まっくろけ節 


「まっくろけ節」は大正時代に添田唖蝉坊が作詞作曲したといわれている(大正3年頃流行)。ただ作詞の方は、いろいろな替歌・春歌がありだれが作詞したかは不明であるがカラオケ以前には宴会でよく歌われていた。

しかし、今でも三味線のお稽古で習う曲らしい。もちろん、バイオリン伴奏の書生節(バイオリン演歌)として、当然われわれ書生の定番曲です。

いままでに都家かつ江、越路吹雪、小林旭などいろいろな歌手が歌っており、特に「アキラのまっくろけ節 」がドドンパにアレンジされてかっこよかった記憶がある。

何とか誘ったかわいい娘に急にダンスパーティに一緒に行かないと拒絶され、いまさら別の女性を探すこともできず、途方にくれるということはよくあることであった。

「アキラのまっくろけ節 」
知らなんだ あのこの得意のひじ鉄砲  もろに食らったこのショック
ぼくのハートはまっくろけのけ オヤまっくろけのけ

まっくろけ節 昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)


箱根山 昔ゃ背で越す 駕籠で越す 今じゃ夢の間 汽車で越す
煙で トンネルは まっくろけのけ オヤまっくろけのけ

桜島 薩摩の国の桜島 煙はいて 火をふいておこり出す
十里四方が まっくろけのけ オヤまっくろけのけ

山崎の 街道とぼとぼ 与市兵衛 後から出て来る 定九郎 
提灯ばっさり まっくろけのけ オヤまっくろけのけ

「山崎のーー与市兵衛 後から出て来る 定九郎」は歌舞伎の忠臣蔵の話であり、今では歌ってもほとんどの方が知らないのであまり歌わない。

年配の方からも子供の頃の面白かった「まっくろけ節」をよく教えてもらう。
今では差別的な表現があるので歌えないが昭和の初期の子供たちが実際に歌っていた歌詞を参考までに記載する。「あんまさんの杖と笛」はもう時代劇にしか出てこなくなった。

あんまさん 杖を頼りに笛吹いて 犬につまずいて 吠えられて 
むきだす目玉が まっくろけのけ オヤまっくろけのけ      

施設などで受けるのは、昔のかわいらしい春歌・替歌である。施設で「お嬢さんーー」を歌い終わったら、おばあさんから「面白かった、こんど「お坊ちゃんー」というのをやってほしい!」といわれて困ったことがあった。そういえば、男性が歌うためか「お嬢さんシリーズ」はたくさんあるが「坊ちゃんシリーズ」は聞いたことがない。女性はうたっていたのかも?

「お嬢さんシリーズ」も基本的にはみなおなじであまり多様ではない。
お嬢さん ひざを崩して カルタとり --------------  
ちらりと見えるはまっくろけのけ オヤまっくろけのけ 

お嬢さん ブランコ遊びも よいけれど --------------
ちらりと見えるはまっくろけのけ オヤまっくろけのけ

お嬢さん 自転車乗るのも よいけれど --------------
ちらりと見えるはまっくろけのけ オヤまっくろけのけ

80歳を過ぎた老人の話であったが、新婚でお嫁さんの実家に行ったとき、酒の席で嫁の姑さんが「まっくろけ節」を歌ってくれて驚いたが、その後大変なごやかな雰囲気になったそうである。古きよき昭和の時代であったのだろう。

お嬢さん 子供子供と思ったら  --------------
嫁入り道具がまっくろけのけ オヤまっくろけのけ 
 
柴又宵まつり 帝釈天境内 書生節 2009年9月26日
「まっくろけ節」バイオリン演歌師3名(帝大生ゆめじ、青空ぴーまん、楽四季一生)
https://www.youtube.com/watch?v=FqQIaid1Nhk

添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう): 明治・大正期に活躍した演歌師の草分け(明治5(1872)年~昭和19(1944)年)

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「昭和ロマンを楽しむ会」結成のいきさつ


    

 
書生節(バイオリン演歌)の新たな試み
 
昭和の時代から平成の時代へ変わってからもう23年、昭和の出来事が懐かしく感じるようになってきた。生存しているほとんどの方は明治・大正より昭和がより親しみがあり、実際に生活してきたはずである。
 
