地獄 絵解き口上 地獄極楽

大道芸研究会 麻布十兵衛による地獄絵解き


閻魔大王のお帳面調べから極楽浄土まで解説していきます。


  地獄絵解き口上


絵解き:仏画・絵巻などの内容を説明すること。平安末期以後、それを職業とする人が現れ、地獄絵などを説明するのに琵琶(びわ)に合わせて語ったりした。江戸時代には、大道芸にもなった。

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のぞきからくり「八百屋お七」 特別公開 (大宮)

知る人ぞ知る新潟市巻郷土資料館にある本物のぞきからくりが埼玉県立歴史と民族の博物館ロビーで公開されたので「昭和ロマンを楽しむ会」として見に行った。博物館は大宮公園の中にありとてもいい自然が残っている場所であった。


昭和の初期まで縁日などで親しまれた大道芸「のぞきからくり」、のぞき穴をのぞくと押絵と凸レンズが作り出す立体的な世界が広がっている。映画やテレビの普及によって完全に姿を消してしまった。中国では今でも大道の娯楽として存在している。

のぞきからくりのルーツはお寺で仏の教えなどを掛物に仕立てて物語風に解説(説教)する「絵解き」である。大道芸でも地獄極楽の絵解きをやっておりゆめじもやったことがある。

有名なのぞきからくりは「地獄極楽 この世の戒め」、「不如帰(ほととぎす)」、「金色夜叉」、「八百屋お七」などがある。

この「八百屋お七」は巻郷土資料館に中ネタ(7枚)のみが残っていたが、のぞきからくりの伝承のため、文化庁の助成を受け、地元関係者や舞台美術専門の業者らによって「八百屋お七」の屋台が制作された。同時に、中ネタの修復も行われた。

客寄せのために左側には「かわいい寺の小姓の吉三さん」、右側には「伊達娘お七、火の見やぐらの段」、中央には「お七引き回し」が描かれてある。これを見ただけでのぞきたくなってしまう。

中の絵も押絵に透かしが入り後ろからのライトで立体感が出てなかなか豪華であった。絵は一枚だけが下に降ろされていて現在の絵の後方(ライト側)に次の絵を降ろすとすぐに今の絵は引き上げられる。そのタイミングすばらしかった。

「八百屋お七」の中ネタ(7枚)の一部を紹介する。
 2枚目:お七と吉三郎との初めての出会い(吉祥寺の奥座敷)

 3枚目:八百屋の店開き

 4枚目:本郷に帰ったお七は吉三郎に会いたい一心で放火

5枚目:お裁き(15歳以下であれば減刑になるが、お七は16歳だと言い張る)

 6枚目:江戸市中引き回し


巻郷土資料館には原型に近いものとしては全国唯一ののぞきからくり屋台「幽霊の継子いじめ」があり、新潟市指定文化財になっている。この「幽霊の継子いじめ」は大型の紙芝居形式にして埼玉でも実演してくれた。

のぞきからくり「八百屋お七」 公開実演 
場所:埼玉県立歴史と民俗の博物館 ロビー (東武野田線大宮公園駅下車)
日時:2012年11月14日(水)、17日(土)、18日(日)の三日間 
11:00、11:30、14:00、14:30、15:00の一日5回。 入場無料


館内のレストランで昼食を食べて、昭和の広場でスバル360や駄菓子屋の展示を見たあと、大宮公園の池のそばで公開練習を行った。

東京ブギウギ港町十三番地、緑の地平線、湖畔の宿等を練習した。子供連れが興味深そうに見ていたので子供たちのために「さんぽ(となりのトトロ)」を演奏したらとても喜んでくれた。

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里の秋(星月夜)


里の秋(星月夜)  作曲:海沼 実、作詞:斎藤信夫  Sato no aki  又見炊煙

昭和20年12月にNHKラジオ番組で「里の秋」と改題されて川田正子によって歌われた。

「里の秋」は日本の秋を歌った歌である。千葉県民にとっては「千葉の秋」を歌った大好きな歌である。斎藤信夫は千葉県成東出身の詩人であり、船橋市の小学校(国民学校)の教師(訓導)をしていた。

歌詞の内容から、お父さんの無事を祈り、お母さんと二人でお留守番をしている小学生らしい子供のことを歌っていると容易にわかる。しかし、お父さんがどこに行っているのか、また、男の子か女の子かはわからない。子供の頃に歌った時には誰も教えてくれなかった。

昭和16年に斎藤信夫が作ったこの詩「星月夜」は、昭和20年12月にNHKラジオ番組で「里の秋」と改題されて川田正子によって歌われた。この時に3番の歌詞は変更されて4番は削除されてしまった。

元の「星月夜」の歌詞を見ると、お父さんは戦争に行き、お留守番している小学生は男の子であることが分かる。

帝国憲法下において国民の義務として徴兵されて南方に出兵した普通の千葉県の田舎の農家のお父さんだろうと想像する。千葉は栗がたくさん採れて米屋の「栗ようかん」などが有名だが、栗の収穫量は全国7番目である(H21年)。

     書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 (書生2名&女学生(海老茶式部)2名) 
1番
しずかなしずかな 里の秋  お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ かあさんと ただ二人 栗の実煮てます 囲炉裏ばた

2番 
あかるいあかるい 星の空 鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ とうさんの あの笑顔 栗の実食べては 思い出す

3番 
さよならさよなら 椰子の島 お船に揺られて 帰られる
ああ とうさんよ ご無事でと 今夜もかあさんと 祈ります

今では歌われない「里の秋」の原作「星月夜」  3-4番の歌詞 作詞者、斎藤信夫 (昭和16年)

3番 きれいなきれいな 椰子の島 しっかり護って 下さいと  ああ父さんの ご武運を 今夜も一人で 祈ります

4番 大きく大きく なったなら 兵隊さんだよ うれしいな  ねえ母さんよ 僕だって 必ずお国を 護ります

歌詞はすべて冒頭で「しずかな、しずかな」、「あかるい、あかるい」「さよなら、さよなら」と繰り返しているのが印象的である。母親のことを歌っている歌は多いが、「ああ 母さん」は1番だけで2番、3番は「ああ 父さん」と父親を歌っているのがうれしい。

どんなに厳しくても、あるいは酒飲みでいい加減なお父さんでも、自分の意思(志願)ではなく、誰も行きたくない戦争に拒否せずに行ったことを子供として感じていたのかもしれない。

10月末に田舎へ帰ったが地区の軍人墓地は草が生えて手入れがほとんどされてなく、草の中から立派な墓が突き出ていた。戦後67年経って遺族の方はもういらっしゃらないのかもしれない。軍人といっても職業軍人ではなく普通の民間人が徴兵されて戦死したのである。

この頃の男(おのこ)は健康体であれば徴兵されてもちろん大変だったが、女(おみな)たちも大変な決断をしたと母から聞かされた。

女学校を出て結婚適齢期になっても「いいな」、「いいかなあ」と思われる普通の独身男性はどんどん徴兵されて出兵していき、もちろん兄たちも徴兵されていった。娘たちはより安全な徴兵されないような男と結婚するか、徴兵された一般人と結婚するかいろいろ悩んだらしい。

母も女学校の同級生たちも当然かもしれないが「せっかく女としてこの世に生まれてきたのだから」と戦死することも覚悟で普通の人と結婚した。母は、甲種合格で徴兵されていた銀行員の父と結婚した。父は4月に高等専門学校を卒業して銀行に就職したが徴兵猶予がなくなってその年の12月に徴兵されて翌年1月に入隊してその11月には満州にあった奉天甲種幹部候補生隊へ入隊、その後各地を転戦して終戦まで軍隊にいた。たった9ヶ月の銀行員であった。 奉天:現在の瀋陽市に相当

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思い出の昭和ロマン 昭和歌謡



2012年10月吉日、「昭和ロマンを楽しむ会」として高齢者施設を訪問しなつかしい昭和歌謡を演奏した。下記は施設のウエブからの転載。

「帝大生 ゆめじ」さんと「青空ぴーまん」さんのお2人が大きなウクレレとバイオリンを片手に再びお越しくださいました!
今回も皆さまの大好きな歌を沢山演奏してくださいました♪ 
 
今回初めて「昭和ロマンを楽しむ会」に参加されたゲストで「全部知ってる歌だったわ…ほんと懐かしい。」と、涙を浮かべている方もいらっしゃいました。
 
昔の歌には思い出が詰まっているものですよね。
今回もノッて♪歌って♪楽しい時間を過ごさせていただきました!
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演奏した曲

戦時歌謡 等

昭和ロマンを楽しむ会 帝大生ゆめじ&青空ぴーまん 書生節 バイオリン演歌 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 昭和歌謡

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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