

公募104点の中から選ばれたアートディレクターの佐野 研二郎氏の作品

佐野 研二郎氏は「劇場のロゴは知らなかった。参考にしたこともない」と盗用を否定した。






デザイン界は今回の騒動をどう見るか。国際的にも活動する関係者は、日刊スポーツの取材に、「変えられないと突っ走ったとしても、わだかまりを持つ人が1人でもいるデザインが、平和の祭典と呼ばれる五輪のエンブレムにふさわしいのだろうか」と指摘した。

 「ベルギーは、芸術へのモラルを重んじる国。デザイナーや劇場には、一線を越えているという意識があるのだろう」と話す。五輪の公式エンブレムであり、裁判になっても「佐野氏が負けることはないだろう」と述べる一方、「ごり押しすれば、ダーティーなイメージが残る。デザインを選んだ審査員も含め、日本全体の責任といわれる可能性もある」と懸念を示した。
佐野 研二郎:http://www.mr-design.jp/



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<佐野研二郎氏のデザイン盗用疑惑> 
 
ドラゴンボールのレッドリボン軍(鳥山 明)(上)とトヨタのリボーン(下)
 海外デザイナーのマグカップ(上)と佐野研二郎氏のマグカップ(下)

http://1.bp.blogspot.com/-_axLYJKXW9Y/VcW7pbPZtDI/AAAAAAAAB_E/W9fPFzUgq34/s320/suika_sano.jpg

佐野研二郎のスイカ
(2015年 サントリー夏トートバッグ プレゼント)


能登健一のスイカ (2013年以前)

佐野研二郎(2015年 サントリー夏トートバッグ プレゼント) 


セカンドライフ



ネット上から消えない「パクリ常習」という不名誉な称号 (日刊ゲンダイ)


佐野研二郎 疑惑のデザイン一覧表 アウト?セーフ?ヨヨイノヨイ!


<佐野氏のバッグ、一部取り下げ=五輪エンブレム制作者―サントリービール>
(時事通信 2015年8月13日(木)21時0分配信)

 サントリービールは13日、商品購入のキャンペーン賞品として、2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムを制作した佐野研二郎氏がデザインしたトートバッグ30種類のうち、8種類を取り下げ、発送を中止すると発表した。佐野氏から取り下げの申し出があったため。

 この賞品のデザインをめぐってはインターネット上で「他の作品と似ている」などとの指摘が出ていた。キャンペーンは、残り22種類を対象に期限である8月末まで続ける。

 佐野氏側は13日、ホームページに「サントリーオールフリー トートバッグの件について」という文書を掲載した。その中で、サントリー側にも問い合わせが寄せられている状況などを踏まえ「いくつかのデザインについての取り下げをお願いした」と説明。デザインについては「身近にあるアイデアや素材をモチーフにしたものだが、現在専門家を交えて、事実関係等の調査・検討を開始している」としている。

<デザイナーが「第三者のデザインをトレース」 佐野氏事務所が盗用認めて謝罪>
(J-CASTニュース 2015年8月15日(土)6時31分配信)

 佐野研二郎氏(43)が、デザインしたトートバックの一部について配布を取り下げた問題で、佐野氏は2015年8月14日深夜、発注先のデザイナーによる盗用を認めた。事務所のウェブサイトで発表し、自らの管理責任について陳謝した。過去の他の作品や東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムについては、引き続き盗用を否定している。

佐野研二郎氏がつくった空港でのイメージ図 これもパクリ 写真盗用






町中の画像のほうはネット上にある2枚の画像を合成したもの これも盗用





佐野研二郎が横手市のイベント『団扇展』のポスターを佐野る

佐野氏デザインまた「酷似」 京都の老舗、ブログから削除
京都新聞 2015年9月2日(水)