書生姿でバイオリン片手に流行歌、唱歌等なんでも歌う書生節(バイオリン演歌)をやっていた演歌師2名(ゆめじ&ぴーまん)で新しい形の大道芸をやってみよう思い立ちグループを作った。書生節にバイオリンを使うのは小型で大きな音が出せる楽器であるからである。さてバイオリンの伴奏に何を使うかであるが、ギターでは大きすぎて持ち運びには不便である。そこで、伴奏楽器としてバイオリンと同じぐらいの大きさで同じ四弦楽器であるウクレレを選んだ。
 
バイオリン演歌師は基本的に独奏であるが、バイオリン単独ではあまり観客は唄わず聞いているだけが多い。しかし、リズム伴奏(ウクレレ)を加えグループで行うと、観客までが唄って、にぎやかに盛り上がり、懐メロ大衆的雰囲気が大きく出ることに気がついた。
実際、施設で初めて演奏してみると、観客のノリもよく大変盛り上がり、単独のバイオリン演歌とはまた違った魅力があることを確認した。特に戦後の映画主題歌であるリンゴの唄、銀座カンカン娘、青い山脈などは皆さんが一緒に歌い大変人気が高かった。
 
さらに紹介DVDの作成、また江東区「街かどアーチスト」に応募して昭和ロマンを楽しむ会」として合格し、2010年4月から「街かどアーチスト」となって以来、江東区の公共施設や商店街の盆踊り大会などに出演の要請が増えるようになった。ウクレレとバイオリンとの合奏に加えて、女性歌手を加えて参加した「柴又宵まつり」では、これまで以上の好評を得たのが大きな収穫であった。
 
現在のレパートリー曲目は30曲以上になりかなり充実してきており、月に数回の頻度で公園などで公開練習も実施している。やはり難しいのは二人でメロディーとリズムを協奏することであり、別々に練習して完全であっても合わせてやるとなかなかうまくいかない。スタートからエンディングまでが合うまでは何回も練習が必要になってくる。そして習熟し演奏すると個々の独奏よりも観客や自分たちの喜びが大きいことが分かった。
音楽系の演芸であるので大道での芸としてはかなり厳しい状況であるが、これからも頑張ってこの音楽芸を育てていきたい。
帝大生ゆめじ&青空ぴーまん
              

                                昭和ロマンを楽しむ会 オープニング曲


ハマのカフェで昭和歌謡

2011年2月、横浜のカフェでオープンマイクがあり、「昭和ロマンを楽しむ会」として昭和の歌を2曲演奏してきた。音響設備のしっかりしたCafeで20名以上の参加者があった。 

歌った懐かしい歌は2曲で「リンゴの唄」(1946)と「上海帰りのリル」(1951)であった。「上海帰りのリル」は港町、横浜に関連ある歌である。懐メロでは、男性が服部良一作曲の「胸の振り子」(1946)を歌ったが味があってよかった。他の曲はわれわれにとってあまりよく知らないアニメ等の曲であった。
 
 
 
クラシックをやりますといってベートーベンの「喜びの歌」をウクレレのジャカソロでやっていた方もいた。この「喜びの歌」は、年末にチンドン屋さんがいつも演奏していた記憶があり、ゆめじにとってはクラシックではなくチンドンである。「炭坑節」と「喜びの歌」を連続して同じ調(たとえばG調)で演奏するとこれが良く合って面白かった。
 
われわれの演奏後に、メロディを演奏していた楽器はViolinですかFiddleですかと聞かれて困ってしまったが、Cafeの雰囲気からいうとFiddleでしょう。大道芸としてはいろいろ活動してきたが音楽活動としてはあまり経験がなく、このライブに参加していろいろ参考になった。
 
「上海帰りのリル」は後にダウン・タウン・ブギウギ・バンドが出した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975)の元歌(人探しの歌)だといえる。
元歌がリルを「誰かリルを知らないか」と探して歩くのに対し、ブギウギバンドでは、港のヨーコを探して港町の店ををたずね歩るく。
 
