浅草 夏の浅草西参道で昭和歌謡 201307


2013年7月21日(日)、浅草の西参道商店街で昭和ロマンを楽しむ会としてバイオリン演歌・書生節を演奏した。
(西参道は観音本堂と六区をアーケードで結ぶ商店街)

今回の演奏場所は、商店街の喫茶店「サニー」の斜め前であった。7月からは夏時間ということで12時公演開始となった。やはり夏は暑いためか人通りはやや少なめであった。

メンバーは書生2名に女学生1名で、曲名を書いたのぼりと歌詞カードを準備した。また、われわれの休憩時間も表示してお客さんに対して分かりやすくしてみた。

外国人の観光客もたくさん歩いており、演奏中の昭和ロマンの写真をたくさん撮っていた。浅草の大道芸も国際観光に少しは貢献しているようである。

一方、今回もウイスキーの小瓶を持った酔っ払ったおじさんが絡んできてリクエストして歌って踊って、「俺が歌っているんだから投げ銭なんかする必要ない!」と叫んでいた。そしてやっと去っていったがそれ以上のことがなくて本当によかった。

リンゴの唄、青い山脈、憧れのハワイ航路などは当然リクエストされるが「サーカスの唄」や「啼くな小鳩よ」も男性からリクエストされてしぶとく根強い人気があるようである。子供には「さんぽ」と「アンパンマンのマーチ」だけでいつも勘弁してもらう。

若い女性や若い男性からリクエストがあったのは意外にも都はるみの「好きになった人」であった。昭和43年(1968)発売であるから45年も前である。明るい曲なので今でもカラオケで歌うのであろう。

若い男性とはいろいろお話したが、「好きになった人」は彼のカラオケの十八番であるそうだ。昭和歌謡が大好きだそうで独自の分析が面白かった。

都はるみは声(声質)が昔と変わってないので好きだそうだ。八代亜紀は昔はよかったが今は「おじさん声」に変わってしまっておりがっかりしていると若者はかなり厳しい評価であった。

ゆめじはいつになってもヒット当時のレコードだけをよく聴いているので声質の変化には余り関心がなかった。

そういえば、男性フォーク歌手(XXまさし?)でも美声ではなく「おじさん声」(太い声)になってしまった人もいるなあと思った。

歌った曲:

書生と女学生が明治・大正を含め、昭和を中心とした演歌・唱歌・昭和歌謡をバイオリンととウクレレ伴奏で歌います。

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異国の丘(竹山逸郎/中村耕造) 昭和23年


異国の丘(1948) 異国之丘
作詞:増田 幸治、補詞:佐伯 孝夫、作曲:吉田 正、歌:竹山逸郎/中村耕造

昭和23年(1948)、NHKラジオ番組「素人のど自慢」で、シベリアから復員してきた中村耕造さんが歌って合格の鐘を鳴らした。 シベリア抑留者の望郷の思いを歌った歌。

シベリア抑留兵だった増田幸治が作詞し、シベリアに抑留されていた兵士の間で歌われた。原題:「昨日も今日も」1949年(昭和24年)に同名の映画も公開された。

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

今日も暮れゆく 異国の丘に  友よつらかろ せつなかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ  帰る日も来る 春が来る

今日も更けゆく 異国の丘に    夢も寒かろ 冷たかろ
泣いて笑うて 歌って耐えりゃ  望む日が来る 朝が来る

今日も昨日も 異国の丘に        重い雪空 ひが薄い
倒れちゃならない 祖国の土に   たどりつくまで その日まで

異国の丘 昭和ロマンを楽しむ会 書生節 昭和歌謡 昭和演歌師 平成演歌師 流行歌 POW Siberia USSR Soviet Russia

軍艦行進曲 (軍艦マーチ)


「軍艦行進曲」または行進曲「軍艦」は、瀬戸口藤吉作曲の行進曲で明治時代に作られた。一般に「軍艦マーチ」として広く知られている。 Warship March, Gunkan koshinkyoku

日本を代表する行進曲の一つであり、戦後はパチンコ店などでも流されるなど、広く国民に親しまれていた。

作詞は鳥山 啓である。現在では難しい歌詞だがかっこいいことに変わりはない。
石炭を燃料にして蒸気タービンを回して荒波を進む軍艦のイメージであろう。

船はかなり大きくても乗ったりした旅客船はすべてレシプロエンジン(往復動機関)のディーゼルエンジンで動いていた。中学生の時に初めて自衛隊の護衛艦に乗り体験航海をした。これが体験した最初で最後のタービンエンジンの船であった。

エンジンルームを見学したがこの時に初めて蒸気タービンエンジンを見た。ディーゼルエンジンの音ではなく、うなるような回転音を上げながらスムーズに船が加速していくのに驚いた。