佐野氏が2012年に雑誌に発表したデザイン(京扇堂)と、秋田県横手市で2012年に行われた団扇展のチラシ        


 (佐野研二郎パクリ)                  (元ネタ)
2020年東京五輪・パラリンピック公式エンブレムの撤回を受け、扇子製造販売老舗の京扇堂(京都市下京区)は2日、エンブレムを制作したデザイナーの佐野研二郎氏が2012年5月に雑誌で発表した社名入りのデザインに転用の疑いがあるとして、ホームページのブログから削除することを決めた。

 このデザインに似ているのが秋田県横手市で12年6月にあった団扇(うちわ)展の宣伝チラシ。主催した横手駅前商店街振興組合によると、チラシは雑誌発売前の5月から公開していたといい、「似ていて驚いた」という。

多摩美術大学広告ポスター「MADE BY HANDS.」のパクリ疑惑

人間の手をモチーフにさまざまなデザインと組み合わせてシリーズ化されている。佐野研二郎が代表を務めるデザイン会社「ミスターデザイン」に所属し、大学の後輩でもあるデザイナーとともに制作したもので、ニューヨークADC金賞、ロンドンD&AD金賞など、さまざまな広告賞を受賞しているという。

 HPでは100種類近いデザインが紹介されている中、盗用疑惑が上がっているのは犬の影絵のポスター。影絵の部分が、約5年前に書かれた個人ブログに掲載されている犬を作った両手の写真をシルエットにしたものと酷似していると指摘されている。

 また、右手でメガネをつまむようにしているポスターのメガネが、メガネ量販店「Zoff」の商品を紹介する2012年2月のネット記事の写真を盗用したもので、フレームに書かれた文字を消して使用しているとの指摘も。ユーザーから「写真が使われているのではないか」との問い合わせがあったというサイト運営者は「現在までに多摩美術大学および佐野研二郎氏からの連絡は来ておりません」としている。

エンブレム使用中止を決定!
佐野氏、資料写真の流用認める=東京五輪エンブレム
<時事通信 2015年9月1日(火)>

 東京五輪組織委の武藤事務総長は1日の記者会見で、佐野研二郎氏が提出したエンブレムの活用例の写真について、個人サイトから無断で流用していたことを佐野氏本人が認めたと説明した。

武藤敏郎事務総長はエンブレム使用中止決定について「国民の理解を得られなくなった」と説明。

佐野 研二郎(さの けんじろう、1972年7月29日生まれ ):
東京都出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、クリエイティブディレクター(多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業)。多摩美術大学統合デザイン学科教授。

2015年7月、佐野の応募作が2020年夏季オリンピック東京大会・パラリンピック東京大会の公式エンブレムに選出された。その選出過程や応募作のオリジナリティの有無が物議を醸し、9月1日に組織委員会はエンブレム使用の中止を決めた。


五輪エンブレム担当局長・槙英俊氏、事実上の更迭 組織委の幹部初
スポーツ報知 2015年10月3日(土)7時3分配信

 2020年東京五輪・パラリンピックのシンボルマークとなる公式エンブレムが白紙撤回された問題で、大会組織委員会は2日、作成を担当した槙英俊マーケティング局長(52)と、選考で審査委員を務めた企画財務局クリエイティブディレクターの高崎卓馬氏(46)が退任すると発表した。エンブレム問題で組織委の幹部が退任するのは初めてで事実上の更迭と見られる。

 槙、高崎両氏はマーケティング活動やスポンサー管理などを行う専任広告会社「電通」出身で、組織委は同社からの出向を解除した。エンブレム白紙撤回問題で担当者が役職から退任したのは初めて。組織委は「槙、高崎両氏は第三者による検証委の調査対象者となるため、現職にとどまることは適切ではないと判断した」と説明した。

 組織委によると、公式エンブレムの公募を開始した昨年9月12日の3日前に、佐野研二郎氏(43)ら国内8人のデザイナーに文書で応募を要請した。槙氏は参加要請が必要と最終判断していた。

 組織委が一連の経緯をまとめた報告書によると、エンブレムの審査の過程で招待状を送付した8人のうち佐野氏ら3人が上位3人に選ばれた。事前の参加要請が審査結果に影響を及ぼしたかについては、近く発足する第三者による検証委の調査が必要としている。