帝大生ゆめじ&青空ぴーまん 昭和ロマンを楽しむ会 バイオリン演歌 書生節 ウクレレ

旅の夜風 松竹映画 「愛染かつら」主題歌 昭和13年


旅の夜風 書生節演奏:
昭和ロマンを楽しむ会(書生2名&女学生(海老茶式部)2名)
http://www.youtube.com/watch?v=KEiApfSZMIs

「愛染かつら」は雑誌「婦人倶楽部」に連載された川口松太郎の小説でこれを原作とする映画が多数製作されている。
ヒロインの高石かつ枝が津村浩三と菩提寺のカツラの木の下で永遠の愛を誓う。

松竹映画「愛染かつら」昭和13年(1938) 
作詞:西條八十、作曲:万城目正   歌:霧島昇&ミス・コロンビア(松原操)

霧島昇は昭和13年に「愛染かつら」主題歌「旅の夜風」をミス・コロムビア(本名・松原操)とデュエットで歌い大ヒットし、これが縁で昭和14年にミス・コロムビアと結婚した。息子さんである東京音楽大学主任教授である坂本紀男は「旅の夜風があったから私が生まれた」といっていた。

田中絹代演じるヒロインの子持ちの看護婦、高石かつ枝と上原謙演じる大病院の御曹司である医師、津村浩三とのラブストーリーである。看護婦と医師との恋はよくある話だが設定が子持ちの看護婦になっていてかなり無理筋に作ってある。

病院を経営する親(経営者)にとっては、最悪の場合に資産や経営権が血縁のない連れ子に移る可能性があり大反対するのは当然だと思う。病院の存続ということも一族にとっては人生をかける価値があることであろう。現代の会社や組織の存続も「最大の目的」なのか、「手段」なのか、どうでもいいことなのかで意見が分かれるようだ。

どこの高齢者施設で歌っても大人気の歌であり、4番までほとんどの方が歌うことができる名曲である。


 1 嵐も踏み越えて
   行くが男の生きる途(みち)
   泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
   月の比叡(ひえい)を独(ひと)り行く

 2 優しかの君ただ独り
   発(た)たせまつりし旅の空
   可愛い子供は女の生命(いのち)
   なぜに淋しい子守唄

 3 加茂の河原に秋長(た)けて
   肌に夜風が沁みわたる
   男柳がなに泣くものか
   風に揺れるは影ばかり

 4 愛の山河(やまかわ)雲幾重(くもいくえ)
   心ごころを隔てても
   待てば来る来る愛染かつら
   やがて芽をふく春が来る

旅の夜風 松竹映画 「愛染かつら」主題歌
Tabinoyokaze, Aizenkatsura 旅途夜風(愛染桂)
バイオリン演歌 書生節 昭和演歌師 平成演歌師 昭和歌謡 昭和ロマンを楽しむ会

三百六十五歩のマーチ(水前寺清子) 昭和43年

「三百六十五歩のマーチ」は、1968年(昭和43年)に発売され、「ワン・ツー・パンチ」というサブタイトルが付けられていた。いまでもカラオケ(Cyber dam)で本人の鼓笛隊行進をみることができる。


水前寺清子の景気の良い歌声で、大阪万博(1970)の少し前の高度成長期にぴったりの行進曲だった気がする。そして、累積100万枚を超える大ヒットで水前寺清子の最大のヒット曲となった。
 
作詞が星野哲郎のなかなかいい歌詞で人生の応援歌である。歌詞の「三歩進んで 二歩さがる」のフレーズから子供の頃、お正月に必ずやっていた双六ゲームを思い出す。休んだり下がったりしながら一歩一歩進んで「上がり」になる双六は本当に人生のようなものだ。会社の事業でも情勢が悪いときには、撤退したり休んだりして次の準備をして新展開を図る。厳しい冬のうちに準備をしてやがて春に芽が出るという考えにも共通している。
 
「しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね」
幸せというものは待っていて手に入れるものではない、自分なりに努力して一歩一歩前進して行き、自分自身が幸せかどうかを自分で決めるものである。国民の「幸福度」を測定する指標を作るとか政府がいっているがそんなことはそれこそ税金の無駄である。
 
高齢者施設でも歌うと全員が歌ってくれるほどみんなが知っていて歌うことができる名曲である。曲を知らないはずの子供たちでも曲が始まるとリズムがいいのか踊ったりとびはねたりするので最初は驚いたぐらいである。
 
バイオリン演歌・書生節演奏:
   昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)  
 
しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩    三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ  汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ きれいな花が 咲くでしょう
腕を振って 足をあげて    ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ    ワン・ツー ワン・ツー  ワン・ツー ワン・ツー
 
しあわせの 扉はせまい   だからしゃがんで 通るのね
百日百歩 千日千歩     ままになる日も ならぬ日も
人生は ワン・ツー・パンチ あしたのあしたは またあした
あなたはいつも 新しい   希望の虹を だいている
腕を振って 足をあげて   ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ   ワン・ツー ワン・ツー  ワン・ツー ワン・ツー
 
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鉄腕アトム TVアニメ主題歌


「鉄腕アトム」は手塚治虫のSF漫画でアトムを主人公として1952年(昭和27年)から1968年(昭和43年)まで、月刊誌「少年」(光文社)に連載された。また、同じ「少年には1956年(昭和31年)から横山光輝の漫画「鉄人28号」が連載された。

当時小学生だったゆめじは雑誌「少年」の発売が毎月待ち遠しかった記憶がある。買ってすぐ読んだのが大好きな「鉄腕アトム」と「鉄人28号」であった。

どちらかといえば本音では「鉄腕アトム」より「鉄人28号」の方が好きであった。二つのロボットは全く対照的である。「鉄腕アトム」は感情を持つが成長しなかったので人間より小さいロボット、対して「鉄人28号」は人間が操る大型の機械ロボットである。鉄腕アトムが人間と同じ感情を持つロボットという設定が子供ながらに違和感を覚えた。

そして鉄人28号が日本の帝国陸軍が開発した秘密兵器で戦後その存在が明らかになったという設定などは子供ながらもリアリティがあった。この話が元になっているのかどうかは知らないが、その後に撃沈された帝国海軍の戦艦大和が改造されて「宇宙戦艦ヤマト」になったようなものであろう。

子供ながらも、人間が主人公であるべきで、鉄人28号を操る小型操縦装置(リモコン)が悪に渡るか善に渡るかという争奪戦が地球の運命(平和)を決めるという物語に引き込まれていった。ちょっと現実のような大人の争いに興味があった。

「鉄腕アトム」は1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)にかけて日本で初めての国産テレビアニメとしてアニメ化された。もちろんよく歌ったのは「鉄腕アトム」の歌であり、「鉄人28号」の歌なんかはあったのも知らない。

大人になっても気持ちよく歌えて子供の頃を思い出すいい歌(アニメの懐メロ)である。歌は「赤胴鈴之助」なども歌っている上高田少年合唱団が歌っていた。

鉄腕アトム(演奏:昭和ロマンを楽しむ会)


空を越えて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
こころやさしい ラララ 科学(かがく)の子
十万馬力(じゅうまんばりき)だ 鉄腕(てつわん)アトム

鉄腕アトムの作者である漫画家手塚治虫は大阪帝国大学附属医学専門部を卒業している。つまり、本物の帝大生ではなかったが帝大生と同じ帝大帽をかぶり医学部に通学してたので”みため帝大生”であった。

宝塚市立手塚治虫記念館にも行って医学生時代のノートやメモを見たことがあったが、そこには臓器だと思ったがすばらしいイラストが描かれていた。そして手塚治虫が5歳から学生時代までを過ごした宝塚、十三、中ノ島は摂津に住んだことがあるのでゆめじにとって懐かしい場所である。

また、山手線の高田馬場に住んでいたことがあったので朝夕に高田馬場駅で鉄腕アトムのチャイムを聞いていた。ガード下に鉄腕アトムを描いたコンクリート壁画もある。

書生節 バイオリン演歌 演歌師 アニメ 昭和の演歌師 平成の演歌師

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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