金色夜叉の唄(新金色夜叉の唄)


「欲か迷いか両親の勧めに従い宮さんは、富山なのる唯継と夫婦約束ーーー」

 尾崎紅葉が読売新聞に連載した小説「金色夜叉」の名場面といえば”熱海の海岸、貫一・お宮泣き別れの場面”である。金持ちのお宮が自分のところに居候していた婚約者であるエリート学生、貫一を捨てて大金持ちの銀行家に乗り換えたという話である。現代流にいえば、より良い条件の提示があり、本契約の前に仮契約を破棄しただけの話になるようだ。なお、この話は外国の小説に種本があるらしい。

「金色夜叉の唄」を聞くと、F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby (1925年))を読んだり、同名の映画を見た記憶がよみがえる。

そのストーリーは、金持ちの恋人に振られて、見返すために大金持ちになって彼女の前に現れるという話であったような気がする。男がどうして結婚してくれないのかと恋人に詰問すると、彼女は"I'v changed my mind, Rich girls don't mary poor boys."といって泣き崩れたのが印象的であった。

もちろん、"rich"には金持ちだけでなく、価値ある(valubale)という意味も含んでいるはずである。苦学して帝大を出ただけでは単なる優秀だがpoor boyで、帝大における教育・訓練を社会で活用して金も稼げるようになるとvaluable manになるということだと前向きに解釈している。勉強にもお金を稼ぐにもすべて一所懸命に努力することが大切なのであろう。

最初の「金色夜叉の唄」は、添田唖蝉坊によって「美しき天然」のメロディーに載せて歌われ、歌詞も残っているが現在では全く歌われていない。映画の主題歌になり、現在まで歌い継がれているいるのは、正式には「新金色夜叉の唄」という名前である。
1932年『金色夜叉』 - 製作:松竹キネマ蒲田撮影所/寛一:林長二郎、お宮:田中絹代

1月17日は熱海の海岸で貫一とお宮が泣き別れた日であると多くの人がそう信じていたが、阪神大震災(1995年1月17日)後はほとんどの人が1月17日を阪神大震災の日と答えてしまうようになったのがちょっと残念である。

この歌を施設で純真な書生「ゆめじ」がバイオリンで歌うと皆さんが一緒に歌ってくれてなんだか学校唱歌のようになってしまった。

帝大生ゆめじ演奏(唱歌斉唱風 2008年):金色夜叉の唄(新金色夜叉の唄) 書生節演奏
https://www.youtube.com/watch?v=H9QCy7DopbI  

「新金色夜叉」 作詞・作曲:宮島郁芳、後藤紫雲   

1・熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限り
2・僕が学校おわるまで 何故(なぜ)に宮さん待たなんだ 夫に不足が出来たのか さもなきゃお金が欲しいのか
3・夫に不足はないけれど あなたを洋行さすがため 父母の教えに従って 富山一家に嫁(かしず)かん
4・何故(いか)に宮さん貫一は これでも一個の男子なり 理想の妻を金に替え 洋行するよな僕じゃない
5・宮さん必ず来年の 今月今夜の此の月は 僕の涙で曇らして 見せるよ男子の意気地から
6・ダイヤモンドに目がくれて 乗ってはならぬ玉の輿 人は身持ちが第一よ お金はこの世のまわり物
7・恋に破れし貫一は すがるお宮を突き放し 無念の涙はらはらと 残る渚に月淋し

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さくらの季節のミニコンサート 2009



4月の桜吹雪の舞う頃、2件の無料コンサートを楽しんだ。

ひとつは箏(そう)と尺八の演奏、天井はあるが屋外で、琴5名と尺八3名の合奏であり、かなりの迫力のある演奏であった。春の海(?)、さくらに加えて、新曲を演奏してたが「さくらニューバージョン」(変奏曲)はよかった。琴はおそろいの着物でもちろん譜面台があり、「邦楽!」という感じがした。

もうひとつはショッピングセンター内のコンサートである。クラシックと宣伝していたが、形態はミニスカートの女性2名(キーボード&バイオリン)による打ち込みリズム・ビジュアル系バンドであった。もちろん、譜面台などなくノリノリ演奏である。

自作以外に、クラシックは、カノンとチャルダッシュをやったが、チャルダッシュは途中で観客に手拍子を要請してかなり通常と違う若者向きを目指していた。もちろん演奏の後はCD販売とサイン会である。

彼女らは舞台にペットボトル持込み、曲の間にラッパのみで水分補給していた。コカコーラのCMがテレビで流れるようなってから老いも若きもボトルから直接ラッパのみするようになり抵抗感もなくなってしまった。

25年以上も前に米国の中西部の町の広場でテーブルに座ってジュースをラッパ飲みしながらあたりを見回すと、黒人などのマイノリティーを含めみんなボトルから紙コップに移して飲んでいるではないか。「礼儀正しい」東洋の日本人の代表として恥ずかしい思いをした記憶がある。ポルノ雑誌なども特殊な旅行客用の本屋にしか置いてないような、米国のふるきよき町であったが今はどうなっているだろうか。

面白いことに、邦楽の尺八と琴のメインの方とも上野の音楽学校卒であり、バンドの方も都内の音大出身ということが分かった。あらゆるジャンルで大卒が活躍しているようである。

当たり前のことだが、「邦楽」というのは「クラシック」だと実感した。

千葉県護國神社での花見 2009



今まで花見といえば、上野公園、浅草の隅田川岸、門前仲町の深川さくらまつりなどで宴会兼公開練習を実施してきたが、今回はぴーまんさんと千葉で花見をして、もっと書生節・バイオリン演歌を広く知ってもらうことにした(と学生らしく一応もっともらしい理由付けを行った)。

4月4日(土)、JR千葉駅から徒歩約10分ぐらいのところにある護国神社に隣接する広場でぴーまんさんとゆめじで花見をした。かなりの人出でブルーシートで予約している場所も多数ある。コンビニの巻き寿司や弁当、つまみを食べながら日本酒で花の宴となった。

上野公園などと違ってここはカラオケや、アンプ付きの楽器演奏もないし静かで昔ながらの花見である。食べ物の屋台はフランクフルト、酒、ジュースを売る店が数店舗ある程度であった。また騒ぐといっても若者が踊ったり歌ったりしている程度である。上野と比較してホームレスらしき方は皆無であった。

食事をしていると近くに、「XXデイサービス」と書いた車が止まり、職員たちがシートやパイプイスを降ろす作業をしていたが、その後、マイクロバスで老人たちが来て花見が始まった。職員の方も大変だが粋なことをするなあと感心してみていた。

食事の後は、書生節の公開練習となった。二人で大正、昭和の曲を弾いたり歌ったりした。珍しがってすぐ集まってくるのは子供たちである。幼稚園の子供ばかりで、われわれが普通演奏する童謡・唱歌はほとんど知らないという。いろいろ聞いて知っていた歌は、チューリップ、きらきら星、雪であった。雪(ゆうきやこんこ)は2番まで大きな声で元気に歌ってくれた。

もちろん子供にも女学生にも人気があったのはぴーまんさんが演奏する「崖の上のポニョ」である。女学生二人づれはバイオリン演奏に合わせて踊ってまでくれた。

お富さんを練習していると、通りがかりのおばさん2名が一緒に歌ってくれたりもした。実はお富さんを一緒に歌ってくれたことは初めてであった。「へえー、バイオリンの弾き語りなんだあ」と妙に感心してもらったりもしてバイオリン演歌もすこしづつ認知されているようである。

また、デイサービスの方々の花見の席にもバイオリンが聞こえたらしく、こちらでも少しやってくれないかとのお願いがあり、喜んで各人10分程度の演芸を披露したところ大変喜んでもらった。当然、さくらさくらは歌ったが、書生姿に気づかってか「ああ玉杯に花うけて」をリクエストしてくれた。施設は普通の人ならここから歩いてこれるくらいの場所にあるそうだ。

警察のパトカーも巡回してきてひつこく警告のアナウンスをした後、駐車違反の摘発を実施していた。警告を聞いて酔っ払っているのにあわてて車の移動をすると飲酒運転になってしまうしどうするのであろうか。車に人が乗っていても、荷降ろし作業などしていないので「立派な駐車違反である」とともアナウンスしておどかしていた。

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日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

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昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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