 槙氏は佐野氏のデザインがベルギーの劇場のロゴと類似していると指摘された約1週間後の8月5日に記者会見を開き、審査委員会の正当性などを主張。佐野氏も同席して模倣を否定した。

 その後、佐野氏の作品の類似性がインターネットなどで指摘されると、8月28日に再度会見して模倣を否定した。だが、その際使用した資料でも第三者のブログから無断で画像を使用していたことが判明。槙氏は無断使用の問題で9月28日に戒告処分を受けていたが、一連の問題を受け、退任が決まった。

 高崎氏は組織委のクリエイティブディレクターとして旧案の審査委員の人選を行い、自ら審査委員にも就任。エンブレムを修正する際は主導的な役割を担っていたとされる。

自らをデザイン変更した佐野研二郎(多摩美術大学教授)の現在の風貌(2016年)

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佐野る(さの-る):2015年にインターネット上で誕生した造語(インターネットミーム)の動詞である。
意味は「盗作する」「その場しのぎの言い訳をする」といったところ。類義語に「アサヒる」があるが、こちらは専ら捏造について使われる。

佐野る(さの•る)【動】
他人の発表したデザイン、意匠の全部若しくは一部を、自らのオリジナル作品と称して発表すること。
類義語に「小保方る」、「佐村河内る」

「アサヒる」:嘘をつくこと、ありもしない事実無根なことを実在するかのようにもっともらしく捏造して伝えること、デッチ上げ、あるいは曲解で無から何かを作り出し事実だと主張すること。 「アサヒった」「アサヒるな」 などのようにして使用。
2007年9月末から急激に流行し、2007年12月14日の 「ネット流行語大賞」 では 「アサヒる」 が流行語大賞金賞を受賞、「現代用語の基礎知識 2008」 にも 「アサヒる」 は収録。

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のぞきからくりが出てくる小説 江戸川乱歩「押絵と旅する男」

のぞきからくりが出てくる小説 江戸川乱歩「押絵と旅する男」


「新青年」昭和4年(1929)6月号初出、探偵物でも推理作でもない文学作品として、乱歩の一名作たるに恥じない代表作である。

江戸川乱歩全集 第5巻 
押絵と旅する男」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年1月20日初版1刷発行

1994年に映画化された。

浅草観音堂の裏手でのぞきからくり「八百屋お七」を語っている場面が小説に出てくる。  「膝でつっつらついて、眼で知らせ」
また、十二階「凌雲閣」内部や展望台の描写がある。


<あらすじ>
魚津へ蜃気楼を観に行った帰りの汽車の中、二等車内には「私」ともう一人の同乗者しかいなかった。「私」は同乗者の男の持つ風呂敷に興味を持ち、観察する。
男は「私」に近付き、風呂敷の中身を見せる。それは洋装の老人と振袖を着た美少女の押絵細工だった。男は、押絵細工である彼らの「身の上話」を語り始める。



<小説の抜粋>
「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは、一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ。表面はイタリーの技師のバルトンと申すものが設計したことになっていましたがね。まあ考えてごらんなさい。その頃の浅草公園といえば、名物がまず蜘蛛男の見世物、娘剣舞に、玉乗り、源水のコマ廻しに、のぞきからくりなどで、せいぜい変ったところが、お富士さまの作りものに、メーズといって、八陣隠れ杉の見世物ぐらいでございましたからね。そこへあなた、ニョキニョキと、まあとんでもない高い煉瓦造りの塔ができちまったんですから、驚くじゃござんせんか。高さが四十六間と申しますから、一丁に少し足りないぐらいの、べらぼうな高さで、八角型の頂上が唐人の帽子みたいにとんがっていて、ちょっと高台へ登りさえすれば、東京中どこからでも、その赤いお化けが見られたものです。

