大道芸でおめでとう 2014 バイオリン演歌 大田文化の森


2014年 文化の森でお正月を楽しもう!
平成26年の幕開けを、お正月にちなんだお餅つき、大道芸、昔遊びや書初めでご一緒に楽しみましょう!

開催日時:2014年1月5日(日)10:00~16:00 
会 場:大田文化の森 広場等(大田区中央二丁目10番1号)
対 象:どなたでも

<ホールでの大道芸公演 大道芸でおめでとう> 
10:00-11:30

南京玉すだれ、バイオリン演歌(昭和歌謡)、ガマの油、六魔、独楽、石立ての術、バナナの叩き売り等  午後も広場でも大道芸多数 (大田区中央二丁目10番1号) なつかしい日本の大道芸

昭和ロマンを楽しむ会は太田文化の森ホールにおいてバイオリン演歌で昭和歌謡を演奏した。
  
また午後は広場で昭和の童謡、アニメを演奏して豪華賞品(チョコ)が当たるクイズを実施した。寒かったが子供たちは元気でいすに座って最後までクイズに挑戦してくれて盛り上がった。賞品が出るとなると子供たちが集まり親たちも集まってくる。
 
童謡でメロディを演奏して動物の名前を当てるクイズだが去年は正解者がいなかった「黄金虫」(こがねむしは金持ちだ)は昭和生まれの子連れのお母さんが当てた。賞品を差し上げると「え!もらっていいんですか!」と子供たちよりも喜んでいた。

となりのトトロを一緒に歌っても1番と2番で全部で5匹の動物が出てくるのをまた歌わないとなかなか思い出せないのはかわいい。

お昼は地元のダイシン百貨店のおにぎり弁当と作りたての豚汁、デザートにおしるこまでご馳走になった。満足!
 

JR大森駅西口より東急バス上池上循環(外回り)・池上駅行き・蒲田駅行き・洗足池駅行き・荏原町駅行きに乗車、「大田文化の森」下車徒歩1分 
 
大道芸研究会
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新春浅草六区大道芸で昭和歌謡 バイオリン演歌


新春浅草六区大道芸が元旦から5日まで浅草で開催されている。「昭和ロマンを楽しむ会」の書生と女学生4名は2014年1月3日(金)に参加して西参道商店街で昭和歌謡を演奏した。

この大道芸は浅草六区誕生130周年記念事業と記載してあったが六区ができて130年も経つとは驚きである。5日間に約20組ものパフォーマーが出演する予定であるが音楽系は昭和ロマンを楽しむ会だけのようであった。

場外馬券売り場はお休みだがさすがお正月でたくさんのお客さんである。ほろ酔いの方もいらっしゃるが皆さん朗らかで競馬に負けて絡んでくる酔っ払いはいないので安心であった。


準備をしているときから曲名を書いたビラに人が集まり何時から始めるのか聞く方もいらっしゃった。お正月なので明治時代の小学校唱歌の「一月一日」と「ふじの山」を何度か演奏したが皆さん一緒に歌ってくれてまだまだ人気があることを実感した。でも若者はもう知らないと思う。

長時間活動なので書生と女学生が交互に歌っていき、リクエストがあれば受ける方法で演奏した。

昭和ではない古い歌、カチューシャの唄やゴンドラの唄が何回もリクエストされた。年配の方にはまだ人気かあるようである。あと、日活映画主題歌「若いおまわりさん」(1956)も数回リクエストされた。ナンパするおまわりさんが出てくる歌。その他、北海道出身の方からは知床旅情が要望された。

やはり一般的に明るい歌が望まれるようである。お座敷小唄やまつの木小唄などの芸者ソングも歌詞が面白いので受けるようである。

箱入りの高級わらび餅を差し入れしてくださったお姉さんがいて、初めて食べたが長期保存できる容器に入っておりすごくおいしかった。

外国の方もたくさん写真を撮っていた。バイオリン演奏と歌が珍しいのであろうか。投げ銭の中にも日本円以外によく分からない国のコインが入っていた。

お昼は商店街の中のラーメン屋さんでみんなで熱い味噌ラーメンをたべて体を温めた。

書生と女学生が明治・大正を含め、昭和を中心とした演歌・唱歌・昭和歌謡をバイオリンととウクレレ伴奏で歌います。


新春浅草六区大道芸 2014年1月1日ー1月5日 11:00~17:00
浅草六区誕生130周年記念事業 浅草六区再生プロジェクト
場所、浅草六区ブロードウェイ・花やしき通り・西参道通り

