2006/03/19
石田一松(1902~1956) タレント議員第一号
旧制の私立大学を卒業しているバイオリン演歌師で元祖タレント議員(広島の府中出身)
大正9年に上京し、法政大学法科に入学。演歌師として活躍。酋長の娘を作詞、作曲。昭和2年に法政大を卒業、6年、吉本興業専属になる。昭和21年に衆議院選挙に当選し、代議士として四期つとめる。28年4月の選挙で次点になり、その後はラジオや舞台の出演をこなしていた。31年、豊島区雑司ヶ谷の自宅で、胃ガンのため死亡した。
弟子に田浦美津路、桜井敏雄がいた。桜井氏は晩年演歌師として注目されたが、兄弟子の田浦氏もレコードを残しており、バイオリンも上手である。知ってもらいたいことは桜井敏雄の唄い方がバイオリン演歌ではないということである。石田一松もたくさんレコードを残しており、演奏も上手である。
私の好きな歌はのんき節以外には酋長の娘である。明るくて楽しく、またマーシャル群島を含む南洋群島が日本の委任統治領であった島国根性とはいわせない広い日本であった頃の歌である。三味線と笛の伴奏で歌う歌も聞いたことがある。
「酋長の娘」 石田一松 作詞・作曲 (唄 中村慶子)
わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人
赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊る
石田の権力を皮肉ったユーモアは官憲の圧迫をうけたが、庶民から圧倒的人気を博した。
”買いだめ厳禁”のポスターを貼ればいいというものじゃないですよ、この間、街を歩いていたら氷屋の店に買いだめ厳禁のポスターを貼っていました。政府は何を考えているのですかね。
戦後、国会議員になってからも英語でのんき節を唄ってGHQからもにらまれて事情聴取を受けたらしい。
米国軍人は女狂いで、大和撫子は金と男を欲しがっているのかと責められたらしい。戦争が終わればどこの国にでもある状況だと思うが皮肉られるのが我慢できなかったらしい。
Please give me chocokate, I love you!
You love me, kiss me again!
Goodby, thank you, Eeasygoing way // Eeasygoing way
闘った「のんき節」タレント議員第一号 演歌師 石田一松
水野喬著 文芸社発行 ISBN4-8355-4855-8 定価 1,500円(消費税込み)