スカラーソング(箱根八里の替歌)


箱根八里の八里とは、旧東海道の小田原宿から箱根宿までの四里と箱根宿から三島宿までの四里をあわせた八里だそうである。 「箱根八里」は1901年(明治34年)に発行された「中学唱歌」である。(鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲)

「なんだ神田の神田橋」という文句は、香具師の寅さんの「なんだ神田の神田橋、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立小便」という口上にも使われている。

「箱根八里」は、大変流行したらしく、たくさんの替え歌が作られた。その中で一番有名なのが、演歌師の神長瞭月作詞による「スカラーソング」である。スカラーソング(Scholar song)とは学生の歌という意味か。書生姿の演歌師が大道でまずこの「スカラーソング」をバイオリンで歌って客集めをしたらしい。あのエノケン(榎本健一)もスカラーソングを歌っている。

スカラーソングを作詞した神長瞭月は、演歌の伴奏楽器として初めてバイオリンを使用した先駆者(パイオニア)である。やはりこの曲は三味線やギターではなく、バイオリン伴奏で歌うべきであろう。

スカラーソングは、当時の世相の風刺歌である。1番では安月給取り(安サラリーマン)、2番では「芋書生」の貧しく哀れな状況を物語りとして面白く語っている。今流に言えば、競争激化における「格差」を問題にしているのであろう。

明治になって士農工商の身分制度(障壁)が崩壊し、各階級においてそれなりに生活していたのが自由競争となった生存競争の舞台を歌っている替歌である。

当時のサラリーマン家庭の内職の様子や、学生生活が分かり現代でも面白い。
「月給取りや九円(食えん)」「ボタンかがり(麻糸つなぎ)の手内職」、「1銭で焼き芋」、「2銭であんパン」

スカラーソング(昭和ロマンを楽しむ会)

Violin & Ukulele
http://dl.dropbox.com/u/18931763/Sound/scholarsong_2011blog.mp3

なんだ神田の神田橋、朝の五時ごろ見渡せば
破れた洋服に弁当箱さげて てくてく歩きの月給とりや九円(食えん) 
自動車飛ばせる紳士を眺め ホロリホロリと泣き出す、
神よ仏よよく聞きたまえ 天保時代のもののふ(武士)も 今じゃ哀れなこの姿 
内では山ノ神がボタンかがり(麻糸つなぎ)の手内職
十四の娘はタバコの工場(こうば) 臭いはすれどキザミも吸えない
いつでもお金は内務省よ、
かくこそあるなれ 生存競争の活舞台(かつぶだい)

金こそ無けれ天下の士 断食するもものならず 
一銭ありゃ焼き芋 二銭ありゃあんパン
前歯でかじり後えにさぐる 雲か山か踏み破る おなかは鞭声しくしく
土よりも真っ黒な木綿の破れぎぬ 小倉の白袴は垢でなめらか
一厘に買うや買わずの 薄っぺらなる薩摩下駄 
帝都に旅する豪気な書生は 大道は狭しと肩で風切り 
下宿屋の四畳半じゃ天下を論ずる
かくこそあるなり 二十世紀の芋書生

「弁当箱さげて、てくてく歩きの月給とり」
弁当(Bento)は世界的に有名になった。昔は外食などせずに子供から大人まで弁当を持って出かけたが、いまや「腰弁当(腰弁)」や「駅弁」は死語になりつつある。
腰弁当:
(1)腰に弁当をさげて出かけること。腰弁
(2)江戸時代、勤番の下侍がはかまの腰に弁当を結び付けて出仕したことから、日々弁当を携えて出勤するような、小役人や地位の低い勤め人。安サラリーマン。腰弁。

もののふ(武士):箱根八里の歌詞は「もののふ」であるが、「さむらい」や「ちょんまげおやじ」と歌っている音源もある。
薩摩下駄:書生下駄、せんべ下駄と歌っているのを聞いたこともある(ちびて下駄の歯がなくなってしまった下駄)

「なんだ神田の神田橋」
神田橋のあたりは、今の霞ヶ関のような場所で官公庁が多かったらしい。今でも神田橋のあたりには大手町合同庁舎、東京国税局、経団連会館、郵政公社などがある。

