三中井呉服店(百貨店)製の袴(朝鮮)






帝大生は着物も袴も戦前のものを大切に使っている。愛用している袴は三中井(みなかい)呉服店のマークが入った濃いねずみ色の袴である。高級なものではないが80年近く経っているがしっかりした作りである。

三中井呉服店は近江商人の中江勝次郎が興したもので、1933年(S8年)に三中井百貨店と改称した。彼は朝鮮から大陸にかけ18店舗を持つ一大百貨店王国を築き上げ、日本にも支店を持った。一時は三越より巨大だったかもしれない。

朝鮮半島の釜山、ソウル、平壌等に鉄筋コンクリート作りの大きなデパートがあったが、昭和20年8月の敗戦ですべてが消滅し幻の三中井百貨店となった。

金銭的な価値は無くてもこの袴がなくなれば、本当に三中井百貨店があったことも忘れ去られる。着古した綿の絣の着物も捨ててしまえはそんな着物を着ていた書生のことも忘れ去られるであろう。70年ちょっと前(私の父の学生時代)までは学生服を着たり、絣の着物を着て通学していたのである。学生服の学生と着物に袴の学生が仲良く校門を出てくる写真をよく見かけた。

着物も袴も戦前のものを大切に使っているので、帝大生のバイオリンは安物だが大切に使わなくてはと思った。安物や初心者用のバイオリンの行く末はどうなるのか、沢山の人が趣味で楽しんだ中古のバイオリンが捨てられていくことを思うと残念である。

高価なバイオリンでなく、ギターがまだ無かった当時の学生が使っていたバイオリンや、書生節を歌う演歌師が営業用に使っていた普通のバイオリンは今どうなってしまったのであろうか。神長瞭月や石田一松が実際に使っていたバイオリンを一度見てみたい。

芸術品だけでなく、普通の庶民が使っていた当時の着物や楽器を保存しておくことも歴史上大切である考える。明治10年代生まれのおばあさんが昭和の初めの頃、子供だった母にバイオリンで童謡や唱歌を弾いてくれたそうである。
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三中井百貨店(みなかいひゃっかてん):
20世紀前半の朝鮮と満州及び中国大陸に店舗を展開していた日本人経営の百貨店。京城では丁子屋・平田・三越・和信と合わせて五大百貨店と呼ばれていた。

1945年の敗戦時には、朝鮮に12店、満州に3店、中国に3店、そして内地では金堂を総本部にして京都本社、大阪と東京の仕入部を持つ、朝鮮と満州及び中国大陸で最大の百貨店チェーンを築き上げていた。
最大時の社員数は4000人、年間売上高1億円の規模だった。朝鮮域内の売上では、当時日本最大であった三越を超えていた。

朝鮮京城三中井呉服店(絵 S4年):京城は今のソウル、エレベータやレストランがある総合デパート、子供と着物の女性)
<幻の三中井百貨店―朝鮮を席巻した近江商人・百貨店王の興亡>
282p 19cm(B6)晩声社 (2004-02-25出版)  林 広茂【著】販売価:\2,100(税込)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4891883146.html

あきんど大正館(中江勝治郎の三男正次宅):
http://www.biwa.ne.jp/~tenbinst/kanko/taishokan.html#top

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茶摘(尋常小学唱歌) 明治45年


尋常小学唱歌第三学年用にある誰でも知ってい懐かしい歌。日本民謡のようで”せっせっせ””とんとん”と小学校で皆やったことがある。八十八夜は立春から88日目、いまの5月の1-2日頃だそうだ。
5月になれば茶摘ツアーなるものが企画されているが暑いし大変な労働ではないか。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

船橋市公認「まちかど音楽ステージ」(京成船橋駅)2019年5月


夏も近づく 八十八夜 (とんとん) 
野にも山にも 若葉が茂る(とんとん)
あれに見えるは茶摘じゃないか(とんとん) 
あかねだすきにすげの笠(とんとん)

譜面(G)を見ると<はちや>、<のにも>、<しげる>、<あれに>、<ないか>をスタッカートで短く切って歌うと書いてあった。そんなことは今まで全く知らずに歌っていたが、何も書いて無い楽譜もある。初夏のように軽くという意味か。とんとんと正確に休符する。