(中略)
兄が馬車鉄道を降りると、私も人力車を降りて、又テクテクと跡をつける。そうして、行きついた所が、なんと浅草の観音様じゃございませんか。兄は仲店から、お堂の前を素通りして、お堂裏の見世物小屋の間を、人波をかき分ける様にしてさっき申上げた十二階の前まで来ますと、石の門をはいって、お金を払って「凌雲閣」という額の上った入口から、塔の中へ姿を消したじゃあございませんか。まさか兄がこんな所へ、毎日毎日通かよっていようとは、夢にも存じませんので、私はあきれてしまいましたよ。子供心にね、私はその時まだ二十はたちにもなってませんでしたので、兄はこの十二階の化物に魅入みいられたんじゃないかなんて、変なことを考えたものですよ。

 私は十二階へは、父親につれられて、一度昇った切りで、その後行ったことがありませんので、何だか気味が悪い様に思いましたが、兄が昇って行くものですから、仕方がないので、私も、一階位おくれて、あの薄暗い石の段々を昇って行きました。窓も大きくございませんし、煉瓦の壁が厚うござんすので、穴蔵の様に冷々と致しましてね。それに日清戦争の当時ですから、その頃は珍らしかった、戦争の油絵が、一方の壁にずっと懸け並べてあります。まるで狼みたいな、おっそろしい顔をして、吠えながら、突貫している日本兵や、剣つき鉄砲に脇腹をえぐられ、ふき出す血のりを両手で押さえて、顔や唇を紫色にしてもがいている支那兵や、ちょんぎられた辮髪べんぱつの頭が、風船玉の様に空高く飛上っている所や、何とも云えない毒々しい、血みどろの油絵が、窓からの薄暗い光線で、テラテラと光っているのでございますよ。その間を、陰気な石の段々が、蝸牛(かたつむり)の殻からみたいに、上へ上へと際限もなく続いて居ります。本当に変てこれんな気持ちでしたよ。

 頂上は八角形の欄干(らんかん)丈けで、壁のない、見晴らしの廊下になっていましてね、そこへたどりつくと、俄(にわか)にパッと明るくなって、今までの薄暗い道中が長うござんしただけに、びっくりしてしまいます。雲が手の届きそうな低い所にあって、見渡すと、東京中の屋根がごみみたいに、ゴチャゴチャしていて、品川しながわの御台場(おだいば)が、盆石(ぼんせき)の様に見えて居ります。目まいがしそうなのを我慢して、下を覗きますと、観音様(かんのんさま)の御堂だってずっと低い所にありますし、小屋掛けの見世物が、おもちゃの様で、歩いている人間が、頭と足ばかりに見えるのです。

 頂上には、十人余りの見物が一かたまりになっておっかな相な顔をして、ボソボソ小声で囁きながら、品川の海の方を眺めて居りましたが、兄はと見ると、それとは離れた場所に、一人ぼっちで、遠眼鏡を目に当てて、しきりと浅草の境内けいだいを眺め廻して居りました。
(中略)

兄が見当をつけた場所というのは、観音堂の裏手の、大きな松の木が目印で、そこに広い座敷があったと申すのですが、さて、二人でそこへ行って、探してみましても、松の木はちゃんとありますけれど、その近所には、家らしい家もなく、まるで狐につままれたあんばいなのですよ。兄の気の迷いだと思いましたが、しおれ返っている様子が、あんまり気の毒なものですから、気休めに、その辺の掛茶屋などを尋ね廻ってみましたけれども、そんな娘さんの影も形もありません。

 探しているあいだに、兄と別かれ別かれになってしまいましたが、掛茶屋を一巡して、しばらくたって元の松の木の下へ戻って参りますとね、そこにはいろいろな露店が並んで、一軒の覗きからくり屋が、ピシャンピシャンと鞭の音を立てて、商売をしておりましたが、見ますと、その覗きの目がねを、兄が中腰になって、一所懸命のぞいていたじゃございませんか。兄さん何をしていらっしゃる、といって肩をたたきますと、ビックリして振り向きましたが、その時の兄の顔を、私はいまだに忘れることができませんよ。なんと申せばよろしいか、夢を見ているようなとでも申しますか、顔の筋がたるんでしまって、遠いところを見ている眼つきになって、私に話す声さえも、変にうつろに聞こえたのでございます。そして、『お前、私たちが探していた娘さんはこの中にいるよ』と申すのです。

 そういわれたものですから、私も急いでおあしを払って、覗きの目がねをのぞいてみますと、それは八百屋お七の覗きからくりでした。ちょうど吉祥寺の書院で、お七が吉三にしなだれかかっている絵が出ておりました。忘れもしません、からくり屋の夫婦者はしわがれ声を合わせて、鞭で拍子を取りながら『膝でつっつらついて、眼で知らせ』と申す文句を歌っているところでした。ああ、あの『膝でつっつらついて、眼で知らせ』という変な節廻しが、耳についているようでございます。

 のぞき絵の人物は押絵になっておりましたが、その道の名人の作であったのでしょうね。お七の顔の生き生きとしてきれいであったこと。私の眼にさえほんとうに生きているように見えたのですから、兄があんなことを申したのもまったく無理はありません。

兄が申しますには『たとえこの娘さんがこしらえものの押絵だとわかっていても、私はどうもあきらめられない。悲しいことだがあきらめられない。たった一度でいい、私もあの吉三のように、押絵の中の男になって、この娘さんと話がしてみたい』と、ぼんやりとそこに突っ立ったまま、動こうともしないのでございます。

考えて見ますとその覗きからくりの絵が、光線を取る為に上の方が開あけてあるので、それが斜めに十二階の頂上からも見えたものに違いありません。

 その時分には、もう日が暮くれかけて、人足もまばらになり、覗きの前にも、二三人のおかっぱの子供が、未練らしく立去り兼ねて、うろうろしているばかりでした。昼間からどんよりと曇っていたのが、日暮には、今にも一雨来そうに、雲が下って来て、一層圧おさえつけられる様な、気でも狂うのじゃないかと思う様な、いやな天候になって居りました。そして、耳の底にドロドロと太鼓たいこの鳴っている様な音が聞えているのですよ。その中で、兄は、じっと遠くの方を見据えて、いつまでもいつまでも、立ちつくして居りました。その間が、たっぷり一時間はあった様に思われます。

 もうすっかり暮切って、遠くの玉乗りの花瓦斯が、チロチロと美しく輝き出した時分に、兄はハッと目が醒めた様に、突然私の腕を掴つかんで『アア、いいことを思いついた。お前、お頼みだから、この遠眼鏡をさかさにして、大きなガラス玉の方を目に当てて、そこから私を見ておくれでないか』と、変なことを云い出しました。『何故です』って尋ねても、『まあいいから、そうしてお呉くれな』と申して聞かないのでございます。

(中略)

ところが、長い間探し疲れて、元の覗き屋の前へ戻って参った時でした。私はハタとある事に気がついたのです。と申すのは、兄は押絵の娘に恋こがれた余り、魔性の遠眼鏡の力を借りて、自分の身体を押絵の娘と同じ位の大きさに縮めて、ソッと押絵の世界へ忍び込んだのではあるまいかということでした。

そこで、私はまだ店をかたづけないでいた覗き屋に頼みまして、吉祥寺の場を見せて貰いましたが、なんとあなた、案の定、兄は押絵になって、カンテラの光りの中で、吉三の代りに、嬉し相な顔をして、お七を抱きしめていたではありませんか。

 でもね、私は悲しいとは思いませんで、そうして本望ほんもうを達した、兄の仕合せが、涙の出る程嬉しかったものですよ。

のぞきからくり 「操の鏡 今紫(いまむらさき)」 あらすじ



のぞきからくり 
「操の鏡 今紫」 
あらすじ

「金瓶楼」という遊郭の内部だと言われている写真、「金瓶楼」は格式も高い大型店舗だった)



