角天、丸天とは? 

「角天」や「丸天」はえび天のような天ぷらの一種ではない。
香具師の世界ではこの「角天」が重要な小道具となりそれを使って商売をするのが「角天打ち」であった。
 
実は角天や丸天とは帽子の種類のことである。では帽子の各部の名称から説明しよう。

帽子はクラウン(Crown)とブリム(Brim)から構成される。
Crown(帽子のてっぺん,王冠)、Brim(ふち、へり)
ブリム:ツバの部分
クラウン:帽子の山の部分でここに頭がはいる。
クラウントップ:天(天井)と呼びクラウンの頭頂部分。丸くなっていたり、平らになっていたり、へこましてあったりと様々な形がある。
 
そして、天の部分が丸いのが丸天帽(丸帽)で天の部分が角なのが角天帽(角帽)である。今でもインターネットショッピングで「丸天帽」で検索すると工場などで使用する作業帽がたくさんヒットする。

丸天帽子は、小学生から高校生までの間で広く着用されたタイプの学帽でもあった。一高型や三高型などがある。慶應義塾では、詰襟制服に、塾帽と呼ばれる独自の丸帽がある。
 
角天帽子(角帽)は一般に大学生が着用するものであった。東京帝国大学で定められた規格は「帝大型」の名で呼ばれ、他大学の角帽もこれに準じた形が多い。私立大学の角帽はまた形が異なった。

「角天」は帽子の天の部分が「角」になっている、角天帽(角帽)を意味している。そして、「角天打ち」(かくてんうち)は角帽をかぶった天ぷら大学生が大道で帝大の学生だとか、研究生だとかいいながらいい加減なものを売る商売である。
 
てんぷら:みかけばかりのもの、にせ、えせを意味する。天ぷら学生は「衣ばかり」で中身はーーー。 
 
角天打ちの商売としては、優秀な学生のふりをして実演した後に解説書を売る「速算術」、「記憶術」、健康、衛生、薬草の講義をした後に健康関連の本を売るようなものがあったようである。
 
バイオリンを片手に角帽の書生姿で歌本を売る書生節も優秀な学生のふりをする必要はないが一種の「角天打ち」であろう。
 
「打つ」は芝居や相撲を興行することなどを意味し、商売することである。大道では売る商品にふさわしい姿で商売する必要があった。
角帽をかぶって商売するのが「角天打ち」、山伏の姿をしてお札を売るのが「行者打ち」、大工姿でのこぎりを売るのが「職人打ち」等である。
 
買った側からすると、「打つ」とは目的達成のために計画的に仕組んで、「一芝居打つ」という意味かも知れない。 

現代の「角天打ち」として学生服に角帽をかぶって大学いもを作って売っている店があるようである。
「芋にいちゃんの店 」(岐阜県海津市)
 
帝大生ゆめじ

「角天打ち」ではなく「角打ち」とは
広辞苑にも登場「角打ち」の魅力とは?
2018/2/13(火) 西日本新聞
角打ち-。北九州市民にとってなじみ深い言葉が今年、10年ぶりに改訂された広辞苑(岩波書店)にお目見えした。「酒を枡(ます)で飲むこと。また、酒屋で買った酒をその店内で飲むこと」。四角い容器の枡に注いだ酒を飲むことが語源とされ、酒店の店先で立ち飲みするスタイルは、日本の四大工業地帯の一つで、労働者の街でもあった北九州市では日常の光景だが、かつては全国区ではなかった。立ち飲みの飲食店とは違い酒店で立ち飲み。

広辞苑第七版 《【角打ち】酒を枡で飲むこと。また、酒屋で買った酒をその店内で飲むこと。》
酒を購入し、その場ですぐ飲むことのできる酒販店である。個人経営の小規模な店で、酒販店の一角にカウンターテーブルを備え、そこで飲むことができる形態が多い。
サービスはなく、酒代は酒屋の販売価格のみとなる。
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靖国神社 満州赤十字及び李登輝前総統のぼんぼり





九段にある靖国神社の「みたままつり」に行き、参拝してきた。以前に終戦記念日の8月15日に参拝した時は軍服姿のコスプレおじさんなどがいて違和感があったが「みたままつり」では浴衣や普通の服の方がほとんどであった。

あいかわらず、参道には露天が並び、なつかしいお化け屋敷や見世物小屋もあり、呼び込みの声も健在であった。300円のかき氷がおいしかった。

夕方少し前だったので提灯はまだ点灯されていなかったが、ジーゼルの自家発電装置がたくさん置いてあり電力の1/3を自家発電でまかない、電球の一部はLED電球に交換し消費電力を抑えているらしい。


