お江戸深川さくらまつり バイオリン演歌(書生節) 2008



江東区深川観光協会主催で3月下旬~4月に実施されているお江戸深川さくらまつりに4名で参加した。メンバーはバイオリン3丁で書生2名(楽四季一生、帝大生)モダンボーイ1名(青空ぴーまん)、そしてチンドン1名(天狗社中)であった。2回公演

桜はほぼ満開で来週までもつかどうか心配になるほど両岸の桜並木がきれいであった。
石島橋の橋の上から見渡すと絶景であった。地下鉄の門前仲町のすぐ近くにこんな桜の名所があるとは知らなかった。神田川と同様にコンクリートで固められている川だが桜が咲くと全く違った雰囲気になるものだ。

橋の上には屋台が出ていてお休み所となりテーブルとイスがあるので観客を集める必要もなく、大道芸をやるには絶好の場所であった。

今回はチンドン太鼓があるのですごく明るい感じがしてよかった。美しき天然や東京節(パイノパイノパイ)で大道芸を開始してさくらまつりでは必須の「さくらさくら」や「荒城の月」を演奏し、あとは大正から昭和初期の童謡、歌謡曲をやった。外国ものではぴーまん氏によるライムライトの演奏がよかった。

昔の曲を演奏しているとお年寄りが寄ってきて昔の唄や歴史を教えてくれるので楽しいし有難い。堕落女学生の唄「松の声」も歌ってくれた。彼は小学校から昭和7(1932)年12月16日の日本橋白木屋百貨店(元の東急日本橋店)の火災もみた生き証人でもあった。
(この火災による死者が1人、墜落による死者が13人、「日本婦人はズロース(下ばき)を着用すべきとの説」及び洋装化が普及し始めた(東京消防庁)。)

最大の収穫はまっくろけ節の「お嬢さんシリーズ」で新しい替歌も教えてくれたことだ。奥さんの母親(姑)が酒の席でまだ小娘といつまでも思っていたら「嫁入り道具もまっくろけのけ」と歌ってくれたそうだ。昔の方は本当におおらかな人柄だなあと実感した。

和船に乗った新内流しが橋の下を演奏しながら通りいい雰囲気も楽しんだ。
機会があれば、和船に乗って水面から桜をながめてみたい。
お江戸深川さくらまつり:http://www.mon-naka.com/sakura/index.php

青空ぴーまん独奏(パイノパイノパイ):http://www.geocities.jp/peaceman_f/aozora/music/tokyo.mp3
演奏した曲
美しき天然、東京節、船頭小唄、籠の鳥、カチューシャ、ゴンドラの唄、男はつらいよ(口上付き)、酋長の娘、だんちょね節、丘を越えて、東京ラプソディ、まっくろけ節、荒城の月、さくらさくら、ライムライト、花嫁人形、昔懐かしい深川の一日(売り声他)

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蘇州夜曲(昭和15年) 李香蘭と東京ローズ




最近、仲間が中国の蘇州へ旅行した。蘇州は上海の西に位置する古都で、「水の都」「東洋のベニス」ともいわれている。景色はすばらしいし、ホテルにはちゃんと日本人と見れば美人が寄ってきて「チップください」ということでいろいろな特別サービスもあったそうだ。

蘇州といえば「蘇州夜曲」で、「蘇州夜曲」といえば日中混血の美女といわれた「李香蘭」である。本当は日本人であったが売り出しと日中友好のためには混血の方が都合がよかった。
「李香蘭」が本当の混血で二重国籍であればどうなったであろうか。日本人として日本のためにしたことが中国人としてはスパイ行為となる可能性がある。

昭和15年(1940)に公開された日中合作映画「支那の夜」の中で李香蘭が歌ったのが「蘇州夜曲」である。この映画は国策映画であり、戦後は映画の名前も変わり、いまはもう公開されることもないそうだ。

蘇州夜曲(李香蘭) バイオリン演歌ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=P-uPSP3hMfg

李香蘭の名前を聞くと、東京ローズというアメリカ日系二世の女性を思い出す。若い頃「東京ローズ(Tokyo Rose)」という英語の本を必死になって読んで国籍とは、愛国心とはなんだろうといろいろと考えたことがあった。
"Tokyo Rose" Orphan of the Pacific, Masayo Duus
(Introducntion by Edwin O. Reischauer)