のぞきからくり の外題は今でいえばお昼のワイドショーか三流週刊誌のネタが多い。 鉄板ネタは今も昔もやはり不義・密通、不倫ものであろう。

のぞきからくり「不貞の末路」というのは有名で動画も存在する。
しかし、そのまったく逆の物語も作られて実演されていたようだ。

「ないない尽くし」という歌で「芸者の誠と四角い卵は見たことない」というのがある。芸者や女郎との約束は当てにならない、「必ず破られる」と世間では思われていた。

この「操の鏡 今紫」は吉原の女郎と二等卒の兵隊、中田との愛の物語である。最後は夫婦になるというこういういい話ものぞきからくりになっていたようである。

花の東京にほど近い 武蔵国は葛飾郡
XXXXXという人が 米相場を致される

財産売り払い 我家までも明け渡す
それでも足らぬ借金に とりわけ美人の姉娘
東京吉原金瓶楼へ  今紫と名を変える

美人で人柄もいいのでお客は多く。お金持ちのだんなが持っていた金時計を今紫にやり、大切に所持していた。ある日、軍隊仲間が中田をだまして吉原へやってきた。

男がよくてやさしくて 正直者の中田に 
さすがの紫ほれこんで 互いに心を打ちあけて 
この世はおろか二世までも 夫婦約束いたされて

今紫は金時計 中田は自分の着る白のシャツ
互いにかたみと取りかわす

面白くないのが隊長の五十嵐であった。実は五十嵐隊長は今紫にかねてより思いこがれていたのであった。五十嵐は中田に金時計を盗んだという無実の罪をきせ憲兵隊へ連れて行った。軍法会議で中田は窃盗罪として裁かれた。

たいこ持からことの次第 聞きし紫おどろきて
時計は私があげたのに にくいは五十嵐隊長と
五十嵐悪事のかずかずを 願書にしたため願い出る

二度の調べに中田さん うれしや無実の言い渡し
陸軍現役満期にて今紫が出向かいに
日頃信ずる神様は 東京名代の神田区の
明神様へ礼参り 今紫も年があき

めでたく夫婦になりました

 「操の鏡 今紫」 一巻の終わりでございます

吉原「金瓶楼」は実在していた遊郭であり、「今紫」も有名な遊女であったのでその名前を借用したものと思われる。今も吉原に「金瓶楼」というソープランドがある。


今紫( いまむらさき):1853-1913 明治時代の遊女、舞台女優。
嘉永(かえい)6年生まれ。16歳で江戸吉原の大黒楼にはいる。気っぷのよさで知られる。明治5年の芸娼妓(げいしょうぎ)解放令で吉原をでて,芝居茶屋や待合をひらく。25年役者となり三崎座に出演。画家の高橋広湖を養子とした。大正2年9月29日死去。61歳。本名は高橋幸。芸名は高橋屋今紫。

もちろん、人気のあった「不義密通、不倫」事件も外題としてあった。
  のぞきからくり 外題「不貞の末路」

のぞきからくり ノゾキカラクリ 覗き絡繰 覗き機関 からくり節

昭和ロマンを楽しむ <昭和歌謡コンサート>



昭和ロマンを楽しむ  昭和歌謡コンサート

2016年3月末に介護付有料老人ホームを訪問してバイオリン演歌で昭和歌謡を演奏した。その演芸が「昭和歌謡コンサート」として施設のブログに掲載されていた。

<昭和ロマンを楽しむ>  (施設ブログより)

本日は帝大生ゆめじさんと青空ぴーまんさんを招いての昭和歌謡コンサートです♪ギターとヴァイオリンの演奏に合わせ心地よい歌声が響きます。

馴染みのある曲ばかりで、皆さまもご一緒に歌われていました。
演奏の合間には昭和の大道芸を色々とはさんでくださいました。

紙芝居など昭和の風景写真が沢山!皆さま懐かしみながらお話に耳を傾けていらっしゃいました。

その他にもつくばエクスプレスにちなんで、筑波山のガマの油売りの文句の披露などもございました。

最後は皆さまのリクエスト曲で合唱し、そのままティータイムへ。

本日は厨房スタッフ特製のバナナチョコクレープ!フルーツとチョコレートもついています。「おしゃれで美味しいわ♪」と皆さま大変満足されていました。

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プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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