2014年1月3日
◆Performer SYO!(アクロバットジャグリング) ◆Witty Look(ユニサイクルアクロバット) ◆もんたくん(ジャグリング)
◆スーパーパントマイムシアターSOUKI(パントマイム) ◆同級生(パントマイム) ◆☆ファイター☆(ライブペイント)
◆おろしぽんづ(カラーコーン) ◆山本プロデュースJAPAN(演劇コメディ) ◆白鳥兄弟(パントマイム)
◆メランコリー鈴木(ストリートシネマパントマイム)
◆ぴのこ(ピエロ、バルーン) ◆昭和ロマンを楽しむ会(昭和歌謡) ◆マリー(人形振り) ◆九郎丸(スティルト)

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「演歌を育てた男 神長瞭月」 栃木放送 特別番組 その3

「演歌を育てた男 神長瞭月」 栃木放送 特別番組 その3

昭和ロマンを楽しむ会の帝大生ゆめじ&青空ぴーまんも現役演歌師として出演して東京節(パイノパイノパイ)を歌い、またインタビューも受けている。

「演歌を育てた男、神長瞭月」 栃木放送 開局50周年 特別番組
歌を紡いで  ~演歌を育てた男、神長瞭月~

東京節演奏とインタビュー:昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

明治21年大宮村(現 塩谷町)に生まれた神長瞭月。上京して独学でバイオリンを学び、作詞作曲した演歌を歌いながらバイオリンを演奏する「バイオリン演歌」の先駆者です。

昭和51年に2枚組のLPレコードを発売し、88歳の生涯を終えますが、その生涯は謎に包まれ、活動の詳細もほとんど知られていません。

番組では羽黒村(現 宇都宮市上河内)で作った「羽黒音頭」のエピソードなどを交えながら、その謎に包まれた生涯に迫ります。
CRT栃木放送(ラジオ)
2013年3月31日(日)10:00 - 11:00 1時間特別番組
1530kHz(県央)1062kHz(両毛)864kHz(県北)

<放送内容 その3>
街から演歌師たちの歌声は聞こえなくなったが在りし日の演歌師の姿を今に伝える人たちがいます。昭和ロマンを楽しむ会の青空ぴーまんさんと帝大生ゆめじさんはイベントや介護福祉施設などでバイオリンを弾きながら歌っています。

演歌師が歌った歌は今でも人々が口ずさみやすいメロディーだと青空ぴーまんさんは話します。

演歌師たちが人々の心に残していた演歌を、瞭月は私たちの歌として口ずさみやすいように工夫をした人でした。

瞭月と同じ塩谷郡塩谷町の出身で晩年の瞭月と親交のあった作曲家の船村徹さんは「明治期の演歌を盛り上げた添田唖蝉坊によってまかれた人々に愛される歌の種が瞭月によってはぐくまれ、そして今日の演歌、歌謡曲へ続いている」と評価している。

<船村徹さん談>
「添田唖蝉坊という方が種をまいた人でしょうね。その後、今度は神長瞭月先生らがその芽を育てた人ですね。さらにその後、のんき節の石田一松先生と続いて、われわれのところへつながってきている」

「ずっとつながっているのです。根底に流れている大衆文化というもの、神長先生あたりが拓いてくれたものを、われわれがやっぱりそれを伝道していると思っていただければ十分です」

瞭月が切り開いた道を自分たちは伝え歩き、そして歌への思いは綿々と受け継がれていると船村さんは感じています。

時の流れとともに歌は変化していくものである。でも瞭月の姿は消えても彼が紡いだ歌は今なお人々の心に生き続ける力を持っています。

平成25年度(第68回)芸術祭参加作品(ラジオ部門ドキュメンタリーの部)

株式会社栃木放送 :歌を紡いで ~演歌を育てた男 神長瞭月~  10月20日(日)23:00~23:59

<感想>
*作曲家の船村 徹はインタビューの中で、演歌の種をまいた添田唖蝉坊は呼び捨てだがその芽を育てた神長瞭月に対しては神長先生と「先生」を付けていた。その後に続いたのんき節の石田一松も石田先生と呼んでおり、同業の先輩音楽家だと認めていると感じた。