大阪から沖縄へ行った時の貨客船もレシプロエンジンであるディーゼルエンジンだった。

「皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし」:今も日本列島は日本人が守らなければならないことに変わりはない。

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の
浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の
皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に
仇なす国を攻めよかし

石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の
竜(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾撃つ響きは雷(いかづち)の
声(こえ)かとばかり響(どよ)むなり
万里の波濤(はとう)を乗り越えて
皇国(みくに)の光輝かせ

軍歌 大日本帝国 海軍 海上自衛隊

新民謡「東京音頭」 昭和8年



新民謡「東京音頭」  (天天二九暝) Tokyo ondo
「東京音頭」作詞:西條八十、作曲:中山晋平、唄:小唄勝太郎/三島一声


盆踊りの定番曲として親しまれ、またプロ野球チーム・東京ヤクルトスワローズや、プロサッカークラブ・FC東京の応援歌として使われている。いろいろな替え歌(春歌)もある。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん) 施設ライブ

原曲は「丸の内音頭」という曲名で1932年(昭和7年)に制作され、日比谷公園での盆踊り大会で披露された。

1933年(昭和8年)、「東京音頭」と改題・改詞され、小唄勝太郎と三島一声が歌ってレコード化され、爆発的に流行した。勝太郎の景気のよい歌声が日本中に響き渡った。

ハァ 踊り踊るなら チョイト  東京音頭 ヨイヨイ
花の都の 花の都の真中で サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 花は上野よ チョイト 柳は銀座 ヨイヨイ
月は隅田の 月は隅田の屋形船 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ おさななじみの チョイト 観音様は ヨイヨイ
屋根の月さえ 屋根の月さえなつかしや サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 西に富士の嶺(みね) チョイト 東に筑波 ヨイヨイ
音頭とる子は 音頭とる子はまん中に サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ よせて返して チョイト 返して寄せる ヨイヨイ
東京繁昌(はんじょう)の 東京繁昌の人の波 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 昔や武蔵野 チョイト 芒(すすき)の都 ヨイヨイ
今はネオンの 今はネオンの灯の都 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

(以下は戦後、現在は歌われていない歌詞)

ハア 東京よいとこ チョイト 日本てらす ヨイヨイ
君が御稜威は 君が御稜威は天照らす サテ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハア おらが丸の内 チョイト 東京の波止場 ヨイヨイ
雁と燕の 雁と燕の上り下り サテ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハア 君と臣との チョイト 千歳の契り ヨイヨイ
結ぶ都の 結ぶ都の二重橋 サテ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハア 花になるなら チョイト 九段の桜 ヨイヨイ
大和心の 大和心のいろに咲く サテ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤートナ ソレ ヨイヨイヨイ

西條八十 中山晋平 小唄勝太郎 三島一声 
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のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 三浦和義物語

 悲劇の夫かはたまた完全犯罪か

のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 「三浦和義物語」 ロックバージョン(2000年版):昭和ロマンを楽しむ会

1981年に三浦和義の当時の妻(三浦一美)がカリフォルニア州ロサンゼルスで何者かに銃撃されて意識不明の重態となる事件が発生し、自らも足を撃たれて負傷した。当初マスコミは「悲劇の夫」として三浦を扱った。1982年11月に、妻が死亡したことで、この事件の報道は収束した。
しかし、1984年に『週刊文春』をはじめとするマスコミにより「保険金目当ての殺人」であるとの報道がなされた。

経緯
1981年8月31日、輸入雑貨商を営む三浦和義が妻(和美)とロサンゼルス旅行中、宿泊していたリトル東京のホテルの部屋で妻が一人になったとき、アジア系の女性によって頭部を鈍器で殴打され妻は軽症を負う(殴打事件)。
同年11月18日午前11時5分頃(現地時間)、三浦夫妻はロサンゼルス市内の駐車場で2人組の男に銃撃され、妻は頭を撃たれて意識不明の重体。夫の三浦も足を撃たれ負傷した(銃撃事件)。

1982年1月、三浦は「悲劇の夫」として日本のマスコミに登場した。妻は日本に移送され大学病院に入院したが意識が戻ることはなく11月に死亡した。三浦は、保険会社3社から計1億5500万円の保険金を受け取った。

日本での審理
東京地裁:無期懲役
東京高裁:証拠不十分で無罪
最高裁:2003年3月に無罪となり、銃撃事件の日本における三浦の無罪が確定した。

アメリカでの審理
2008年2月22日にアメリカの自治領であるサイパンにおいて三浦は、現地に出向いていたロサンゼルス市警の警官に殺人容疑で逮捕された。2008年10月10日にサイパンからロサンゼルス市警に身柄が移送された。しかし、同日にロサンゼルス市警内の留置所にて三浦が首を吊っているのが発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。

