東京行進曲(昭和4年)  佐藤千夜子






東京行進曲(昭和4年)  佐藤千夜子

1929年(昭和4年)、菊池寛原作の小説「東京行進曲」を映画化した作品の主題歌に用いられ当時25万枚を売り上げる大ヒットとなった。

東京音楽学校中退のソプラノ歌手、佐藤千夜子はその後イタリアに留学したが帰国後は忘れ去られてそれ以降全く曲は売れなかった。彼女は華々しくかつ浮き沈みが激しい人生を送ったようである。(昭和43年死去、享年71歳)

曲は東京音頭と同じ西条八十作詞、中山晋平作曲のコンビである。
昭和の初めらしくカタカナ英語がやたらと出てくる。これを見るだけでも昭和の初めのモダンさがわかる。
1番:ジャズ、リキュル、ダンサー、 2番:ラッシュアワー(丸の内は昭和の初めでもあったらしい)
3番:バス、ストップ、       4番:シネマ、デパート

1.昔恋しい銀座の柳        仇(あだ)な年増(としま)を誰が知ろ
  ジャズで踊ってリキュルで更けて 明けりゃダンサーの涙雨
2.恋の丸ビルあの窓あたり     泣いて文(ふみ)書く人もある
  ラッシュアワーに拾った薔薇を  せめてあの娘(こ)の思い出に
3.ひろい東京恋ゆえ狭い      粋な浅草忍び逢い
  あなた地下鉄わたしはバスよ   恋のストップ ままならぬ
4.シネマ見ましょかお茶飲みましょか いっそ小田急で逃げましょか
  かわる新宿あの武蔵野の     月もデパートの 屋根に出る      

4番の「いっそ小田急(おだきゅ)で逃げましょか」という歌詞から「駆け落ち電車」として有名になり、「小田急(おだきゅ)る」という言葉が当時流行った。

一般の楽譜はCmで書いてあるが、佐藤千夜子はDmで歌っていてその方がバイオリン演奏しやすいが、キーが高すぎて歌いづらい。仕方なく、初めてCmで演奏することに挑戦した。Cmは4の指(小指)でAbとEbを押さえるところがたくさん出てきて苦手である。Dmと違ってCmの重音も出せないしーーー。

1.ターンタ(付点8分音符と16分音符)とタンタン(8分音符2個)の組み合わせなのではっきり区別して演奏する。
2.3行目のサビ(ジャズで踊って リキュルで更けて)をリズムをつけて弾ませるなら、逆に1、2、4行目は対比させてサビを目立たせる。
3.移弦に注意、CのみがG線にある。
4.スラーで演奏してみる
5.どうすればレトロ調に歌ったり演奏できるのか?

スポンサーサイト



<千住で大道芸> バイオリン演歌・書生節 2006






2006年5月14日、奥の細道芭蕉サミットに併せた歓迎大道芸イベントに参加した。
足立区北千住になぜこんなビルがという場違いな高層ビル、2006年4月にオープンした東京芸術センター(地上22階建)の広場でイベントが行われた。ちょっと北千住の駅からは遠く、商店街のはずれにあった。 
芭蕉サミット:http://www.senjumonogatari.com/bashou%20samitto.htm

大道芸のタイバンはコミックバンド(10名編成のビックバンド) であり、テントが2つあり、それぞれの控え場所となっていた。相手のバンドのステージは大型トラックの上であり、すごい音響装置でミキサーさんまでいる。

大道芸の方といえば、音響装置はほとんど無いに等しい。でもがまの油、バナナの叩き売り、バイオリン演歌、声を上げての振り売り(昔の売り声、ハマグリ、シジミの入ったかごと天秤棒)、バルーンアート、ハーモニカを吹きながらの皿回し等と何でもありで頑張った。

バイオリン演歌では、着物を着て自転車で通りかかったおじさんが聞いていたかと思うと、次は船頭小唄といったとたん”あ、俺が歌う!”と飛び入り参加でたっぷり自慢ののどを披露した。その後、籠の鳥まで歌って、頼んでもいないのにサクラになってしまって盛り上がった。

タイバンは”びゅーちふるず”でトロンボーン、トランペット、サックスにダンサーまでいる社員10人編成のサラリーマンバンド(服装が)である。ライブ活動をしていてCDも出している。葛飾区では有名らしい。
びゅーちふる商会: http://www.byu-chi.com/
水前寺清子先生のカバーで365歩のマーチ。それにヤングマンの”YMCA”のパロディーでサラリーマンによくいるイエスマンを歌った”YESM”、手で英文字を表現しながら歌うのがよい。

観客の所までラッパを全速で走りながら吹きまくる女性には驚いた。バイオリンでもタップしながらの演奏は可能だが走りながらバイオリンを弾くことなんか考えられない。8の字に走りながらバイオリン演奏ができればそれだけで芸になると感じた。

日時:2006年5月14日(日)11:00-16:00
場所:産業芸術プラザの公園(北千住駅下車徒歩7分) 足立区千住1-4-1 

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ

<浅草で5月連休に日本の大道芸 バイオリン演歌 2006>






仲見世と平行に走っている浅草メトロ通りで4月29日から5月6日までさまざまな大道芸が行われた(蕎麦屋 十和田前)。

演目は七色唐辛子売り、バナナの叩き売り、がまの油売り、南京玉すだれ等、6日は帝大生も参加してバイオリン演歌(書生節)を行った。その他、ジャグリング、カナダ人によるギター演奏も行われていた。

やはり、人垣ができるのは文七兄貴によるがまの油売りである。腕を切って血が出るのを見るまでは帰らない。11:00から15:00まで4-5回も公演するので大変である。落語家(二つ目)による玉すだれもやっていた。
がまの油売り写真集:http://www.geocities.jp/teds3d/gama/gama_bunsiti.html

バイオリン演歌のリクエストは以外にも金色夜叉が多かった。若い人は小説も唄も知らないだろう。若いカップルに大正の恋の歌、デュエットソングだといって籠の鳥を歌うと”へえー、そんな時代にデュエット!いいね”と意外に感じていたようだ。

東京行進曲を演奏していると止まって聞いていくおばさんもいた。月は無情や深川くずし等は完全に無視され、やはりレコードがヒットした曲でないとなかなか難しい。

バイオリン演歌師は同じ路上でやっていても、露天商の組合(香具師)ではなく、演歌師は演歌師の組合に入っており、別組織だったそうだ。がまの油売り、へび、たんか売などは露天商である。

<浅草 日本の大道芸 がまの油等>
日時:2006年4月29日(土)ー5月6日(土)11:00-15:00頃まで

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

月別アーカイブ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR