高校三年生(舟木一夫) 昭和38年



高校三年生 書生節演奏 昭和ロマンを楽しむ会
高校三年生は、昭和38年(1963年)に舟木一夫が歌ってコロムビアレコードから発売された歌である(作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実)。

また、1963年に大映により同名のタイトル「高校三年生」で映画化されこちらもヒットした。もちろん主演は舟木一夫である。

高校三年生のEPレコードのジャケットに書いてある
「ルナ・アルモニコ」はコロムビアの女声合唱団だそうだ。

その頃ヒットした歌はなんだか男女関係のことにふれた歌詞が多かったようであまり好きではなかった。

昭和37年に北原謙二がうたった「若いふたり」は男女関係の歌である。近所のお姉さんが口ずさんでいたようだ。また、昭和38年に坂本九が歌った「見あげてごらん夜の星を」も歌詞に「二人ならくるしくなんかないさ」とあるように男女の歌のようである。

それとは違い、「高校三年生」は歌詞に男女関係がなく、学校生活を振り返り進学や就職へと前進していく未来志向の青春の歌であった。仲のよい男子も女子もいたが男、女というより「みんな仲間だ!」という意識で行動していた。
小学校までは女の子の部屋でよく二人で遊んだりしていた。ところが中学になると親たちはややこしいことがきらいなのか突然厳しくなった。

中学生時代の土曜日、クラスの仲のよい女子が「うちにちょっと寄っていく?」と突然いわれて一緒に家までついて行ったことがあった。娘が男子を連れて帰ってきたので先方のお母さんがびっくりしたような顔をしていた。玄関でカルピスを出してもらったが「さあ、家にあがりなさい」とは絶対にいわなかった。仕方がないので二人で玄関で話したり、庭の縁側に腰掛けていろいろ楽しく話した記憶がある。「中学生は小学生とはちがうんだ」と実感した時でもあった。

中学になると親の代行(名代)で町内会の会費を集めたり、回覧板を持っていったりちょっと責任ある仕事を任されて大人の仲間入りをした気分にもなった。

ある日、町内会の会費を集めるために若夫婦の家に訪ねていって名前と用件を告げた。30過ぎのおばさん(お姉さん?)は体調が悪かったのか、寝ていたのかなぜかピンクの寝巻き姿で玄関に現れて会費を支払ってくれた。
なんで寝巻きなのかなあと思ったので後で母にその状況を言ったところ、「子供だと思って馬鹿にして!変なことになったらどうするんだ!」「文句を言ってくる!」と激怒したことがあった。中学生は大人の男子として見られているのだなあとうれしくもあったが当惑したことがあった。

確かに小学生のときは、友達の家に行ったら気にせずシミーズ姿でうろうろしているおばさんや姉さんがいたことはあった。

そんなわけで、中学生や高校生が思い切り仲間意識で歌える歌が「高校三年生」であった。

学校行事(遠足、バス旅行)で必ず何回も大合唱した気がする。バスガイドのお姉さんも高校卒業したてだったのかうれしそうに歌ってくれたことが懐かしい。「ああ 高校三年生」のフレーズがよくわからないがなんだかクラシック調でかっこよかった。

今の歌は男女関係、恋愛ものが多すぎるような気がする。今はもうこんな学園ものの歌詞はないであろう。

舟木一夫は学生服で歌っているので今から考えるとこれこそ本当に書生節(学生節)である。

1.赤い夕陽が 校舎をそめて
  ニレの木陰に はずむ声
  ああ 高校三年生 ぼくら
  離れ離れに なろうとも
  クラス仲間は いつまでも

2.泣いた日もある 怨んだことも
  思い出すだろ なつかしく
  ああ 高校三年生 ぼくら
  フォーク・ダンスの 手をとれば
  甘く匂うよ 黒髪が

3.残り少ない 日数を胸に
  夢がはばたく 遠い空
  ああ 高校三年生 ぼくら
  道はそれぞれ 別れても
  越えて歌おう この歌を

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施設演奏での手作りポスター

「昭和ロマンを楽しむ会」では書生節・バイオリン演歌の演奏を依頼されて高齢者施設へ訪問することが多いが、施設によってはありがたいことに手作りのポスターを館内に貼って告知してくださることが多い。

今回はそのポスターを紹介する。


「XXXクラブでは、月に数回館内イベントを行っています。
今回は “昭和演歌 ギター&バイオリン” と称して昭和の演歌をギターとバイオリンで弾きがたり、ゲストを昭和時代へタイムスリップさせていただきました。
 
バイオリンとギターの音色は、想像以上にレトロな雰囲気を醸し出しゲストも思わずうっとりとされたり・・・
ゲスト『あらッ! この歌知ってるわ・・懐かしいわ~・・』 
一緒に口ずさんだり、時には手拍子しながら身体も弾ませて・・・
傍らのスタッフも楽しさを一緒にいただきました。
今日は懐かしい思い出が甦った一日でした。」 施設のブログより

施設によってはポスターを見て「エッ!」というときもある。ついこの間、演芸のつもりで訪問するとでかでかと「バイオリン演奏会」と書いてあった。われわれのことを「先生!」と呼びかけられることもある。「音大のバイオリン専攻でもなんでもないんですよ」と小さな声で異議を申し立ててみたりもした。


実際に演奏を始めるとその内容から大衆的な演芸だと納得してくださる。




その他、かわいいイラスト入りのポスターを作製してくれた施設もあった。











たまにはどさ回りの一座が定期公演している高齢者などが集まる健康ランドでも書生節・バイオリン演歌をやったことがあった。






篠崎浅間神社 のぼり祭り (江戸川区) 2012


篠崎浅間神社(しのざきせんげんじんじゃ)は東京都江戸川区上篠崎にある神社で、東京都最東端・篠崎の地を鎮守するお社である。

このあたりはもとは下総国(しもうさのくに)葛飾郡であったが、江戸期の利根川東遷事業によって利根川西岸になったことから武蔵国へ編入された地域であるから親しみがある。

昭和の初期(戦前)にこの神社の祭礼日にバイオリンを持った書生姿の演歌師が境内で書生節を演奏していたとの記載があったので実際に行ってみたいとずっと願っていた。今年はのぼりが立つということでやっと参拝してきた。

7月1日が浅間神社の例祭日で、通称「のぼり祭り」とよばれている。当時は祭りに小学生が羽織、袴で参列して「君が代」を歌ったりした格式高いお祭りだったようである。


都営新宿線の篠崎の駅から浅間神社のほうへ歩いていくと鎮守の森の上のほうにのぼり旗や柱の上にある笹らしきものが見え始めた。昭和の初めならビルも何もない平地なのでもっと遠くからでも確認できたと思われる。



木々が生い茂った立派な鎮守の森が残っており、境内には参道に沿って露天がぎっしり並んでいる。そこを通って広場に出ると左右に5本ずつ合計10本ののぼりが立ち並んでいる。ちょうど神楽殿では雅楽が演奏されていた。
(各地区2本で北篠崎・下篠崎・篠崎本郷・篠崎仲町・上篠崎の5地区)



柱に「下総国」と銘がある12間(21.72m)もある大のぼりが境内に10本も立てられるので「のぼりまつり」の名があると境内の説明板には書いてあったが今は「下総国」の銘はなかった。


風もないので20m以上にもなる柱はきしんでいなかったが風が吹くとそばにいるとちょっと怖い気もする。

柱は地面のコンクリートで固められた枠の中に木で固定して立ててあった。昭和の初期頃には境内に単なる穴を掘って木で固定して立てたのだと思われるがどのようにして立てたのであろうか。

今は電信柱を立てるときに使っているようなクレーン車があれば短時間で立てることができる。昔は人力で綱で引っ張るにしてもやぐらを組んで滑車を使ったのであろう
(聞くと今でも引き綱2本と滑車を使って人力で立てていた)。