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のぞきからくり 不如帰(ホトトギス) 実演

昭和の初期まで縁日などで親しまれた大道芸「のぞきからくり」、のぞき穴をのぞくと押絵と凸レンズが作り出す立体的な世界が広がっている。「のぞきからくり」は、映画やテレビの普及によって完全に消えてしまい現在は博物館でしか見ることができない。

のぞきからくり「不如帰」(ホトトギス)実演:昭和ロマンを楽しむ会
「不如帰」は徳冨蘆花(とくとみろか)の不朽の名作で1898年(明治31)から1899年まで「国民新聞」に連載された。明治時代のベストセラー小説。

「人間はなぜ死ぬのでしょう 死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも」
「八千八声 ないて血を吐くほととぎす」

落語の「天王寺詣り」に天王寺の境内でやっているぞのきからくり「不如帰」の口上が入っている。同じ不如帰でも各地によってさまざまな文句とからくり節があった。

あらすじ:片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑によって武男の留守中に離縁される。二人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。

映画「長屋紳士録」(1947)で笠智衆が歌った「不如帰」(ほととぎす)の口上(からくり節)

三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」 

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丘を越えて(藤山一郎) 新興映画「姉」主題歌 昭和6年

丘を越えて 藤山一郎  1931年(昭和6年) 新興映画「姉」主題歌   Okao koete

「丘を越えて」は、1931年(昭和6年)に発表された新興映画『姉』の主題歌である。日本コロムビアから藤山一郎の歌唱によって発売された。

もとは「ピクニック」という明治大学マンドリン倶楽部のマンドリン合奏曲として作曲された曲であったが、それに島田芳文が詞をつけたものが「丘を越えて」である。

マンドリンの伴奏演奏だけの時間の方が藤山一郎が歌っている時間よりも長いという歌曲である。

バイオリン演歌・書生節演奏:
昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ) 
江戸東京博物館 常設展示室5階中村座前 
作詞:島田芳文 作曲:古賀政男  歌:藤山一郎 

丘を越えて行こうよ
真澄の空は朗らかに晴れて
楽しい心 鳴るは胸の血潮よ
讃えよ わが青春を
いざゆけ 遙か希望の丘を越えて

丘を越えて行こうよ
小春の空は麗らかに澄みて
嬉しい心 湧くは胸の泉よ
讃えよ わが青春を
いざ聞け 遠く希望の鐘は鳴るよ

書生節 バイオリン演歌 昭和歌謡 映画主題歌 流行歌 昭和演歌師 平成演歌師

惜別の歌(Regret at parting) 小林 旭


惜別の歌 書生節 Cover version 惜別之歌 farewell regret at parting

惜別の歌 作詞:島崎藤村、作曲:藤江英輔、歌:小林 旭

昭和20年頃に藤江英輔によって作られた学徒出陣する学友を送る歌である。
昭和36年(1961)に小林 旭によってヒットした。日活映画「惜別の歌」主題歌になった(1962年)。

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 (200908)
帝国憲法下において20歳以上の男子は徴兵の義務があった。金持ちでも貧乏人でも妻帯者でも、やくざであってもみなほぼ平等に徴兵された。

ただし、20歳以上の学生(26歳まで)は徴兵猶予制度があり卒業まで徴兵されなかったが、戦争が激しくなるとまず繰り上げ卒業が行われ、次に徴兵猶予制度がなくなり、在学中に学徒出陣していった。正確には、文系の学生が徴兵され理系学生は徴兵されなかったが軍需工場や研究所で働いた。

学生でない同年齢の社会人はとっくに徴兵されていたので学生が優遇されていただけでかわいそうという話ではなく日本では学生や職業にかかわらず平等であった。

遠き別れに たえかねて
この高殿(たかどの)に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣(ころも)を ととのえよ

別れといえば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺(なが)むれば
夢はずかしき 涙かな

君がさやけき 目のいろも
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ

君が優しき なぐさめも
君が楽しき うた声も
君が心の 琴の音も
またいつか聞かん この別れ

島崎藤村の詩集「若菜集」の「高楼(たかどの)」の中から選んだ。

大学時代に、学徒出陣した文系の教授が「お前ら理系の学生は徴兵されなかったんだ。死ぬ気で勉強しろ!」といわれたことが懐かしい。 「僕らにそんなこといわれてもーー」とあまり真剣に勉強しなかったことを今になって後悔している。


日活映画「惜別の歌」 1962年

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湯島の白梅(婦系図の歌) 小畑 実  昭和17年



湯島の白梅(婦系図の歌)
作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄、唄:小畑 実&藤原亮子

明治の文豪、泉鏡花の小説『婦系図(おんなけいず)』をテーマとした歌である。
この歌は昭和17年(1942)7月公開の東宝映画『婦系図』(マキノ正博監督)の主題歌として作られた。『婦系図』は何回も映画化されている。



