<経堂アートフェスタ(世田谷)2006で バイオリン演歌



2006年10月14日(土)に今年も仲間と経堂アートフェスタにバイオリン演歌(書生節)で参加した。
帝大生は七色唐辛子販売の横で客寄せとバックミュージックを担当したつもりだがなんとか営業妨害にはならなかったようだ。

七色唐辛子の露店は浅草や巣鴨でもよくみかけるが、ほとんど無言で売っている。今日は大道芸であるから先生は口上をいって客の好みに合わせて調合して売っていく。客は珍しいのか近寄ってきてよく売れる。当たり前だが先生はいい声をしている。
七つの成分はすべて漢方薬、体にいいものばかり、「まず最初にいれますのは、武州川越の名産、黒ゴマが入ります、続いて入れますのは紀州は有田のみかんの皮、陳皮と申します。-----」
七色唐辛子『文七』:http://www.geocities.jp/teds3d/retrozone/retro015.html

仲間の村松文七兄貴といえは浪人の姿でがまの油の実演販売である。道路上で金属の刀を振り回すと大変なことになるが今日は商店街の許可があるので大丈夫である。やはり、大道で刀を振り回し、、腕を切ろうすると血が出るの見たいのか結構人が集まる。

帝大生もバイオリンの代わりに日本刀を持って見えを切って見たい!

その他に、ジャグリング、将棋十面指しやフルートの演奏(オーケストラの本職)もやっていた。
オケのフルート奏者が黄金のフルートとでいろいろ解説しながら演奏していた。また、ピッコロでコンドルは飛んでいくも演奏していた。

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ

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東京音楽学校の女学生の学生生活とは(昭和3年)


 昭和3年4月から5月にかけて「ある日の学園」と題された在京の主要大学、高等学校(旧制)のキャンパスの雰囲気、学生気質を紹介するレポートが東京朝日新聞に掲載された。
                  <誰か昭和を想わざる ~流行歌と歴史のサイト~ から転載>

天女の如くさゝやくは、青葉がくれの上野山、音楽学校の女学生、片手に堤げたるバイオリン、ーーーーー、五尺男の子の袖しぼる(ハイカラ節より)

当時の学生生活がよく分かる。アルバイトでバイオリンを弾く書生節の書生ではなく本物の東京音楽学校(上野)の専門学校生はどんな生活をしていたかみてみよう。残念ながら声楽専攻の記事は載っているがバイオリン専攻の学生の記載はない。

当時は人気と勢力はなんといっても女学生で占められていて男子学生は目立たないそうだ。今の芸大はどうなっているのだろうか。音楽生活をあきらめた女学生が田舎へ帰って養子をもらったとの記事もある。男ってその程度のものなのか、深い中になってもそれでも分からぬ腹の中ということか。残念!

昭和3年当時でさえ、華やかな楽壇への進出は昔のようにたやすく約束されなくなったと嘆いている。今はもっと厳しいのであろう。
佐藤千夜子は東京音楽学校中退で当時どんどんヒット曲を出したソプラノ歌手である(「波浮の港 S3年」、「東京行進曲 S4年」)。

<記事>
東京音楽学校
「大きなトランクや柳行李が玄関に投りだしてある。上野の東京音楽学校の寄宿舎。新しい学年が16日から始まるというその前日の午後だ。帰郷していた寄宿生が次から次へと帰ってくる。つばきが真紅に咲いている庭に面した窓には紅い友禅の布団やシーツが干してある。

 遠くの室から、トラヴイアタを歌う声が聞える。
 「田鶴さん、早くトランクを片づけたらどう…」 「だってまだお室のお掃除ができてないんですもの」 「ずるいわ」  つばきがぽたりと落ちる。
 「わたし、ちょっと発声して来よう…」  「わたしも」
 室の掃除も、行李もほったらかして譜面をもって、ばたばたと練習室へ二、三人が駆けてゆく、談話室に集まってガリクルッチのレコードに聞きほれている。

 音楽学校は何といっても芸術家の集団だから気分でゆく、トランクをほったらかして、発声法の練習をするぐらいはお茶の子さいさいだ。練習をしたいと思っても上級生が練習室をつかっているので、真夜中頃、こっそり室をぬけでて寒さと恐さにふるえながら、しびれた指で氷のようなキイをたたくこともある。

 ある曲のあるパートがどうしても思うように歌えないというそれだけの理由で、音楽学校生活をあきらめて田舎へ帰って養子をもらったという極端な例もある。その養子に幸あれ-。
人気と勢力のすべては女生徒に占められていて、音楽学校における男の生徒ほどおよそ幅の利かないものはない。

 近年は欧米の有名な音楽家が次から次と来朝する。日本の聴衆の耳も肥えた。だから「近頃の卒業生の技術は下った」という批評は当らない。 その結果としては生徒にも華やかな楽壇への進出は昔のようにたやすく約束されなくなった。多少でも認められるためには非常に勉強しなくてはならない。気分主義の音楽学校の生徒にも漸く試練の時代がきたらしい。」

トラヴイアタ(La traviata):オペラ トラビアータ(椿姫)
ガリクルッチ(アメリア・ガリクルチ):ソプラノ歌手、来朝した。

東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部): 
当時は、4年制の本科[声楽科、器楽科(ピアノ・オルガン・弦楽器・管楽器・打楽器)、作曲科及び邦楽科(能楽・箏曲・長唄)]と、4年制の師範科、2年制の研究科(声楽部・器楽部・作曲部・邦楽部)並びに簡易な技能教育を目的とした選科(1~5年以内)からなる専門学校

バイオリン演歌/書生節/大道芸:http://www.geocities.jp/teds3d/retrozone/retro01.html

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Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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