亀戸香取・勝運商店街でバイオリン演歌(書生節)

2012年3月25日(日)、亀戸香取・勝運商店街のイベントにKOTO街かどアーチストとして「昭和ロマンを楽しむ会」が参加した。

香取神社の参道沿いに明治時代から発展してきた勝運商店街は江東区で最も古い歴史を持って言いる商店街らしい。



現在、観光レトロ商店街をめざして昭和レトロ風にモルタル塗装した「看板建築」に少しずつ変身している。あと数年経てばすべての店舗が昭和レトロ風に改築されることを期待したい。

そうなればこの商店街は昭和歌謡・書生節にぴったりの町並みになるであろう。

ゆめじのお気に入りは花屋さんのすみれの看板建築である。

看板建築:大正期から昭和期において関東各地で見られた建物前面をモルタルや銅板で装飾する技法


香取神社といえば、千葉県の香取神社のすばらしい鎮守の森を思い出す。亀有の香取神社の境内で大道芸をやったことがあったが、亀戸にも香取神社があるとは、亀に縁がある神社なのであろうか。

参道での演目は、バイオリン演歌(書生節)、皿回しと江戸独楽、江戸糸操り人形、ジャグリング、猿回しであった。

大道で演芸をやっていると飲み屋さんとデイサービスから年配者向けとして面白いからお店や施設でやってほしいとの依頼があった。


昭和歌謡 昭和ロマンを楽しむ会
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共育プラザ葛西でバイオリン演歌(書生節)



2012年3月22日(木)、共育プラザ葛西(江戸川区)で開催された春のお楽しみ会である「桜花お楽しみ会」の余興に大道芸研究会の一員として「昭和ロマンを楽しむ会」が出演した。

「共育プラザ」はとは中学・高校生の活動支援や子育て支援を行う区の施設である。つまり乳幼児から高校生(18歳の年度末)までしか利用できない施設であり、われわれがいつもお伺いしているデイサービスや高齢者施設とまったく違う足を踏み入れたこともない施設であった。

お楽しみ会の演目は、楽しい手品、腹話術、バイオリン演歌(書生節)、皿回しと江戸独楽芸の4つであった。参加者は小児と子供を含めて60名以上と思われた。


お客さんは乳児から幼稚園児までとそのお母さん方であった。唱歌等の演奏を依頼されたときどんな曲を演奏するか困ってしまった。あれこれ悩んだ結果、無難にお母さんが知っている歌と子供が好きそうな歌を両方やることにした。

ソフトバンクの「乗り換えると自転車がもらえる」CM(お父さん自転車篇)で白犬とトリンドル玲奈が自転車に乗って歌っている「青い山脈」から開始した。幼児たちは前奏が始まるとリズムを取ったりして楽しそうに飛び跳ねだしたのでちょっと安心した。子供たちは歌なんか知らなくても体を動かしやすいリズムに反応するようだ。

映画「となりのトトロ」の「さんぽ」や「アンパンマンのマーチ」にはかなり反応して歌ってくれたりしたのでうれしくなった。

いつも年配者ばかりを相手にしてきたが、今回はなんとか皆さんに楽しんでもらってよかった。

演奏した曲:
青い山脈さんぽ、花、さくらさくら、どんぐりころころ、南の島のハメハメハ大王、アンパンマンのマーチ東京節

手品:おたんこナース、腹話術:山田とこ、バイオリン演歌:帝大生ゆめじ&青空ぴーまん、皿回し&江戸独楽:麻布十兵衛

ラバウル小唄(南洋航路) 戦時歌謡





太平洋戦争中に、ニューブリテン島(現在のパプアニューギニア)のラバウルには大日本帝国海軍、陸軍の戦闘・爆撃・偵察等の各航空隊の基地(本部)があった。
このため、ラバウルは連合軍による激しい空爆を繰り返し受けたが地上戦はなかった。