ずらっと掲げられた懸雪洞(かけぼんぼり)を見ていくと、「満州赤十字従軍看護婦の御霊」と書かれた看護婦の絵を見つけた。
満洲国赤十字社は1938年10月1日に設立され、満州国の滅亡と同時に消滅した(1945年)。そして、たくさんの関係者が亡くなり日本に帰ることができなかった。皆さん生きていれば85歳以上の方ばかりであろうと思うが、ご健在な関係者がいらっしゃるのであろうか。

バイオリンで書生節をやっていると満州に関する歌のリクエストが時々ある。また、子供の頃満州からの引き上げてきた家族もたくさんいたので「満州」という言葉にゆめじは反応する。

「ワンさん 待っててちょうだいね」の満州娘を歌ってくれなどはすぐ歌えるように用意万端整っているが、「満鉄社歌を歌え」などは困ってしまう。満鉄社歌(南満洲鉄道株式会社社歌)は東海林太郎が歌っているが格調高いいい歌である。
満州国:1932年から1945年まで現在の中華人民共和国東北部に成立した国家

李登輝前総統の懸雪洞「 國護仁成 」
2007年6月7日に李登輝前総統が日本訪問時に靖国神社を参拝して中国が激しく反発したことがあった。その李登輝も「 國護仁成 」と書かれた懸雪洞を靖国神社のみたま祭りに奉納していた 。

「仁を成して国を護る」の意味だ。確かに、国をまもるには力もお金も必要だが、思いやりの道徳観がなければ国は滅びるだろう。まさか「 國護仁成 」は菅首相に対して諭している言葉ではないと思うがーーーー

<李登輝前総統の当時の発言>
「60年会っていない兄さんが靖国神社に祀られている。もし行かなければ、人としての道に外れる。22年前、東京へ行った時は、自分の兄が靖国神社に祀られていることを知らなかった」
「父は死ぬまで兄の死を認めず、そのため位牌も墓も何もない状態であった。靖国神社に祀られていることに感謝している」

靖国神社記録:李登輝さんの兄(海軍上等機関兵、李登欽)は、昭和20年2月15日にフィリピンのマニラで戦死。

亀戸 はねかめまつりで昭和歌謡

20011年7月10日(日)、江東区亀戸文化センターが主催している「はねかめまつり」の屋外ライブに昭和ロマンを楽しむ会として参加した。

 

ライブの場所は羽付き亀の像があるカメリアプラザの前の亀戸駅前公園である。
覚悟はしていたがステージは炎天下であった。しかし観客席は木陰に設営してあり、「観客第一」の考え方でうれしかった。このためか、年配の方や子供連れも座ってわれわれの演奏を聴いてくれた。
東日本大震災復興応援歌として昭和の歌である「アンパンマンのマーチ」と「三六五歩のマーチ」を最後に歌った。アンパンマンのマーチはやはり人気でどこからか子供たちが集まり近くで飛び跳ねていた。
 
夏の屋外ライブでウクレレ伴奏ということで、今回は「酋長の娘(私のラバさん)」と「憧れのハワイ航路」もプログラムに入れた。
 
終わってから食べた100円のかき氷は喫茶店の300円のアイスコーヒーの何倍もおいしかった。やはり、夏のお祭りにはかき氷が一番である。
 
はねかめまつり 20011年7月10日(日)
屋外ライブ:亀戸駅前公園(カメリアプラザ前)      
10:30~11:00 ソーヤー谷村 (KOTO街かどアーチスト)
11:00~11:30 昭和ロマンを楽しむ会(KOTO街かどアーチスト)
11:30~12:00 浅草十一寸(KOTO街かどアーチスト)
12:00~12:30 太鼓アイランド江東   
12:45~13:15 香取小学校        
13:20~13:50 第三亀戸中学校     
13:50~14:20 中央学院大学中央高校 
14:20~14:50 千葉スイングタイムズ(KOTO街かどアーチスト)
15:00~15:30 梅后流江戸芸かっぽれ亀戸道場

バイオリン演歌 書生節 ウクレレ 帝大生ゆめじ 青空ぴーまん

銀座カンカン娘(高峰 秀子) 昭和24年

「銀座カンカン娘」は 新東宝映画「銀座カンカン娘」の主題歌であり、高峰秀子が歌った。(昭和24年、1949年)

映画では高峰秀子はもちろんだがブギの女王、笠置シヅ子の「銀座カンカン娘」も聞くことができる。

高峰秀子は子役から大女優になった映画スターである。高峰秀子といえば、映画「二十四の瞳」(1954年)や「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)が有名である。「二十四の瞳」といえば、小学校の校庭での卒業式で足踏み式オルガンに合わせて歌う「仰げば尊し」が印象的であった。今でも「仰げば尊し」といえば、このシーンを思い出す。
 