『婦系図』は、尾崎紅葉の『金色夜叉』、徳富蘆花の『不如帰(ほととぎす)』とともに、明治の三大悲劇、メロドラマである。

     書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

湯島通れば 想い出す
お蔦主税の 心意気
知るや白梅 玉垣に
残る二人の 影法師

忘れられよか 筒井筒(つついづつ)
岸の柳の 縁むすび
かたい契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち

青い瓦斯燈(がすとう) 境内を
出れば本郷 切通し
あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
鐘は墨絵の 上野山

映画化
婦系図(1934年公開、松竹製作)
 監督:野村芳亭、脚色:陶山密、主演:田中絹代、岡譲二
婦系図(1942年公開、東宝製作)
 監督:マキノ正博、脚色:小国英雄、主演:長谷川一夫、山田五十鈴
続婦系図(1942年公開、東宝製作)
 監督:マキノ正博、脚色:小国英雄、主演:長谷川一夫、山田五十鈴
主題歌:婦系図の歌(別名:湯島の白梅 作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄、歌:小畑実、藤原亮子)
婦系図 湯島の白梅(1955年公開、大映製作)
 監督:衣笠貞之助、脚本:相良準、主演:鶴田浩二、山本富士子
婦系図 湯島に散る花(1959年公開、新東宝製作)
 監督:土居通芳、脚本:金田光夫、主演:高倉みゆき、天知茂
婦系図(1962年公開、大映製作)
 監督:三隅研次、脚本:依田義賢、主演:市川雷蔵、万里昌代

昭和ロマンを楽しむ会 書生節 昭和歌謡 昭和演歌師 平成演歌師

紅葉(もみじ)  尋常小学唱歌 明治44年

紅葉(もみじ) 尋常小学唱歌 作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一 明治44年(1911)

紅葉は「尋常小学唱歌 第二学年用」に載っていた。高野辰之と岡野貞一とのコンビは「紅葉(もみじ)」以外に「故郷(ふるさと)」、「春が来た」、「春の小川」、「朧月夜(おぼろづきよ)」などの有名な曲をたくさん残している。

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

秋の夕日に  照る山紅葉(もみじ)
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの 裾模様(すそもよう)

渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉
波に揺られて 離れて寄って
赤や黄色の  色さまざまに
水の上にも  織る錦

紅葉(もみじ) 高野辰之 岡野貞一 尋常小学唱歌 書生節 バイオリン演歌 昭和ロマンを楽しむ会 昭和演歌師 平成演歌師

船頭小唄(枯れすすき)  大正12年

船頭小唄(枯れすすき) 書生節 (Cover version)  Sendoukouta

作曲: 中山晋平(著作権消滅)  作詞: 野口雨情(著作権消滅)

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会
1921年(大正10年)に民謡「枯れすすき」として野口雨情が作詞し中山晋平が作曲した。1923年(大正12年)、「船頭小唄」としてレコード化されヒットした。多くの演歌師によって歌われたが後にソプラノ歌手の佐藤千夜子も歌っている。

大正12年(1923)、「船頭小唄」は栗島すみ子・岩田祐吉主演で映画化され、その年の9月1日に関東大震災が起こり、東京は焼け野原となった。

こんなわびしい、悲しい歌がはやったから関東大震災が来て東京が焼け野原になったんだと悪口を言うぐらい流行した。また、この地震を予知していた曲だったのではという説が流布した。

演歌師によってたくさんの替え歌ができた。演歌師の添田唖蝉坊は「俺は東京の焼け出され、同じお前も焼け出されどうせ二人はこの世では何も持たない焼け出され」という替え歌を歌った。

戦後、森繁久彌が歌ってリバイバルヒットした。「枯すすき」というフレーズが人生の哀愁を暗示している。

作詞:野口雨情、作曲:中山晋平

1 おれは河原の 枯れすすき
  同じお前も 枯れすすき
  どうせ二人は この世では
  花の咲かない 枯れすすき

2 死ぬも生きるも ねえお前
  水の流れに なに変わろ
  おれもお前も 利根川の
  船の船頭で 暮らそうよ

3 枯れた真菰(まこも)に 照らしてる
  潮来出島(いたこでじま)の お月さん
  わたしゃこれから 利根川の
  船の船頭で 暮らすのよ

4 なぜに冷たい 吹く風が
  枯れたすすきの 二人ゆえ
  熱い涙の 出た時は
  汲んでおくれよ お月さん

書生節 バイオリン演歌 大正演歌 関東大震災 昭和演歌師 平成演歌師 昭和ロマンを楽しむ会

蒲田行進曲(松竹映画小唄) 松竹キネマ蒲田撮影所

松竹映画小唄 蒲田行進曲  (放浪者の歌(Song of the Vagabonds))
角川映画「蒲田行進曲」主題歌  
作詞:Brian Hooker  作曲:Rudolf Friml 訳詞:堀内敬三