梅雨の雨降りでなく、初夏の茶摘のイメージで歌う。
1.(ターン タ タン タン)の八分音符はbowingを短く。
2.弾き始めの発音はしっかりアタック。しっかり圧をかけて、でも曲は重くなく初夏のようにせっせっせ
3.はちや、しげる、ないかの終わりはすべてA、D、Aの開放弦となるのでよく振動する。弓の圧力を減らして軽く。
4.”なつも”は近づくへ向かって歌っていく。”八十八夜”の八十は一番高音になる。”茶摘じゃ”も高音。これらはこの歌のキーフレーズ!

演奏して歌うと休符のときにとんとんと拍手をしてくれて盛り上がった。

毛替えとバイオリン工房見学


家の近くにバイオリンよりマイナーな三味線屋さんがある。バイオリン工房がないと思っていたら、たまたま地下鉄でひとつ乗ったところに工房を見つけた。

演芸会の前にと思い、ひさしぶりに毛替えをしてもらった。ついでにバイオリンも見てもらった結果、弦もナイロン弦に替えて、指板と弦が離れているとかでナットを削ってできる範囲で調整といろいろやってもらった(駒はいじらず)。ナットを削られて白かったらどうしょうと思ったが本物の黒檀らしくちょっと安心。

その他、ペグを専用の台の上で回して削り、当たりを均一にしてくれた。また、エンドピンの穴からのぞきながら魂柱の位置まで微調整してくれた。職人さん気質らしく、”みてしまうといろいろ気になって調整したくなってねーー”と笑いながらいっていた。なかなかいい職人さんである。
わたしの腕前も調整してくれてよくなるといい、だがねーー。

でも帝大の工科大学生としてしっかり職場や職人さんの作業を観察してきた。子供の頃、大工さんやオートバイ屋さんでの仕事をくっついて見ていた事を思い出した。

毛替え:水を付けたくしで毛を何回も何回もといてそろえる。毛の両端にアルコールランプで松脂を溶かしながら塗り固める。毛は弓ににかわで接着するものだと思っていたが、ここの職人さんはにかわ等の接着剤は一切使わずに毛の束をのみで作った小さなくさびを打ち込んで弓に固定していた。
のみひとつでものさしなど使わずに勘でどんどん木を削って穴に合ったくさびを何個も作っていく。釘や接着剤を使わない昔の大工さんと同じであった。

電動工作機械は小さなボール盤(ドリルでの穴あけ)しかなく、後はのみや小さなハンマー、やすりが多数ある。小さな万力があり、これをよく使っている。毛替えもこの万力に弓を挟んでいろいろ作業する。

作業室にはたぶんヨーロッパの古くて高そうなバイオリン本体が無数にぶら下がっている。修理または復元中の表板(おもていた)や指板が無いものもある。よく見るとナットのほとんどが弦が当たる部分をいろいろ削って調整した跡がある。
でも大地震があるとすべて落ちで壊れてしまうような気がしたが大丈夫だろうか。

毛の無い古い弓が何百本も筒の中に無造作に入っている。黒檀の指板もたくさん箱に入っている。手にとって見ると本当に重い。仏壇に使われている紫檀は見あたらなかった。弦も綺麗に紙の袋に入ったものしか見たことが無かったが、ここではG,D,Aとそれぞれ束にして置いてありそこから取り出して使っていた。

子供の頃のようにいろいろ見ていて、何時間いても飽きないような場所だった。
(高級な)バイオリンは修理して長く使うという江戸時代のようなリサイクルがまだ残っている。もっともっと古い物を大切にしよう。

帝大生も着物も袴も戦前のものを大切に使っているので、帝大生のバイオリンは安物だが大切に使わなくてはと思った。

追記:
気に入っている袴は高いものではないと思うが、三中井(みなかい)呉服店のマークが入っている。近江商人の中江勝次郎が作ったもので、後に三中井百貨店となった。朝鮮半島の釜山、ソウル、平壌等に大きな店をもつデパートであった。そして昭和20年8月、敗戦ですべてが消滅した。

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Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

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昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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