最高齢の演歌師 小澤昭二(小沢昭二)




鼻歌の様な歌を堂々とCDにしているあの有名な小沢昭一さんとは全くの別人である。
昭和2年(1927年)生まれだから小澤昭二(おざわしょうじ)だそうである。

現在、最高年齢のバイオリン演歌師であろう(80歳)。本当の大道芸のバイオリン演歌師であり、寄席などには出演していない

小澤昭二(小沢昭二)丘を越えて  https://www.youtube.com/watch?v=JxboQLkElIs


彼は昭和58年に大道芸研究会に入り久保田 尚(ひさし)師匠に師事し、ガマの油売り、居合抜刀術等を習う。バイオリン演歌は桜井敏雄師匠に習う。

昔は熱海市主催の「尾崎紅葉祭」にも出演してバイオリン演歌を披露していたし、野毛の大道芸にも何回も出演していたが最近は見かけなかったので心配していた。しかし、今年(2007年)の野毛の大道芸には久しぶりに学帽をかぶり元気な姿で出演していた(写真参照)。

昔やっていたがまの油売りもなかなかよかったそうである。
いつまでも現役でがんばって欲しいものである。彼の歌は非常に特徴があり、音楽的に楽譜と比較すると?であるがなんともいえない味わいがある。録音テープしかもっていないがCDも自主制作して販売していたらしい。
手元には「小澤昭二が唄うニッポンのカントリーソング」という自主制作CDがある。普通の演歌CDだが、金色夜叉と船頭小唄が入っている。

 オッペケペー節 スカラソング ハイカラ節 新どんどん節
 のんき節 マックロ節 パイノパイノパイ 馬賊の唄 流浪の旅 復興節
 船頭小唄 思い出した 金色夜叉等
 
 <大道芸の演歌師>
 演歌とは巷(ちまた)の唄 路傍(ろぼう)から生まれて、社会の底辺に流れた歌でした。

すべての交易が路傍でおこったように、伝達の機関も路傍のものでありました。
かわらばん(よみうり)が江戸期の新聞であり、その伝播者でもありました。
これらは事件の報道で、論説ではありません。大衆は批判をもってはいけなかったし、また政治向きに触れることの出来ない時代でした。

 演歌が現れたのは明治20年頃で、云うならば新聞の街頭版でした。政治批判の許されない時代、演歌は政治にも触れ、批判もやり、その上、七五調は民衆の耳に心地よく演 歌師は不満を大衆にぶちまけたのでした。
 壮士節、書生節、演歌屋と呼ばれた彼らは、のちに演歌師と総称されました。演歌の発祥は実に自由民権運動の産物でした
 
 演歌師が楽器(ヴァイオリン)を用いるようになったのは、明治43年頃で大正期から昭和初期まで続いたが、レコードとラジオの放送開始に伴って歌謡ニュースの伝達者としての演歌師の職能は終わりました。(添田知道著 明治大正の演歌史)

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日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

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昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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