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

1929年堀内敬三が松竹キネマ「親父とその子」の主題歌として歌詞をつけたものが原曲。その後松竹キネマ蒲田撮影所の社歌となった。1929年(昭和4年)に川崎豊と曽我直子のデュエットで日本コロムビアからレコードが発売され流行歌となった。 松竹ジャズバンド

1982年(昭和57年)映画「蒲田行進曲」の主題歌として使用され、松坂慶子・風間杜夫・平田 満が歌った。JR東日本京浜東北線蒲田駅では発車メロディとして使用されている。

虹の都光の港 キネマの天地
花の姿春の匂い あふるるところ
カメラの眼に映る かりそめの恋にさえ
青春もゆる 生命(いのち)はおどる キネマの天地

胸を去らぬ想い出ゆかし キネマの世界
セットの花と輝くスター ほほえむところ
瞳の奥深く 焼付けた面影の 
消えて結ぶ 幻の国 キネマの世界

春の蒲田花咲く蒲田 キネマの都
空に描く白日の夢 あふるるところ
輝く緑さえ とこしえの憧れに
生くる蒲田 若き蒲田 キネマの都

書生節 昭和歌謡 昭和演歌師 平成演歌師 

月がとっても青いから(菅原都々子) 昭和30年

「月がとっても青いから」は菅原都々子が1955年(S30)に歌って大ヒットした。 同年に日活製作の同名の映画が公開された。 作詞:清水みのる、作曲:陸奥明

月は赤か黄色にみえることが多いはずだが、恋人同士では青く見えたのかも知れない。女性が「月がとっても青いから」といったら男性は「どうみても黄色だよ」とはとてもいえない状況だったのだろう。

書生節・バイオリン演歌演奏:
昭和ロマンを楽しむ会 (帝大生ゆめじ&青空ぴーまん&女学生2名)  
新宿レガスまつり2012  新宿コズミックセンター 2012年4月7日
 
1 月がとっても青いから  
  遠まわりして帰ろう
  あの鈴懸の並木路(なみきじ)は
  想い出の小径(こみち)よ
  腕をやさしく組み合って
  二人っきりでさあ帰ろう

2 月の雫に濡れながら
  遠まわりして帰ろう
  ふと行きずりに知り合った
  想い出のこの径(みち)
  夢をいとしく抱きしめて
  二人っきりでさあ帰ろう

3 月もあんなにうるむから
  遠まわりして帰ろう
  もう今日かぎり逢えぬとも
  想い出は捨てずに
  君と誓った並木みち
  二人っきりでさあ帰ろう

書生2名&女学生2名  書生節 バイオリン演歌 海老茶式部 昭和歌謡 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師 昭和ロマンを楽しむ会

誰か故郷を想わざる(霧島 昇) 昭和15年

誰か故郷を想わざる 昭和15年  作詞:西条八十、作曲:古賀政男、歌:霧島 昇 
誰人不想起故鄉 誰人袂想起故鄉

昭和15年(1940)、日本コロムビアから発売され、歌のヒットによって新興キネマより映画「誰か故郷を想わざる」が公開された。 昭和歌謡曲の「故郷」版

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会  (2012年11月)

1 花摘む野辺に 日は落ちて
  みんなで肩を 組みながら
  唄をうたった 帰りみち
  幼馴染(おさななじみ)の あの友この友
  ああ誰(たれ)か故郷を 想わざる

2 ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
  小川の岸で さみしさに
  泣いた涙の なつかしさ
  幼馴染の あの山この川
  ああ誰か故郷を 想わざる

3 都に雨の 降る夜は
  涙に胸も しめりがち
  遠く呼ぶのは 誰の声
  幼馴染の あの夢この夢
  ああ誰か故郷を 想わざる

書生節、バイオリン演歌、昭和歌謡、昭和演歌師、平成演歌師 昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

港町十三番地(美空ひばり)  昭和32年

港町十三番地(美空ひばり)
1957年(昭和32年)にコロンビアレコードから発売された美空ひばりのマドロス曲。
作詞:石本美由起、作曲:上原げんと、歌:美空ひばり

美空ひばりは横浜市出身なので港町はもちろん横浜で「マドロス酒場」は馬車道あたりの酒場のイメージであろうと勝手に考えていたが実際は川崎であった。

この歌を発売した日本コロムビアの川崎工場の住所が「川崎市川崎区港町九番地」であったが、そこから「港町十三番地」というタイトルがついたそうである。十三番地という番地はないらしい。京浜急行大師線「港町駅」には歌碑があり電車の発着時にこの歌のメロディーが流れている。港町(ミナトチョウ)は1910年に日本コロムビアが日本初のレコード会社として創業を開始した場所であり、港町駅は「コロムビア前駅」として開業した。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会
港町十三番地