東京ローズ(IVA TOGURI、戸栗)は大学生のとき、米国カルフォルニアから両親の国である日本へ来たが日米開戦により米国へ帰れなくなった。米国市民である独身女性は生活のため、NHKの海外向け謀略短波放送(ゼロアワー)の女性アナウンサーとして生きていく。同じ謀略放送に加担したほとんどの二世たちは特高警察から日本に帰化することを強制され、仕方なく日本へ帰化した。彼女は、米国人であることの誇りを持ち、最後まで日本には帰化しなかった。そして東京ローズの甘い声は連合軍兵士の間で人気となり「厭戦気分」にさせた。
Iva Toguri signs on as "Orphan Ann" , during her "Music for You" segment of Radio Tokyo's "The Zero Hour".
http://www.earthstation1.com/Orphan_Ann/Orphan_Ann_Sign-on_01a.wav

終戦後、東京ローズはGHQによる戦犯容疑で巣鴨プリズンに投獄された。アメリカ帰国後、米国市民でありながら、日本に協力した反逆罪で禁固10年、罰金一万ドル、米国市民権の剥奪となった。1977年にフォード大統領による恩赦が出たことによりアメリカの市民権を回復したが、罪が消えたわけでない。

単なる一市民がアメリカへの忠誠心、愛国心のために米国市民権を捨てなかった。また、生活のために対連合国軍向けプロパガンダ放送のアナウンサーとなった。そして、アメリカの歴史に名を残す反逆者になってしまった。

一方、日本国籍になった二世たちは強制されて帰化したのだからと、また米国市民権を回復することができたし、謀略放送への参加は日本人としての行為として罪は問われなかった。

「中国も日本も大好きです」という混血の美女、李香蘭も戦後、売国奴(漢奸)として裁かれるかに見えたが、実はハーフというのは全くのうそで完全なる日本人(山口淑子)であった。
流暢な中国語にだまされた中国人が悪いのであって、日本人だから国策映画に出て日本に好意的な発言をするのは当たりまえだったのだ。中国外へ追放はできても反逆罪で罰することはできなかった。李香蘭は中国人のように振舞い、国策を推進して人気を得た後、敗戦で不利だと見ると戸籍で日本人であることを証明した。

晩年の東京ローズは、困難な時にも米国籍を捨てようとしなかった「愛国的市民」として退役軍人会に表彰されたりもされた。

そのほかにも、たまたま日本へ帰っていた日系二世男子は「実はアメリカ国籍です」ともいえず徴兵され日本軍として戦った二重国籍者もいた。彼らは、戦後、日本の軍歴があるため、なかなか両親のいるアメリカへの帰国が許されなかったそうである。

一市民である東京ローズや李香蘭の事件で、国家とは、愛国心とは何か、正義とは何かを考えさせられた。難しい問題ですが皆さんなら若き書生としてどういう行動をとるでしょうか。

彼女たちは何のためにどういう思いで働いたのでしょうか。
「お国のため、自分のため、答えは風の中?」

<蘇州夜曲>
君がみ胸に抱かれて聞くは  夢の船歌 恋の唄    (映画では「鳥の唄」)
水の蘇州の花散る春を    惜しむか柳がすすり泣く

髪にかざろか接吻(くちづけ)しよか  君が手折(たお)りし桃の花
涙ぐむよなおぼろの月に        鐘が鳴ります寒山寺(かんざんじ)


硬派の書生節演歌師だけでなく、ダンスホールやカフェでアルバイトをする軟派の書生もいたに違いない。
軟派書生による蘇州夜曲試演 http://www.geocities.jp/teidaiseiv/Sound/V_soshuya01.MP3


「東京ローズ」ゆかりの店に幕=人柄しのび、惜しむ声も-米

 【シカゴ時事】第2次大戦中に対米宣伝放送に携わり、「東京ローズ」と呼ばれた故アイバ・戸栗・ダキノさんが、米シカゴで切り盛りしていた日本雑貨店「戸栗商事社」が1月に閉店することが関係者の話で分かった。アイバさんは日米のはざまで波瀾(はらん)万丈の生涯を送り、2006年に他界。そのゆかりの場所だけに、生前に交流があった人からは惜しむ声が上がっている。

 日系2世のアイバさんは1941年、親類を見舞うために来日。開戦を理由に帰国できず、ラジオのアナウンサーとして対米宣伝放送に従事した。戦時中には日本政府からの国籍取得要請を拒み、米国への忠誠心を持ち続けた。戦後、米国に戻ったが、国家反逆罪で6年以上服役し、長年にわたり「反逆者」扱いを受けた。

