島唄、大和唄ライブコンサートでバイオリン演歌  2005





遅くなったが去年11月に吉祥寺「MANDA-LA2」(曼荼羅2)で行われた島唄と大和叙情歌との競演コンサートを報告する。屋繁男が歌う大和歌の伴奏は、前半をプロのピアニストが、後半を帝大生ゆめじがバイオリンで行った。

バイオリンは歌と伴奏がユニゾンの幼稚ないわゆるバイオリン演歌である。でも終了後、バイオリンの伴奏は雰囲気が出ていいねといろいろな方からおほめいただいた。ピアニストはライブハウスらしくラフなシャツとパンツ姿であったが、当方は絣の着物に袴、帝大帽、高下駄の書生の正装であったのがよかったらしい。

失敗もあった。リハーサルをやり、マイクの位置、ライトも確認したのに、いざ本番でバイオリンを弾こうとすると、低い天井の突き出た梁に弓が当たってしまうしマイクの高さも違う。なぜだと思ったら、本番では高下駄を履き、10センチ以上高くなっていた。あわてて演奏場所を変えて無事スタートした。ライトのために本番の衣装でリハーサルを行ったが、肝心の高下駄を履くのを忘れていたのであった。

奄美と沖縄の三線と歌はすべて着物姿であった。奄美の三線のメロディは日本のお座敷で弾く三味線のメロディーに似ているところがあり、日本人”やまとんちゅう”として親近感を感じた。

ライブに来ているお客さんは沖縄、奄美の人も多く、方言が飛び交いよく理解できない。客席で”やまとんちゅう”かどうかの確認も行われていて、40年近く前に船で沖縄へ行った頃へタイムスリップした気がした。まだまだ本土か島かとの意識はある。でもそれが沖縄固有の文化を残しているのだからいいのだ。

最後は参加者、観客全員でピアノとバイオリンとの伴奏で南洋航路(ラバウル小唄)を”さーらばラバウルよ、またくるまーでは”と大合唱した。ラバウル小唄は「南洋航路」という歌謡曲が原曲であり、沖縄の方の話によると、軍歌ではなく、昔は島に船が着いたときや、出航するときに歌ったそうである。

バイオリン演歌伴奏:美しき天然、カチューシャの歌、籠の鳥、船頭小唄、ラバウル小唄(南洋航路)
<島唄、大和唄 ライブコンサート>
日時:2005年11月28日(月)19:00から(18:30開場)
場所:吉祥寺「MANDA-LA2」(曼荼羅2)  http://www.mandala.gr.jp/man2.html
木戸銭:前売り2,500円、当日3,000円(全席自由・飲食別)
坪山 豊: http://www.simauta.net/index/utasya/TsuboyamaYutaka.htm
伊良皆高吉:http://www.nema-net.com/new-cd/cd-artist/iramina-k.htm

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ

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「ストーカーと呼ばないで」現代の書生節 オオタスセリ


オオタスセリは平成書生節を作り唄う演歌師である。今までは自主製作版CD”ストーカーと呼ばないで”を売っていたが、2006年1月21日にビクターから全国発売された(4曲入り1000円、他は友達の話、恋愛相談、リストラ)。 もちろん帝大生は自主制作版CDを持っている。

私は政治や戦争を直接を批判したりするフォークはあまり好きでなかったが、世相を皮肉るような歌は好きだった。よく考えると35年前のフォークよりずっと前に社会を皮肉ったりしていた歌が存在していたわけであり、それが書生節、バイオリン演歌である。

あの添田唖蝉坊のように現代社会を鋭く観察して、おもしろくて悲しい歌(平成の書生節)をたくさん作っていくことを願っている。「私のいろは」も気に入っている、いろはカルタにして遊びたいくらいである。

”女性芸人オオタスセリのCD品切れの大人気”(2006年2月5日(日)東京新聞朝刊参照):
http://www.geocities.jp/teds3d/AS002.html