長い旅路の 航海終えて
船が港に 泊まる夜
海の苦労を グラスの酒に
みんな忘れる マドロス酒場
ああ港町 十三番地

銀杏並木の 敷石道を
君と歩くも 久し振り
点るネオンに さそわれながら
波止場通りを 左にまがりゃ
ああ港町 十三番地

船が着く日に 咲かせた花を
船が出る夜 散らす風
涙こらえて 乾杯すれば
窓で泣いてる三日月様よ
ああ港町 十三番地

美空ひばりの港やマドロスをテーマにしたヒット曲をあつめたアルバム「ひばりとマドロスさん」もあり、曲名は下記にの通りである。

A-1.ひばりのマドロスさん A-2.娘船頭さん A-3.あの日の船はもう来ない A-4.君はマドロス海つばめ A-5.港は別れていくところ A-6.三味線マドロス A-7.白いランチで十四ノット
B-1.哀愁波止場 B-2.波止場小僧 B-3.初恋マドロス B-4.波止場だよ、お父つぁん B-5.ひばりの船長さん B-6.港町十三番地 B-7.浜っ子マドロス

美空ひばり 昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん) 昭和歌謡 書生節 バイオリン演歌 昭和演歌師 平成演歌師 流行歌

緑の地平線(日活映画主題歌) 楠木繁 昭和10年

緑の地平線(日活映画主題歌)
1935年(昭和10年)公開の阿部豊監督の日活映画。主題歌は「緑の地平線」( 作詞:佐藤惣之助、 作曲:古賀政男、 歌:楠木繁夫)

バイオリン演歌・書生節演奏: 昭和ロマンを楽しむ会
原作は児童作家の横山美智子による小説で星玲子、原節子、伊沢一郎等が出演していた。小説も映画も忘れ去られたが主題歌のみが歌われ続けてきた。古賀政男のメロディがいいが前奏もすばらしい。

1 なぜか忘れぬ人ゆえに
  涙かくして踊る夜は
  濡れし瞳にすすり泣く
  リラの花さえなつかしや

2 わざと気強くふりすてて
  無理に注がして飲む酒も
  霧の都の夜は更けて
  夢もはかなく散りて行く

3 山のけむりを慕いつつ
  いとし小鳩の声きけば
  遠き前途(ゆくて)にほのぼのと
  緑うれしや地平線

映画主題歌
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浅草の唄(藤山一郎 昭和22年)


浅草の唄(藤山一郎 昭和22年)Cover version
作詞:サトウハチロー  作曲:万城目正  歌:藤山一郎 昭和22年(1947)

関敬六も歌っていた。あまり有名ではないが浅草六区で歌うと今でも人気がある。

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

つよいばかりが 男じゃないと
いつか教えて くれた人
どこのどなたか 知らないけれど
鳩といっしょに 唄ってた
ああ 浅草のその唄を

可愛いあの子と シネマを出れば
肩にささやく こぬか雨
かたい約束 かわして通る
田原町から 雷門
ああ 浅草のこぬか雨

池にうつるは 六区の灯り
忘れられない よいの灯よ
泣くな サックスよ 泣かすなギター
明日もあかるい 朝がくる
ああ 浅草のよい灯り

吹いた口笛 夜霧にとけて
ボクの浅草 夜が更ける
鳩も寝たかな 梢のかげで
月がみている よもぎ月
ああ 浅草のおぼろ月

書生節 昭和歌謡 昭和演歌師 平成演歌師 浅草 六区 浅草寺 花やしき

高校三年生(舟木一夫) 昭和38年


高校三年生は、昭和38年(1963年)に舟木一夫が歌ってコロムビアレコードから発売された歌である(作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実)。

また、1963年に大映により同名のタイトル「高校三年生」で映画化されこちらもヒットした。もちろん主演は舟木一夫である。

その頃ヒットした歌はなんだか男女関係のことにふれた歌詞が多かったようであまり好きではなかった。

昭和37年に北原謙二がうたった「若いふたり」は男女関係の歌である。近所のお姉さんが口ずさんでいたようだ。また、昭和38年に坂本九が歌った「見あげてごらん夜の星を」も歌詞に「二人ならくるしくなんかないさ」とあるように男女の歌のようである。

それとは違い、「高校三年生」は歌詞に男女関係がなく、学校生活を振り返り進学や就職へと前進していく未来志向の青春の歌であった。仲のよい男子も女子もいたが男、女というより「みんな仲間だ!」という意識で行動していた。
小学校までは女の子の部屋でよく二人で遊んだりしていた。ところが中学になると親たちはややこしいことがきらいなのか突然厳しくなった。