「歌う映画スター」第1号は「高田浩吉」であるが、高峰秀子も歌が上手な映画女優であった。
銀座カンカン娘をカバーしている歌手は多いが、本職なので上手で当たり前だが、専業歌手に負けない「歌う映画スター」だと思う。
 
4番の歌詞には商標である「カルピス」という言葉が入っているので放送はできなかった。若者には分からないだろうが、「カルピス=初恋の味」というフレーズがなつかしい。このため、昭和ロマンを楽しむ会としては必ず4番の「カルピス飲んでカンカン娘」を歌うことにしている。
 
    バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 

銀座カンカン娘(佐伯孝夫作詞、服部良一作曲)
あの娘可愛や カンカン娘
赤いブラウス サンダルはいて
誰を待つやら 銀座の街角
時計ながめて そわそわにやにや
これが銀座の カンカン娘
これが銀座の カンカン娘
 
カルピス飲んで カンカン娘 
一つグラスに ストローが二本
初恋の味 忘れちゃいやよ 
顔を見合わせ チュウチュウチュウチュウ
これが銀座の カンカン娘 
これが銀座の カンカン娘  
 
カルピス(Calpis)  「初恋の味」のキャッチフレーズ   
 「カルピス」のキャッチフレーズ「初恋の味」は、1920(大正9)年、三島海雲の文学寮時代の後輩である驪城(こまき)卓爾が『甘くて酸っぱい「カルピス」は「初恋の味」だ。これで売り出しなさい』と提案したことがきっかけ

驪城は海雲を訪ね、『「カルピス」はやはり初恋の味だ。この微妙・優雅で純粋な味は初恋にぴったりだ』とすすめた。驪城は『初恋とは、清純で美しいものだ。それに、初恋ということばには、人々の夢と希望とあこがれがある』という言葉に海雲も納得した。1922(大正11)年4月の新聞広告にキャッチフレーズとして使用したのが始まりです。

好景気で世の中は明るく、このモダンなキャッチフレーズは世情にマッチし、またたくまに日本中に広がっていった。


1922(大正11年)年5月1日 『東京朝日新聞』
















1923(大正12年)年6月10日 『東京朝日新聞


















Ginza kankan musume 銀座的康康舞女郎  
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亀有食品市場で昭和歌謡

2011年7月3日(日)、葛飾区亀有駅前での東日本大物産展にあわせて大道芸等が行われた。

「昭和ロマンを楽しむ会」は亀有のハーモニカおじさん(ターキー畠山)と一緒に「亀有食品市場」というなんと昭和レトロにぴったりの場所で演奏した。廃屋のような建物の前で演奏しているがこれが市場の裏口である。
今回はハーモニカのためにC調やAm調の曲と、シャープもフラットも付かない他の調の曲を選んで演奏した(15-16曲)。地元の方で用事のある方々しか通らないようで周りの雰囲気に合ったようなのんびりしたライブ演奏であった。
 
演奏を聞いた近所のおばさんが譜面を持ってきて「これ、はやっている歌だけど演奏して」と無理に頼んできたりした。
 
「亀有食品市場」は、八百屋や魚屋など食料品を売る小型店舗がひしめき合う共同市場だ。いろいろな食材がとても安く、亀有だけでなく、綾瀬や柏からもお客さんが来るそうである。
 
市場の中は、大きな建物の中か、いや、狭い路地の中かよく分からないような構造であった。市場内は買い物客で混雑しているが、裏口はものすごくさびれた風情である。風も通って涼しいが、時々近道のためか自転車まで通り抜けてくる。
 

狭い市場の通路の真ん中に置かれている水飲み場(陶器製)は狭い市場で通行の邪魔と思われるし、壊れて使えないようであるがたしかにレトロな感じで味わいがある。
水のみ場の流しをのぞくと、「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」の作者である秋本治(葛飾区亀有出身)が「ご幼少の頃この水のみ場で遊んでいた」とダンボール紙に書いて置いてあった。
 
市場の裏口に出ると、ここが本当に市場だと気づく事もないような店構えである。「亀有食品市場」は中身で勝負するのであろう。
 
昔はこんな市場やお店がたくさんあったなあと懐かしくなった。

 
帝大生ゆめじ&青空ぴーまん&ターキー畠山(ハーモニカ) 
昭和ロマンを楽しむ会 バイオリン演歌 書生節 ウクレレ

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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