「下宿屋の四畳半じゃ天下を論ずる かくこそあるなり 二十世紀の芋書生」
下宿で天下を論じたりするのはわれわれの学生時代もそうであったが、現代の学生は何を論じているのだろうか。

帝大生ゆめじ 書生節 バイオリン演歌 大正演歌 演歌師 昭和の演歌師 平成の演歌師 
スポンサーサイト



江東こどもまつりでアニソン 2011

2011年5月15日(日)、江東区猿江恩賜公園で第23回江東こどもまつりが開催され、「昭和ロマンを楽しむ会」も江東街かどアーチストとして参加した。
 

天気もよく、開催前の10時ごろ公園へ到着すると、こんなに子供がいるのかというぐらい赤ちゃんから小学生まで子供連れの家族で一杯である。
本部でお弁当・お茶と江東街かどアーチストののぼり旗(スタンド付きで重い)をもらって木陰の公演場所を確保した。目立ちたいアーチストは直射日光の当たる人通りの多い四辻で頑張っているがわれわれにその気力はない。
 
昭和の歌謡曲の曲名を書いた大きなビラを木に貼り付け、子供寄せのために手作りの皿回し用の道具を風呂敷に並べて開店である。この日のために一応準備した昭和の子供用アニメの歌もあるがどのくらい興味を持ってくれるであろうか。
 
まず、年配の一行がとおり、曲名ビラをみて懐かしいとリンゴの唄」をリクエストをしてくれて「青い山脈」、「街のサンドイッチマン」等を一通り歌う。
 
子供を集めるためにぴーまんさんがバイオリンで「ポニョ」を弾き、ゆめじが皿回しをしてデモンストレーションすると子供たちが集まり始めた。そこで皿回しを教えてあげるよと「皿回し講習会」の開始である。
 
子供が皿回しを始めると、私も僕もと次々子供たちが集まり収集がつかなくなってくるほど大人気であった。今も昔も「遊びは子供の未来をつくる」らしい。
 

こどもまつりのために準備した歌を片っ端から歌っていったがーーーー

子供に人気があった昭和のアニメソングでは圧倒的に「アンパンマンのマーチ」であった。古い「ドラえもんの歌」も知っていたが、「新しいドラえもんの歌をやって!」とすぐリクエストがくるが「歌えないんだ」と逃げた。「ゲゲゲの鬼太郎」や「南の島のハメハメ大王」は幼稚園で歌ったそうで知っていた。
 



           アンパンマンのマーチ  (昭和ロマンを楽しむ会 書生節演奏)

あんなに大ヒットしたのに興味を示さなかったのが1975年の「およげたいやきくん」(レコード売上げ450万枚以上)や1976年の「山口さんちのツトムくん」(レコード売上げ150万枚)であり、ヒットした歌でも子供たちに必ずしも歌い継がれていないことがよく分かった。
 
その他、子供たちからリスエストのあった歌は、アイアイ、とんぼのめがね、かたつむり、ぞうさんなどであった。このあたりの歌は昔からの定番であろう。われわれが子供の頃歌った歌もどんどん歌って次の子供たちへも歌い継いでほしいものだ。
 
演奏した昭和アニメソング等:月光仮面の歌(1958)、鉄腕アトム(1963)、ゲゲゲの鬼太郎(1968)、およげたいやきくん(1975)、山口さんちのツトムくん(1976)、南の島のハメハメ大王(1976)、ドラえもんのうた(1979)、アンパンマンのマーチ(1988)
 
昭和ロマンを楽しむ会 帝大生ゆめじ&青空ピーマン バイオリン演歌 書生節 ウクレレ

若いお巡りさん(曽根史朗) 昭和31年


昭和31年(1956)の 日活映画「若いお巡りさん」主題歌で曽根史朗が歌った。(井田誠一作詞、利根一郎作曲)
上野坂下交番を舞台にしたお巡りさん達の物語で、曽根史郎本人や宍戸錠が出演している。

警察官を歌った歌ではその20年後(1976)、ピンク・レディーの「ペッパー警部」があるが他にはあまりないと思う。なお、「若いお巡りさん」は地域によってはお祭りのお囃子になっていて、山車を引きながら演奏して歌っている。
昭和歌謡もここまでなっている歌は少なく、知っているのでは他に「とんがり帽子」ぐらいではないか。