中学生時代の土曜日、クラスの仲のよい女子が「うちにちょっと寄っていく?」と突然いわれて一緒に家までついて行ったとがあった。男子を連れて帰ってきたので先方のお母さんがびっくりしたような顔をしていた。玄関でカルピスを出してもらったが「さあ、家にあがりなさい」とは絶対にいわなかった。仕方がないので二人で玄関で話したり、庭の縁側に腰掛けていろいろ楽しく話した記憶がある。「中学生は小学生とはちがうんだ」と実感した時でもあった。

中学になると親の代行(名代)で町内会の会費を集めたり、回覧板を持っていったりちょっと責任ある仕事を任されて大人の仲間入りをした気分にもなった。

ある日、町内会の会費を集めるために若夫婦の家に訪ねていって名前と用件を告げた。30過ぎのおばさん(お姉さん?)は体調が悪かったのか、寝ていたのかなぜかピンクの寝巻き姿で玄関に現れて会費を支払ってくれた。
なんで寝巻きなのかなあと思ったので後で母にその状況を言ったところ、「子供だと思って馬鹿にして!変なことになったらどうするんだ!」「文句を言ってくる!」と激怒したことがあった。中学生は大人の男子として見られているのだなあとうれしくもあったが当惑したことがあった。

確かに小学生のときは、友達の家に行ったら気にせずシミーズ姿でうろうろしているおばさんや姉さんがいたことはあった。

そんなわけで、中学生や高校生が思い切り仲間意識で歌える歌が「高校三年生」であった。

学校行事(遠足、バス旅行)で必ず何回も大合唱した気がする。バスガイドのお姉さんも高校卒業したてだったのかうれしそうに歌ってくれたことが懐かしい。「ああ 高校三年生」のフレーズがよくわからないがなんだかクラシック調でかっこよかった。

今の歌は男女関係、恋愛ものが多すぎるような気がする。今はもうこんな学園ものの歌詞はないであろう。

舟木一夫は学生服で歌っているので今から考えるとこれこそ本当に書生節(学生節)である。

高校三年生 書生節演奏 昭和ロマンを楽しむ会

1.赤い夕陽が 校舎をそめて
  ニレの木陰に はずむ声
  ああ 高校三年生 ぼくら
  離れ離れに なろうとも
  クラス仲間は いつまでも

2.泣いた日もある 怨んだことも
  思い出すだろ なつかしく
  ああ 高校三年生 ぼくら
  フォーク・ダンスの 手をとれば
  甘く匂うよ 黒髪が

3.残り少ない 日数を胸に
  夢がはばたく 遠い空
  ああ 高校三年生 ぼくら
  道はそれぞれ 別れても
  越えて歌おう この歌を

高校三年生 高校3年生 舟木一夫 丘灯至夫 遠藤実 昭和歌謡 青春歌謡 映画 書生節 バイオリン演歌

上海帰りのリル(上海歸來的莉露) 津村謙 昭和26年

上海帰りのリル Shanghai gaerino Lil 上海歸來的莉露

「上海帰りのリル」は1951年(昭和26年)に津村謙が歌ってヒットしたタンゴの曲­である。
翌年の1952年には映画化されリル役で香川京子が主演した。横浜元町のダンスホール­「クリフサイド」を舞台に映画が撮影されたそうである。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

船を見つめていた ハマのキャバレーにいた
風の噂はリル   上海帰りのリル リル
あまい切ない思い出だけを
胸にたぐって探して歩く
リル リル どこにいるのかリル
だれかリルを 知らないか

黒いドレスを見た 泣いていたのを見た
戻れこの手にリル 上海帰りのリル リル
夢の四馬路(スマロ)の 霧降る中で
何も言わずに 別れた瞳
リル リル 一人さまようリル
だれかリルを 知らないか

「上海帰りのリル」には元歌があり、それは戦前の歌「上海リル(Shanghai Lil)」である。日本に帰ってきたリルはちょっと別人のようである。
「Shanghai Lil 」From the film "Footlight Parade" (1933)

バイオリン演歌 書生節 昭和演歌師 平成演歌師 昭和ロマンを楽しむ会 昭和歌謡 流行歌

旅の夜風 松竹映画 「愛染かつら」主題歌 昭和13年

旅の夜風  松竹映画 「愛染かつら」主題歌   書生節演奏
Tabinoyokaze, Aizenkatsura 旅途夜風(愛染桂)

「愛染かつら」は雑誌「婦人倶楽部」に連載された川口松太郎の小説でこれを原作とする映画が多数製作されている。
ヒロインの高石かつ枝が津村浩三と菩提寺のカツラの木の下で永遠の愛を誓う。

松竹映画「愛染かつら」昭和13年(1938) 
作詞:西條八十、作曲:万城目正   歌:霧島昇&ミス・コロンビア(松原操)

霧島昇は昭和13年に「愛染かつら」主題歌「旅の夜風」をミス・コロムビア(本名・松原操)とデュエットで歌い大ヒットし、これが縁で昭和14年にミス・コロムビアと結婚した。息子さんである東京音楽大学主任教授である坂本紀男は「旅の夜風があったから私が生まれた」といっていた。