 関係者によると、閉店する戸栗商事社はアイバさんが父から事業を引き継ぎ、現在親族が経営している。(2012/12/28-14:56)
写真の店は故アイバ・戸栗・ダキノさんがかつて切り盛りした日本雑貨店(米国、シカゴ)

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二期会ゴールデンコンサート 2008年3月


楽器演奏家はinstrumentalist (pianist, violinist)であり、歌手はvolalistだそうだ。

器楽のコンサートは小学校の器楽クラブや邦楽演奏から外国のタンゴオーケストラまでかなりの回数行ったことがあるが、声楽のコンサートは日本の歌曲以外は行ったことがなかった。今回、初めて外国語ばかりの声楽の公演をみたが、知っている曲はないし内容は全く分からなかったが、いろいろ収穫もあった。分かる方はプログラムを参照してください。

ピアノとチェンバロの弾き分け演奏も初めて見て面白かった。客席からみてピアノの右方にチェンバロを置き、その間にピアニストが座って両方を弾くことができるようにしていた。

チェンバロ(ハープシコード)はギターのように弦をはじいて音を出す原理である。今回はチェンバロのピッチをピアノに合わせて調律していたので弾き分けが可能になっている。チェンバロは音量がピアノに比較すると極端に小さい(写真右が使用したチェンバロ)。

昔のチェンバロのピッチは現在と比較して半音程度低いといわれているが、実際はヨーロッパの町ごとにかなり違っていたとのコメントがあった。つまり、各町にある教会のパイプオルガンの管の長さ(ピッチ)に合わせて調律されていたとのことであった。ピッチが低いということはオルガンの管の長さが長くなり、コストがかかることになる。

チェンバロの天板は上に開けてあり、グランドピアノの天板は閉じていても話にならないぐらいピアノの音量が大きい。チェンバロと比較すると歌手の声量の方が大きいほどであり、ピアノ発明後チェンバロが消えていった理由が良く分かった。

初めてメゾソプラノのソロを聴いたが、すばらしい声に感動した。

1.昭和初期の浅草オペラの歌姫、高井ルビー(ソプラノ)のような強烈なビブラートをかける歌手はいなかった。

2.ソプラノよりメゾソプラノの力強い声に興味を持った。メゾソプラノのあのような力強い声質が書生節、バイオリン演歌に合うのではないかと確信した。加藤登紀子のようなアルトではバイオリンで弾きにくいしバイオリンの音色が死んでしまう。

3.歌手のロングドレスからちらりと見える靴を注意深く観察していると背を高く見せるために厚底シューズ(プラットフォームシューズ)をはいている。書生が高下駄をはいてかっぽするのと同じ気持ちか?実際、ソプラノ、メゾソプラノが背筋を伸ばして舞台をゆっくりと横断する場面があった。

4.呼吸のときに大きく胸、背中が開いている。また、足を踏ん張って支えているのがよくわかった。

5.映画館では最前列には観客はほとんど座らないが、最前列で声楽を聴く一部のマニアがかなりいるのには驚いた。という帝大生も前から数列目でしっかり楽しんだ。確かに呼吸音が聞こえてきて臨場感がある。

メゾソプラノで書生節を歌ってくれる矢絣の女学生はいないものかと思いつつホールを後にした。

二期会ゴールデンコンサート in 津田ホール
日時:2008年3月8日(土)午後4時開演  会場:津田ホール(JR千駄ヶ谷駅前)
半田美和子(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、黒田 博(バリトン)、山田武彦(ピアノ)、ゲスト=岩田達宗(演出家)
第1部
グルック:オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』より”愛の神よ”
スカルラッティ:”すみれ””ガンジス川に陽はのぼり”
モンテヴェルディ:”わたしを死なせてください”
トレッリ:”あなたは知っている”
カッチーニ:”アマリッリ”、”愛の神よ、あなたに翼があるなら”
グルック:オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』より”行こう わたしの言うことをきいてくれ”
第2部
グルック:オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』より”なんとつらいこの瞬間”
レスピーギ:歌曲集「4つの詩より」”古い歌によせて”
チェスティ:”わたしの偶像である人の回りに”、原曲であるオペラ オロンテーアより”わたしの偶像である人の回りに”
ペルゴレージ:”もし、わたしを愛しているのなら”
グルック:オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』より“エウリディーチェを失って”
グルック:オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』より“愛の神よ、この苦しみも無上の喜び”

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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