「ストーカーと呼ばないで」 (全国版CDでは若干歌詞が異なるかもしれません)

ストーカーと呼ばないで あなたが 好きなだけ
ストーカーと呼ばないで あなたを 見てるだけ

通勤電車の 同じ車両 幸せな毎日
砂を噛む様な 私の暮らしに 明るい陽が差した
スーツ姿に ふちなし眼鏡が 自信に満ちていて
あなたを もっと知りたくて 後をつけました
お勤めの会社 わかったので 有給とりました
後は自然に あなたのお家が 分かりました

ストーカーと呼ばないで あなたを つけただけ
ストーカーと呼ばないで あなたが 好きなだけ

一人暮らしのカーテンに あなたのシルエット
飽きもしないで 夜中まで 眺めておりました
あなたのお部屋を 眺めるのが 日課になりました
帰りの遅い日は ちょっと 心配になりました
ある日あなたは 女の子連れて帰ってきました
思い切って 書きました 手紙を書きました

ストーカーと呼ばないで 手紙を 出しただけ
ストーカーと呼ばないで あなたが 好きなだけ

あなたのポストに 手紙を入れるの 日課になりました
ついでに あなた宛の手紙を 毎日読むようになりました
あなたを 知れば知るほど 夢中になりました
思い切って かけました 電話をかけました
あなたに 無言電話するのが 日課になりました
何を話してよいのか 接点がないので
毎日無言で かけました

ストーカーと呼ばないで 声が 聞きたいだけ
ストーカーと呼ばないで あなたが 好きなだけ

あなたが 電話に出なくなり 寂しさが つのり
思い切って 作りました 合鍵作りました
あなたのお部屋に 入るのが 日課になりました
良い事 悪い事の 区別が 全然つかなくなりました
気がつけば 周りを沢山のおまわりさんに 囲まれておりました
でも信じてください 私 本当に あなたが好きでした

ストーカーと呼ばないで あなたが 好きなだけ
ストーカ-と呼ばないで 今でも 好きなだけ

「私のいろは」  (全国発売のCDには入っていない、自主制作版のみ)気に入ったものを抜粋する。

い・・・行かず後家にも、五分の魂。
ろ・・・ろくでなしほど、男前。
は・・・歯には衣着せとけ。
に・・・憎まれても、忘れられるより、まし。

へ・・・へこんだ夜は、無言電話。
と・・・遠くの彼氏より、近くの他人。(浮気の勧め?)
ち・・・痴漢にもあわなくなった。
り・・・理由が言えない、40過ぎの独身。
ぬ・・・ぬくもりは、ペットで満たす。
る・・・ルールブックは私。

か・・・かませ犬で結構。
よ・・・欲望に呑み込まれる夜。
た・・・他人の幸せ、私の不幸せ。
れ・・・恋愛の記憶だけで、暮らす。
そ・・・そっと貯金通帳を見る。
つ・・・月夜に寿命を数える。
ね・・・寝込んだらおしまい。

む・・・無理を通して、仕事失う。
う・・・浮いた気持ちも、75日。

の・・・残り物には理由がある。
お・・・親が死んでも、腹は空く。
く・・・苦しみも慣れる。
や・・・焼けぼっくいにも、火がつかない。
ま・・・負け犬同士でランク付け。
け・・・喧嘩してる時が真実。
ふ・・・夫婦仲良し、不思議でならない。

え・・・演技は人柄。
て・・・天性だけでは生き残れない。
あ・・・開かない幕はない。閉まらない幕もない。
さ・・・逆らっても流されてる。
き・・・気配りが仇になる。
ゆ・・・夢の中では上手くいく。
め・・・面倒くさくなったら、おしまい。化粧。
み・・・皆でいても、一人ぼっち。
し・・・知らない人といる方がまし。
ゑ・・・ゑってなんだ。
ひ・・・引越しじゃ、人生変わらない。

す・・・好きな人には、天邪鬼。
    そんな私のイロハ~!