歌詞の2番は田舎から東京へ出てきた家出娘、3番は納豆売りの苦学生を歌っている。昭和31年頃はまだ朝の納豆売りをしていた学生がいたのであろう。現在では、朝のバイトとしては新聞配達ぐらいであろうか、牛乳配達は今どうなっているのだろうか。

若いお巡りさん(昭和ロマンを楽しむ会)


若いおまわりさん

もしもしベンチでささやくお二人さん 早くお帰り 夜がふける
野暮な説教すんじゃないが ここらは近頃物騒だ
話の続きは明日にしたら そろそろ広場の灯も消える

もしもしタバコをくださいお嬢さん 今日は非番の日曜日
職務訊問(しょくむじんもん)警棒忘れ あなたとゆっくり遊びたい
鎌倉あたりはどうでしょうか 浜辺のロマンスパトロール

今のおまわりさんは「職務訊問」はできず、「もしよろしければ、--」と「職務質問」しかできないそうである。

この歌を施設で歌った時、最後にわざわざ握手を求めに来て、「元警察官で上野の交番の巡査だったことがあるので懐かしかった」とのことで驚いた。当時は、勤め先に無断で故郷へ帰ろうとする奉公人などがいて、「どんな理由にせよ勤め先や両親に迷惑がかかるからちゃんと勤務先に連絡してからにしなさい」などと説得したりして大変だったこともあったそうである。

千葉県や茨城県ではこの曲はお祭りのお囃子になっていて、山車を引きながら演奏してる。(鹿島神宮神幸祭山車祭、佐原諏訪神社祭礼)つまり、当時のはやり唄(新曲)が取り入れられて端物(はもの)になっている。

端物(はもの)としては、書生節としてバイオリンで演奏されるもの(船頭小唄、どこまでも節など)から、若いお巡りさんやラバウル小唄などたくさんの懐メロがある。

平成21年鹿島神宮神幸祭山車祭(茨城県鹿嶋市)若いお巡りさん


端物(はもの)
端物は、祭礼中もっとも演奏される一般的な曲群である。基本曲以外は、各流派各下座連により独自の曲を持つことも多い。民謡や端唄などを取り入れる柔軟さを持ち、現在でも新曲を取り入れるという姿勢が見られる。

昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌, 懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,昭和歌謡,戦時歌謡,享受昭和浪漫的会,帝大生ゆめじ&青空ぴーまん

「復刻」角帽が大人気 「帝大角帽」


大学生や高校生が帽子をかぶらなくなって何十年になるのだろうか。ゆめじの学生のイメージは冠婚葬祭すべてフォーマルウエアとして学帽に制服姿であった。
 
昔の書生は学生服も持っていたが、普段は学帽に着物姿が多かったようだ。
 
京都大学生協ではいまでも角帽を販売しているらしい。東京大学生協では、残念ながら東大グッズとしてミニ学帽が売られているのみである。
 
帝大帽に関する記事(京都新聞 2001.12.15)

京都大学生協(京都市左京区)がこのほど、京大生がかつてかぶっていた角帽を「復刻」、販売し始めた。下駄を鳴らしてかっ歩したOBらに好評という。
 
 角帽は旧京都帝大時代からの伝統がある。大学近くで角帽を製造・販売していた、大学近くの山本帽子店によると、戦後はかぶる人が減り、一九六〇年代後半にはほとんど見られなくなったという。そのため、角帽作りもやめてしまった。
 
しかし近年、新入生などから同生協へ「角帽をかぶって入学するのが夢だった」などの声が寄せられるようになったという。そこで卒業生から六〇年前後の帽子を借り、市内の帽子店に「復刻」を依頼した。ひさしなど革製だった部分はビニールに変更したものの、角がやや丸い当時の形や、旧字体で「大學」と書かれた記章など細部は忠実に再現した。
 十一月から一個五千八百円で販売。一週間で十個前後が売れるヒットになった。ただ、購入するのは昔を懐かしむ年配の人や教員がほとんどといい、生協では「伝統の角帽も、茶髪の現代っ子にはピンと来ないのかも」と話している。
 
                                                    
 
 
 東京大学生協のミニ学帽 
東大グッズとしてミニ学帽が売られている。どのように使用するのか不明だが人形にかぶせておくものか?