露天は昭和の初め頃の記載と同じようなもの(かき氷、射的、輪投げ、風船、金魚など)がまだあり、こういう風景がずっと残ってほしいものだ。

200円のかき氷を食べながらどこでバイオリンを持った演歌師が金色夜叉を歌って商売していたのだろうかと境内を散策してみた。




<昭和初期の篠崎浅間神社のぼり祭りの様子>
 5つの地区の幟が見事に立ち、風にゆらいで「バタバタ」「ギーギー」と、幟竿の音が何ともいえないものだった。
 幟まつりの時は田植えも終っており、畑仕事も1段落しているので、「手休み」「骨休み」といって、近隣の村からも大勢でやってきた。夏祭りの名物である「かき氷」「にしべ焼き」のにおい、アイスキャンデー売りの声、射的、輪投げ、風船、風鈴、金魚、古本、おもちゃ等何でもあった。

 人寄せの「チョイチョイ買いな。よりどり見どり、なんでも10銭」という呼び声、学帽をかぶったバイオリン弾きの「熱海の海岸散歩する」の唄、さらし飴、ぶっかき飴なども人を集めていた。

 人出の多い2日目の正午には、南葛飾郡長、氏子総代、神主など大勢集まり、小学生は羽織、袴で参列して「君が代」を歌った。そして、お供物のお菓子をもらったことがうれしかったと古老は語っている。

 それから、お神楽、芝居、祭りばやしなど、にぎやかであった。子どもたちはおさい銭をあげ、かき氷や団子を食べ、ぶっかき飴などを買って楽しんだ。
(わが街篠崎(江戸川区立篠崎中学校)より)

ほとんどの祭りが集客のために土日に変更になっている中、このお祭りは土日に関係なく昔ながらの6月30日から7月2日までになっているようである。

のぼり祭り(のぼり立ては2年に1回実施)
昭和56年には、江戸川区指定無形民俗文化財に指定されている。重さ1t以上の幟10本(これは幟の大きさ、祭りの規模ともに日本最大である。)を掲げる祭りである。
(例:6月29日枠いけ、 6月30日朝6時から幟上げ、7月1日大祭、7月2日幟返し)

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日本最大規模の幟祭り 3年ぶりに開催 篠崎浅間神社
                                                     (産経新聞  2012.06.30掲載)

  前回の人力復活30周年以来、3年ぶりに江戸川区の篠崎浅間神社(上篠崎1-22-31)で、富士山の山開きである7月1日の前日、直径25㌢、重さ1㌧、長さ約21㍍の杉の丸太に「奉献浅間大神」と書かれた幟旗をつけると最長で約25㍍にも及ぶ幟10本を立て、五穀豊穣祈願する祭礼の「幟祭り」(江戸川区指定無形民俗文化財)が、6月30日の早朝6時から祭礼、7時から見どころとなる「幟上げ」と行われた。



江戸時代中期から行われている行事で、一時期は人手不足や費用の問題が重なりクレーンなどを使った事もあったが、現在は約300人が所属する、「幟会」(大塚誠会長)が誕生して、2年に一度、前回から大勢の地域の方にも参加していただこうと幟上げは日曜日の開催となったが、今年は週末土曜日に当たり6月30日に行われた。(昨年は東日本大震災の影響で中止)

  境内では露店が出店して、カラオケ、踊りなどの演芸大会が行われ、7月1日は大祭となり、幼稚園児140名による行列や雅楽「浦安の舞」が奉納される。7月2日は幟を下げる、「幟返し」が行われる予定。 
 
 重さ1トン高さ25メートルもの「幟のぼり」10本を神社境内に立て五穀豊穣を祈願する「幟のぼり祭」が篠崎浅間神社(上篠崎1丁目)で行われ、氏子や地元住民など約600名が参加しました。
(江戸川区HP)

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Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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