千葉中央公園で昭和歌謡



12月25日(日)の千葉中央公園で昭和ロマンを楽しむ会として公開練習を実施した。
まず近くにある千葉銀座商店街で「いい街ちばフリーマーケット」をやっていたのでそこをのぞいてから昼食としてなつかしいハヤシライスを食べた。

千葉中央公園の太陽が当たっている場所はそんなには寒くはなくいい条件であった。ひなたぼっこをしている年配者が多いのでそのまま懐メロの聴衆になってしまう。また、千葉銀座商店街への通り道でもある。

練習内容は、来年の課題である「ウオーキングアクト」(Walking Act or Walk Act)である。

目をひくような格好で会場を歩きまわるのを見て楽しんでもらうのが「ウオーキングアクト」のようだが、チンドン屋や托鉢僧も日本に昔からある 「ウオーキングアクト」の一種であろう。ブラスバンドの行進もウオーキングアクト」であろうか?

昭和ロマンを楽しむ会も立ち止まっていないで移動しながら昭和歌謡を演奏して歌えないものかと挑戦してみた。公道でも立ち止まらなければ歌おうが演奏しようがなんら問題はない。

でも歩きながら演奏して歌ってみるとかなり難しいことがわかった。東京節や三百六十五歩のマーチのようなものは簡単だが、旅の夜風などはかなり難しいことが分かった。チンドン屋さんはどんな曲でも演奏しながらどんどん歩いていくのですごい。

二人で練習していると聴衆の中から一人の老人がやってきて、「そんなに演奏できるなら千葉駅の近くでやりなさい、もったいない!」と声をかけてきた。「来年のイベント用に練習しているだけですから----」といってもしきりに勧めてくる。

「こんな公園で演奏しててもやはり心臓が必要だよ」という(度胸のことか?)。シベリア抑留体験者だという87歳の元気な老人は最後に「コンビにでお昼でも買って食べなさい」といって千円札を渡して去っていった。

大道芸人はハングリー精神が必要なのだろう。また、たいしたことがないことを人前で大げさにやって「すごい!」と感じさせる演出が必要である。これができたら昔いた香具師であろう。

87歳というと終戦時に21歳か、戦争に行きシベリア抑留された大変な体験をされた方だった。東日本大震災も大変だが日本にはもっともっと大変かことがあったのだがその体験者たちもどんどんいなくなっている。生存しているうちにいろいろな経験を聞いておくことが必ず将来の日本のために役に立つはずである。

近頃、駅前で”ストリートライブ(路上ライブ)”と告知してあっても実際には若い女性がカラオケで歌を歌っているだけのようなライブ?をよく見かける。あれはライブではないと思うがどうであろうか。

おじさんやおばさんがやったら絶対に「駅前カラオケ」であろう。

昭和ロマンを楽しむ会 昭和歌謡 書生節 バイオリン演歌
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美しき天然 (皿回し実演)



「美しき天然」の作曲者は佐世保海兵団軍楽隊軍楽長であった田中穂積、作詞者は滝廉太郎の作曲した「花」(春のうららの隅田川)の作詞で有名な武島羽衣である。

佐世保女学校の教材用作品と作られ、その後全国の女学生の愛唱歌となった。
その後、活動写真(映画)の伴奏曲として、またサーカス(曲馬団)や見世物小屋で演奏されるようになり広く一般に知れ渡った。

100年以上前の女学生の愛唱歌も今ではサーカス、見世物小屋、チンドン屋等の曲として残っている。

ゆめじが初めてバイオリンで書生節を演奏するときに教えてくれた曲が美しき天然の替歌であった。「ああ世は夢か幻か」と歌い始める物語であった。

誰も知らないだろうと都内の大道ででこの替歌を歌っていると「男三郎の唄だろう」と声をかけてきた老人がいた。何で知っているのですかと聞くと、「元警察官だったからこの話をよく知っているのだよ!」といわれたことがある。

この話とは東京で起こった猟奇殺人事件「野口男三郎事件」(人肉ス-プ事件)である。ハンセン病(らい病)に関連する事件であった。

美しき天然の替歌を語るときに必ず登場するのがこの「野口男三郎事件」である。
野口男三郎が獄中で作った詩に当時流行していた「美しき天然」の曲をつけて演­歌師が歌ったのがこの「男三郎の唄」(夜半の追憶)である。

最近の皿回しは中央が円錐形になった皿回し用の皿を東急ハンズ等で買ってきてまわしているものがほとんどである。日本の古くからある皿回しはほとんど見かけなくなったのは残念である。