*プロの作曲家からみればたしかに添田唖蝉坊は昔からある曲をちょっと変えた程度でとても作曲とはいえないと感じているのだろう。彼は作曲家(音楽家)というより作詞家であろう。

*楽器も演奏できない唖蝉坊が譜面を書くとは考えられず作曲などはしなかったのではなかろうか。唖蝉坊は金色夜叉の唄も詩は「熱海の海岸散歩する」とは違うが「美しき天然」のメロディを借用して歌っていた。楽器を使用する前の演歌というのはそういうものだったのではなかろうか。
  瞭月はレコード会社へ楽曲を売り込みに行っていたので作曲して譜面にしていた。番組の中でも瞭月は晩年に自分で作曲した曲をすべてみずから楽譜にして残そうとしていたといっていた。 

*瞭月の娘さん談として、瞭月がギターを使って作曲していたと話していた。バイオリンを初めて使った演歌師がギターで作曲したとは!常に流行を追い合理性のある作曲活動だと感じた。もちろんバイオリンによる作曲では限界がある。

*神長瞭月は単なる演歌師では終わらない多才な才能があった。演歌に初めてバイオリンを導入しただけではなく、作詞、作曲、音楽教室経営、特許取得など広範囲に活躍した。
しかし、才能がありすぎたためであろうか若くして街頭での演歌師としての活動は止めてしまった。また添田唖蝉坊のように反権力だけを売りにせず、営業的に大衆が求めるものを提供していった。悪く言えば大衆に迎合していったことになる。

*他の資料からも大正の初めには青年倶楽部というものを組織して、瞭月の作歌を印刷したものを売らしている。本人は「俗謡をもって今日の成功を得た」と自慢しているようで生意気な若者と見られていた部分もあった。当時の雑誌記事では「おのれの不明をあらわすもので唖蝉坊の方が一段上のように思われる。」とまで書かれている。

*神長瞭月の人生を見るとあの平賀源内をつい思い出してしまう。四国讃岐の足軽の身分でありながら江戸に出て多才な才能を発揮して江戸では大人気となったがどれか一つに集中することができなかった。、この道一筋の人としての業績は残せず、またあまり郷土にも貢献できなかった。

*世の中に貢献した有名人にはいろいろなタイプがあると感じた。全国的には有名でないが地元に残り郷土に貢献した人。全国的には有名だが郷土にはあまり貢献せずそれほと地元では有名でない人。全国的に有名で郷土にもいろいろな形で貢献して地元でも有名な人。
有名人でも功をなしとげて故郷に帰ること、つまり「故郷に錦を飾る」ことは大変難しいことだと実感した。

*一世を風靡した神長瞭月が全国的にも、栃木県内でも今は余り有名でないのが残念である。音楽的才能がある彼がずっと現役演歌師として活動してくれていたら今の歌謡曲はどのようになっていただろうか。

*大衆音楽に貢献した神長瞭月をもっと多くの人に知ってもらってバイオリン演歌、それに続く歌謡曲が歌い継がれることを望んでいる。「昭和ロマンを楽しむ会」ももっと昔のよき音楽を広めるように頑張って活動したい。

<参考資料>
路傍の流行唄(みちばたのはやりうた) 谷人生
『文芸倶楽部』大正2年(1913)11月号に掲載された、「路傍の流行唄」はバイオリン演歌全盛時代の密着取材記事である。当時の時代背景、演歌師の実態、曲目等がよく分かる。この中から神長瞭月に関する記載を転載する。

レポーターの谷人生は添田唖蝉坊を高く評価しており、自分の成功を自慢する神長瞭月に対しての評価は厳しい。

「神長瞭月は青年倶楽部というものを組織して、やはりおのれの作歌を印刷したものを売らしている。本人の自家広告に、岩谷小波氏はお伽文学で大成した人である、自分は田舎から出て約10年の辛苦、赤手空拳よく俗謡をもって今日の成功を得たものであると吹いている。小波氏と自分を比較するところは大した度胸である。少年文学でもそれで成功したからエライ、俗謡でもそれで成功したからエライ、なんでも成功さえすればよいのだという意味らしいが、こうした自己広告はたまたまおのれの不明をあらわすもので、われらの眼からみれば唖蝉坊の方が一段上のように思われる。」

昭和ロマンを楽しむ会 帝大生ゆめじ                   



  その1    その2
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プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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