 
 
 
                  
インターネットを調べると今も帝大型角帽をネットで購入できる。
帝大角帽(国立大学型)  製 造 : 半田帽子店

カラー : 黒
定 価 : 5,300円(税込) アゴ紐・耳章付。 帽章は別売りです。
素 材 : ラシャ(毛) 
説 明 : 昔、大学生が被っていた懐かしい角帽の復刻版です。付属品もできる限り昔と同じ素材を使って再現しました。
庇とアゴ紐は当時そのままの特注品です。
全国的にはいろんな型があったようですが、当店のは国立大学型(帝大型)です。天井の形は角が丸みがかった菱形です。
熟練の職人が1個づつ手作りで作っています。厚手のラシャ生地を使用していますので、しっかりとした型に仕上がっています。
腰の部分は布を貼り合わせた芯で作っていますので、一般的なポリ芯と比べてどんな頭の形にも直ぐにフイットします。とても被りやすいです。つばの長さは約5.5cm。
洗濯・クリーニングはできません。日常のお手入れはこまめなブラッシングと、頭に直接接するビン皮(スベリ)を硬く絞ったタオルで拭いてください。
 
オプション : 帽章は別売りです。

 
終戦後になって地方の官立高等専門学校などが新制大学になった時、ほとんどの大学が帝大の帽章と角帽を採用したため帝大型角帽は国立大学型角帽となった。




角帽も重要な商売道具だったらしい。

街のサンドイッチマン(鶴田浩二) 昭和28年


「街のサンドイッチマン 」は昭和28年(1953)に鶴田浩二が歌ってビクターから発売された。(作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正)

東日本大震災後の復興応援歌として「上を向いて歩こう」やアニメの「アンパンマンのマーチ」などがよく歌われたり演奏されたりしている。どちらも昭和の歌であるがゆめじが昭和36年の「上を向いて歩こう」に対抗する応援歌として選ぶとすればこの「街のサンドイッチマン」である。

「上を向いて歩こう」も「街のサンドイッチマン」もどんなにつらくても前を向いて歩いていこうというコンセプトは同じである。しかし、「上を向いて歩こう」には坂本九が歌って映画も主演したためかもしれないが生活苦や人生の苦しみが感じられない。「街のサンドイッチマン」には戦後の混乱期をなんとか生きていこうとする意思が感じられる。
なお、鶴田浩二も徴兵猶予がなくなって学徒出陣し終戦まで海軍航空隊に所属していた。

「上を向いて歩こう」の歌詞が「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」と理由を説明しているように感じるが、「街のサンドイッチマン」では「涙出たときゃ 空を見る」と自然な感じて好きである。
「とぼけ笑顔で今日も行く」は、ままにならぬ日も一歩づつ着実に進んでいく意味で気に入っている。

街のサンドイッチマン(昭和ロマンを楽しむ会)老人施設


  ロイド眼鏡に 燕尾服
  泣いたら燕が 笑うだろ
  涙出た時ゃ 空を見る
  サンドイッチマン サンドイッチマン
  俺らは街の お道化者(どけもの)
  とぼけ笑顔で 今日も行く

  嘆きは誰でも 知っている
  この世は悲哀の 海だもの
  泣いちゃいけない 男だよ
  サンドイッチマン サンドイッチマン
  俺らは街の お道化者(どけもの)
  今日もプラカード 抱いてゆく

サンドイッチマン:
体の前後に広告看板をつけて歩く街頭宣伝マンのことで、広告設置費用が高い場所では非常に有効であり、当然だが移動も簡単である。また看板のほかにプラカードを持っている場合もある。
お店の店員がお客を呼び込むためにサンドイッチマンをやる場合には新たな費用は発生しないので効率的である。

街のサンドイッチマンのモデル:
昭和24年頃、銀座で働く紳士のようなサンドイッチマンが話題となり、調査すると元連合艦隊司令長官高橋三吉大将の子息である高橋健二であることが判明した。

帝大生ゆめじ&青空ぴーまん 
書生節 バイオリン演歌 大正演歌 演歌師 昭和歌謡 昭和の演歌師 平成の演歌師

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

月別アーカイブ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR