いっしょに歌おう「なつかしの歌を訪ねて」 に参加


昔は歌声喫茶がたくさんあったがいまはほとんどなくなってしまった。しかし今も「みんなで歌おう」や「うたごえサロン」と称する催し物が各地などで開かれている。帝大生は昔の嫌な記憶があるので政治色がないことを確認して参加している。

大学1年のときにきれいな先輩にキャンパスで突然声をかけられてスカウトされて行ったのが、歌を歌ったりハイキングをする集りだった。素敵な人が多く、最初はよかったが、後で政治的活動が主体の会だったことに気づいた。声をかけてきた美人の秀才は「婦人問題研究会」の部長だった。教訓は「知らないできる美人には気をつけろ」。

この集会の主催は高齢者介護(デイケア、グループホーム)などを実施しているNPO ほっとステーションである。
第1部は吉岡孝悦さんによるマリンバの演奏であった。マリンバやザイロフォンの演奏は学校の器楽部の演奏の中で使用されているのしか見たことがなかったがはじめてソロ演奏を聞いてすごいと思った。

木琴程度のイメージしかなかったが、片手に2本づつのばち、両手で4本のばちをもち、四部合唱の和音を出す。私にとっては曲芸のような演奏であった。
曲はバイオリンでよく演奏する曲(熊ん蜂の飛行、チャルダッシュ等)がプログラムに入っていた。懐かしい歌ではこの道、おぼろ月夜、星に願いをなどがあった。

後半の第2部はピアノとマリンバによる豪華な伴奏で歌う「いっしょに歌おう」会であった。ステージに上がってきた「ほっとコーラス隊」はほっとステーションを利用している方たちで平均年齢88歳だそうだが皆さん元気で明るい方々であった。

曲目もすべて皆さんのリクエストの中から選んだそうである。最近の高齢者の集まりでも戦前の歌謡曲はほとんどなく、戦後の歌が多い。高齢者といっても80歳以下が多いためであろう。

平均88歳のコーラス隊が選んだ曲は、みかんの花咲く丘(S21年)、一杯のコーヒーから(S14年)、森の水車(S17年)、蘇州夜曲(S15年)、オーシャンゼリゼ、故郷を離るる歌、花(滝廉太郎 M33年)であった。なかなかいい選曲だと感心した。「一杯のコーヒーから」は「旅の夜風」(S13年)と同じ霧島昇とミス・コロンビアのコンビである。

選曲となると女性の力がやはり強くて新しい曲ではシャンソンの「オーシャンゼリゼ」が、古い曲では「故郷を離るる歌」が女性によって選ばれたといっていた。
「故郷を離るる歌」は戦前は女学校の本にしか出てこなかったらしく80歳以上の男性は全く知らないらしい。戦後の共学になってからの男性は知っていたという貴重な情報を入手した。

「故郷を離るる歌」は、大正2(1913)年7月、吉丸一昌編集の「新作唱歌(五)」にあり、戦前の女学校では合唱曲として歌われていたものであるらしい。 吉丸一昌は東京帝大卒であり「早春賦」も作詞している。

歌声喫茶風の「みんなで歌う集い」は、ロシア系の歌やメッセージソングを歌う「ともしび」系から軍歌から何でも歌うものまで多種である。

軍歌といって嫌う集いもあるが、軍歌は太平洋戦争中にだけ歌われたわけではない。昔から小学校の教科書にも載っていて歌われてきた唱歌もある。「広瀬中佐」や「婦人従軍歌」を消去してしまうのは歴史をねじ曲げているのではなかろうか。

私にとって「戦友」は子供の時におばあさんが語ってくれた「節の付いた物語」だという感覚であり、いままでも軍歌だと思ったことはない。

また機会があれば、またいろいろな歌声の集い(歌声喫茶)をレポートしたい。

【日時】平成20年4月19日(土)新宿文化センター小ホール
マリンバ:吉岡孝悦、ピアノ:相庭尚子
NPO ほっとステーション:http://www.hothot.org/npo.html
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日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
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昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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