どんぶりの蓋、漆塗りの大きな盃、味噌汁のお椀を回していた。どんぶりの蓋や大きな盃が回しやすい。日本の大道芸ならもっと日本のおわんを回してほしいとゆめじが願っておわんを回している。

美しき天然による皿回し (帝大生ゆめじ&青空ぴーまん) 書生節(バイオリン演歌)

美しき天然

   空にさえずる 鳥の声
  峯より落つる 滝の音
  大波小波 とうとうと
  響き絶やせぬ 海の音
  聞けや人々 面白き
  この天然の 音楽を
  調べ自在に 弾きたもう
  神の御手の 尊しや

  春は桜の あや衣
  秋はもみじの 唐錦
  夏は涼しき 月の絹
  冬は真白き 雪の布
  見よや人々 美しき
  この天然の 織物を
  手際見事に 織りたもう
  神のたくみの 尊しや

「夜半の追憶(男三郎の唄)」   美しき天然の替え歌

ああ世は夢か幻か
獄舎に独り思い寝の
夢よりさめて見わたせば
あたり静かに夜は更けて 

月影淡く窓に射す
ああこの月の澄む影は
露いとしげき青山に
静かに眠る兄君の


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フランキー堺の書生節

フランキー堺の書生節


喜劇役者のフランキー堺が書生節を歌っていたのにはびっくりした。たくさんの映画に出演していてコメディアンだと思っていた。彼は喜劇役者になる前はジャズ奏者(ドラム)だったはずだがーーー

レコードのジャケットは絣の着物に袴で下駄をはいた書生姿でバイオリンを持っている。書生節のイメージは昭和36年でもこのスタイルであったのであろう。

レコードの曲目は下記である。
金色夜叉、ストトン節、ノーエ節、復興節、ギチョンチョン節、東雲節、デカンショ節

今でも書生節(バイオリン演歌)で歌う定番曲がたくさん入っている。復興節は関東大震災後の復興応援歌であり、阪神大震災や東日本大震災後の応援歌として替歌も作られている。

1961年(S36)、発売当時はまだまだ書生節が宴会などで歌われていたのであろう。

ゆめじはその頃、焼け残った戦前のSPレコードをポータブル電蓄で聴いていた時代であった。レコードは高価であり、定価が1000円もするレコードなんかは買えるはずもなかった。

1961年発売
レーベル/規格番号 ビクター/LV-211 
発売当時の定価 1,000円(税込) 

フランキー堺の書生節に関しては、ソノシート版もあったようである。ソノシート★フランキー堺/書生節[4枚組]

フランキー堺は鹿児島市出身のコメディアン、俳優、ジャズ奏者(ドラム)で昭和を代表する喜劇人の一人であった。(1929年 - 1996年)

書生節 バイオリン演歌  大正演歌 演歌師

七色唐がらし「文七」


文七兄貴は大道芸仲間で、定年退職を機会に武州川越 菓子屋横丁で2006年から「唐がらし売り」を始めた。すばらしい「口上」が売りでお客さんの目の前で面白おかしく成分の説明をしながら、七つの色をお好みの辛さや香りに合わせていく。
武州川越 菓子屋横丁で(土・日・祭)営業中

平成29年7月9日 リニューアルオープン新店舗

 
     文七 七色唐辛子実演販売(口上)

七色唐がらしは健康に良いとされている七つの材料からできている。
<黒胡麻、陳皮(ちんぴ)、焼き唐辛子、粉山椒、唐辛子、ケシの実、麻の実>



横丁で、唐辛子屋さんを見かけました。お好みで、好きな「七味」にしてくれるのです。「文七」さんという唐辛子屋さんは、七味を混ぜながら、威勢の良い口上をまくしたてます。いやあ、見てて気持ち良いもんです。             

   











                                                            


                
















 






 























帝大生ゆめじ 演歌師



学資を稼ぐためにアルバイトとして書生節(バイオリン演歌)を演奏している。つまり永遠の書生(アマチュア)である。

童謡、唱歌、軍歌、演歌、歌謡曲どんな歌でも書生の心意気で歌うのが書生節である。心にけがれがない、つまり「純潔」と、「自治」こそが書生の本領であろう。

近頃はギターで書生節を演奏したりしているようだが、そんなものは当時はなかった。やっぱりバイオリン伴奏が本道である。学内や寮で寮歌を歌うならピアノ伴奏もぴったりである。