田中絹代演じるヒロインの子持ちの看護婦、高石かつ枝と上原謙演じる大病院の御曹司である医師、津村浩三とのラブストーリーである。看護婦と医師との恋はよくある話だが設定が子持ちの看護婦になっていてかなり無理筋に作ってある。

病院を経営する親(経営者)にとっては、最悪の場合に資産や経営権が血縁のない連れ子に移る可能性があり大反対するのは当然だと思う。病院の存続ということも一族にとっては人生をかける価値があることであろう。現代の会社や組織の存続も「最大の目的」なのか、「手段」なのか、どうでもいいことなのかで意見が分かれるようだ。

どこの高齢者施設で歌っても大人気の歌であり、4番までほとんどの方が歌うことができる名曲である。

旅の夜風 書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(書生2名&女学生(海老茶式部)2名)

 1 嵐も踏み越えて
   行くが男の生きる途(みち)
   泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
   月の比叡(ひえい)を独(ひと)り行く

 2 優しかの君ただ独り
   発(た)たせまつりし旅の空
   可愛い子供は女の生命(いのち)
   なぜに淋しい子守唄

 3 加茂の河原に秋長(た)けて
   肌に夜風が沁みわたる
   男柳がなに泣くものか
   風に揺れるは影ばかり

 4 愛の山河(やまかわ)雲幾重(くもいくえ)
   心ごころを隔てても
   待てば来る来る愛染かつら
   やがて芽をふく春が来る

バイオリン演歌 書生節 昭和演歌師 平成演歌師 昭和歌謡

青い山脈(映画主題歌) 昭和24年


青い山脈(映画主題歌) 

昭和24年 映画「青い山脈」主題歌 作詞:西條八十、作曲:服部良一 歌唱:藤山一郎&奈良光枝
Aoisanmyaku 青山脈



バイオリン演歌・書生節演奏:
昭和ロマンを楽しむ会 (書生2名&女学生(海老茶式部)2名) 新宿レガスまつり2012  


「青い山脈」は、石坂洋次郎原作の長編小説で、1947年(昭和22年)に「朝日新聞」に連載された。旧制高等女学校を舞台とした青春恋愛小説で旧制高等学校の学生も登場する。

1949年(昭和24年)には原節子と池部良主演で映画化され大ヒットとなった(今井正監督作品)。
旧制高等女学校の女教師を原節子、旧制高等学校の学生を池部良が演じていた。

今までに5回ほど映画化されたが、1963年の日活版では、時代に合わせて旧制高等女学校から新制の女子高等学校に、また旧制高校生から新制の大学生に変更した。主演は吉永小百合と浜田光夫であった。

2012年のソフトバンクのTV-CMでは白い犬の「お父さん」とトリンドル玲奈が自転車に乗って歌っている場面が放映されていた。

<青 い 山 脈>
1 若く明るい 歌声に
  雪崩は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜
  空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ

2 古い上衣よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ
  あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く

3 雨にぬれてる 焼けあとの
  名も無い花も ふり仰ぐ
  青い山脈 かがやく嶺の
  なつかしさ 見れば涙が またにじむ

4 父も夢見た 母も見た
  旅路のはての そのはての
  青い山脈 みどりの谷へ
  旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る
 
青い山脈 映画主題歌 西條八十 服部良一 石坂洋次郎 青春小説 藤山一郎 奈良光枝 原節子池部良 書生節 バイオリン演歌 昭和歌謡 昭和ロマンを楽しむ会 

柏駅周辺ストリートミュージシャン認定書



JR柏駅東口で夜に路上ライブをよくやっていることは知っていた。たまたま用事で柏駅に降りて東口デッキに出てみると「ストリートライブができるぞ!」という大きな看板が目に入った。 柏では路上演奏が合法的にできることを宣伝しているのが面白い。

11:00-22:30の間なら自由にできるということなので夜はよい子は出歩かないが昼間なら柏でも演奏してみたいと思って申し込んでみた。



場所:柏駅東口サンサン広場
(通称ダブルデッキ)

昭和ロマンを楽しむ会が今まで演奏した場所は千葉県でも総武線沿線が多く、常磐線は東京の北千住、亀有までであったのでぜひ千葉の柏で演奏してみたい。

道路なので CD,チケット等を無許可で販売してはいけないと記載されていた。でも販売行為は禁止しているがお金をもらうこと(投げ銭、チップ)は特に記載がないので禁止していないらしい。

売ってはいけないがお金をもらってもよいという意味がよく分からない。「援じょ交際は可能」というのに類似していないか。

柏駅周辺ストリートミュージシャン認定書
昭和ロマンを楽しむ会 昭和歌謡 戦時歌謡 バイオリン演歌・書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ&青空ぴーまん

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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