ラバウルには約9万名もの日本陸海軍将兵が篭城して要塞化したためか戦線はフィリピンおよび日本本土方面へと移り、ラバウルは完全に戦局から置き去りにされてしまった。

このため日本が降伏したときにはたくさんの日本軍兵士が残留しておりその後日本へ引き揚げてきた。

ラバウル小唄は1944年(昭和19年)頃、太平洋戦争末期に流行した。この歌は1940年(昭和15年)にビクターから発売された「南洋航路」(赤い夕日が波間に沈む・・・)の替え歌である。(作詞:若杉雄三郎、作曲:島口駒夫)

沖縄の八重山列島出身の三線の方と吉祥寺でライブを一緒にやったことがあったが、なぜか最後にラバウル小唄をみんなで歌った。その方の話では、子供の頃、連絡船が出航するときに五色のテープを投げてこのラバウル小唄が流れる中、船が出て行っていたそうである。八重山の方にとってもこの歌は懐かしい歌らしい。

それを聞いて、やはりこの曲名は「ラバウル小唄」ではなくて元歌の「南洋航路」だなあとなぜか納得した記憶がある。

もちろん、施設で歌っても明るくて男女に関係なく人気のある曲である。戦時歌謡といっても戦争らしい歌詞はない。4番に元歌「南洋航路」の歌詞が入っている。

       ラバウル小唄(南洋航路)      昭和ロマンを楽しむ会 演奏

さらばラバウルよ また来るまでは
しばし別れの   涙がにじむ
恋しなつかし   あの島見れば
椰子の葉かげに  十字星

船は 出てゆく  港の沖へ
いとし あの娘の 打ちふるハンカチ
声をしのんで   こころで泣いて
両手合わせて  ありがとう

波のしぶきで 眠れぬ夜は
語りあかそよ デッキの上で
星がまたたく あの星見れば
くわえ煙草も ほろにがい

(4番)<南洋航路>
赤い夕陽が   波間に沈む
果ては何処ぞ  水平線よ
今日もはるばる 南洋航路
男船乗り    かもめ鳥 

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 軍歌  昭和リスペクト (Showa-Respect) 

さんぽ 映画「となりのトトロ」 昭和63年



「さんぽ」はスタジオジブリ映画「となりのトトロ」のオープニングテーマ(1988年)である。   (作詞:中川季枝子、作曲:久石 譲、歌:井上あずみ)
「アンパンマンのマーチ」と同じく1988年の曲で昭和最後のアニメソングであり、明るく軽快な曲で現在でも幼稚園などで歌われる定番となっている。

この歌「さんぽ」を聞いてゆめじが思い出すのは「あの町この町」という唱歌(1924)である。「さんぽ」も「あの町この町」も子供の頃のちょっとした街の探検を題材にしている。

幼稚園や小学校低学年の頃に高学年のお兄さんたちに連れられて知らない街(違う小学校の校区)へ行くのがなんだか怖いようなわくわくするような気がしてとても楽しかった。大人になって歩いてみるとたいした距離ではないが子供の時には迷子になってしまいそうな知らない場所であった。

「さんぽ」を聞くと子供の頃の町やちょっと離れた丘の墓地や丘を登ったところにあった原っぱ(広場)で遊んだことを思い出して懐かしい。子供たちは、夏になると隣町にある神社の夏祭りにも「歩くの大好き、どんどん行こう」であった。

               昭和ロマンを楽しむ会  書生節演奏: 帝大生ゆめじ&青空ぴーまん
さんぽ

*歩こう 歩こう わたしは元気
歩くの 大好き どんどん行こう

坂道 トンネル 草っぱら 一本橋に でこぼこじゃりみち
クモの巣くぐって くだりみち

*くり返し

蜜蜂 ぶんぶん 花畑 日向にとかげ へびは昼寝
ばったが飛んで 曲がり道

*くり返し

きつねも狸も でておいで たんけんしよう 林の奥まで
友達たくさん うれしいな
友達たくさん うれしいな

「あの町この町」


野口雨情作詞、中山晋平作曲 「コドモノクニ」1924年(大正13年)

あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる
今きたこの道  かえりゃんせ かえりゃんせ

お家(うち)がだんだん  遠くなる 遠くなる
今きたこの道            かえりゃんせ かえりゃんせ





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Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

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昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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