         東京節(パイノパイノパイ)     書生節演奏(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

バイオリンと同じ4弦の小型楽器、マンドリン、ウクレレ、4弦ミニギターも伴奏で演奏する。
 
帝大生ゆめじ バイオリン演歌 大正演歌 書生節 昭和歌謡 Violin Fiddle 
 昭和演歌師 平成演歌師 昭和の演歌師 平成の演歌師 昭和ロマンを楽しむ会

亀有香取神社でバイオリン演歌・書生節 昭和歌謡 2011

香取神社で亀有のことを勉強した。旧亀有村は、1400年頃から「亀無」「亀梨」(かめなし)と呼ばれていたそうだ。正保元年(1644)の江戸幕府による「正保改定図」から「亀有」としたようである。やはり「なし」を嫌って「あり(有)」にした のであろう。

亀有の香取神社には入り口に狛犬ではなく狛亀(こまがめ)が一対設置されている(もちろん古い狛犬もちゃんといるが)。

 
これらの狛亀は、口を開いた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)になっている。写真でわれわれと一緒にいるのが口を閉じている吽形の亀である。
 
 
 
 
 
 
香取神社境内のイチョウの葉は黄色になり、その下で白い着物に赤い袴の巫女さんが落ち葉を集めている。七五三のお参りの親子連れが絶え間なく訪れ、昔ながらの地方の神社(亀有村?)といういい雰囲気であった。
 
そんな境内の真ん中で猿回しが公演、入り口近くの狛亀の石像横で昭和ロマンを楽しむ会が演奏を行った。今回は昭和ロマンを楽しむ会(女学生1名と書生2名)に加え「亀有のハーモニカおじさん」ターキー畠山が加わり4名でにぎやかであった。
 
外国人の親子連れは衣装や音楽が面白いのか子供は亀の背にまたがりみんなでしばらく聴いてくれた。アリオ亀有へ行く歩道橋の上からも立ち止まって演奏を聴いてくれた買い物客もいた。

 
 
 
 
香取神社にはあの両さん絵馬も4種類ほどあるのでどうぞ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2011年12月4日 亀有パフォーマンスパーク(風が強いため12時から開催)
亀有駅前会場
和太鼓グループ 彩、米ジャグ、たけちゃん
香取神社会場
戦豆(猿回し)、昭和ロマンを楽しむ会&ターキー畠山(昭和歌謡)
 
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奉祝国民歌「紀元二千六百年」 昭和14年


昭和14年(1939)に紀元2600年を祝うために歌詞および曲ともに国民から公募されたもので、連日、NHKのラジオで流され、広く国民の間に広がった。
(作詞:増田好生、作曲:森義八郎、歌唱:レコード各社) 
 
なお、「紀元二千六百年」は小学校女子のゴム飛びの歌「きんし輝く日本の」の元歌であり、ゴム飛びの歌は昭和末期まで全国的に歌い継がれていた。
ゴム飛び遊び歌:「きんし(キシ)輝く日本のアメリカ、フランス、ヨーロッパ・・・」
 
メロディをを知らない方々にバイオリンで弾いてもらってもハーモニカで吹いてもらっても皆さん演奏しやすいという。やはり生き残っている歌というものは覚えやすいとか演奏しやすいとかどこか特徴があるようである。名前も国民歌「紀元二千六百年」となっている。小学生も覚えやすいので遊び歌に使用してきたのであろう。
 
子供の頃、神社や地域のちょっとした広場に国旗掲揚台があってその横に「紀元二千六百年」と書いた石柱が立っていた。いまでもたまに見かける。
 
奉祝国民歌「紀元二千六百年」 書生節(バイオリン演歌)
 昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)
 
金鵄輝く 日本の     栄ある光 身にうけて
いまこそ祝へ この朝  紀元は 二千六百年
ああ 一億の胸は鳴る
 
歓喜あふるる この土を  しっかと我等 ふみしめて
はるかに仰ぐ 大御言   紀元は 二千六百年
ああ 肇国の雲青し   
 
荒ぶ世界に 唯一つ   揺がぬ御代に 生立ちし
感謝は清き火と 燃えて 紀元は 二千六百年
ああ 報国の血は勇む
 
潮ゆたけき 海原に   桜と富士の 影織りて
世紀の文化 また新た  紀元は 二千六百年
ああ 燦爛のこの国威
 
「金鵄」とは古事記とか日本書紀に出てくる"金色のトビ"のことで、神武天皇の東征の時に、弓の先にとまったという伝説の鳥。

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プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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