楽四季一生 <ヴァイオリン演歌>



楽四季一生(たのしきかずお)さんは、ヴァイオリン演歌を中心に日本の大衆芸能、芸術の学習研究を行い、またボランティア活動、イベント等へ積極的に参加している。

大正を楽しむ会を主催し、川崎市市民ミュージアムでの野外ライブを中心に懐かしい歌を歌ったり、演奏したりしている。

日本においては、小澤昭二さんについで2番目にバイオリン演歌(書生節)での活動が長いと思われる。つまり世界でも2番目のキャリアの持ち主である。

楽四季一生さんは、最後の演歌師であった桜井敏雄さんとおなじ大道芸研究会に属していたことがあり、桜井敏雄さんから直接にバイオリン演歌を習った。

楽四季一生:http://homepage2.nifty.com/tanosiki/


CD「ヴァイオリン演歌二」 明治・大正 街角の流行り唄 
楽四季一生

バイオリン演歌師 楽四季一生が2枚目のCDを完成して発売中である。今回は27曲入りという大作である。
http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/62663127.html


バイオリン演歌 大正演歌 書生節 昭和歌謡 Violin Fiddle 昭和演歌師 平成演歌師

佐原新月(アラブ研究家)



バイオリン演歌ショウ(大正バイオリン演歌集団)を立ち上げたが2005年6月にお亡くなりになられた。
鳴り物(チンドン)入りのバイオリン演歌である。大道芸のショウとしてはおもしろい。

座長である佐原新月を中心に男性1名、女性2名のアマチュアグループであった。
向かって左側にバイオリンを演奏するハイカラさん姿のお富と右側にチンドンとフルートのしげ奴(町娘姿)を従えて、佐原新月が書生姿で唄う。

政府批判、自衛隊批判の替歌が多かったので面白くなかった。戦友の替歌で”隊友”など”ここはお国を何百里 離れて遠きイラクの ----”をやっていた。
しかし、学徒動員で働いた工場で覚えたというさすらいの唄は感じが出ていてよかった。 自分ではバイオリン演奏ができなかったが、書生節を歌ったり、その研究は何十年もやってこられた方である。

写真:1994年イラクのハトラ国際音楽フェスティバルで大正演歌を歌う。
佐原新月:(アラブ問題専門家、元東海大学講師 阿部政雄)     
しげ奴 :ちんどん屋(チンドンよしの所属)
お 富 :現役音大生

 阿部さんも学徒動員先の工場で夜勤の時には学徒や作業員とともに「さすらいの唄」を歌ったそうです。阿部さんの話によると、工場の作業員から初めてこの曲を教わったといっていました。

阿部政雄(あべ まさお)氏が書かれた文章を下記に紹介する。
(アラブ研究家、元東海大学講師 1928年、愛知県生まれ、旧制名古屋中学卒、南山大学英文科中退)

 大正演歌を中心にした唄を色々な集会で、大道演歌師として始めることになりそうです。角帽、袴、高下駄など持っています。イラクでもしばしば歌ってきました。

また、こうした話芸(大正演歌、大道芸、講談、活弁、朗読など)をする場合の芸名を佐原新月としました。「さはら」はアラビア語で砂漠の意味、「新月」は三ヶ月(ヒラール)の意味です。まだ、かけ出しですので(といっても30年ぐらい色々な形で関わってきましたが)、土地土地のお方がたに厄介になることと思います。恐惶万端、隅から隅まで、ずずずいと御願い奉ります。

 大道芸研究会に約3年参加したが、特に亀戸の桜井敏雄師匠のお宅には、よく遊びに行き、多くの大正演歌や書生節を学んだ。

「あの第2次大戦中、小生は今の高校生の年頃で、旧制中学校は全部閉鎖、学徒動員されて名古屋の三菱の工場で飛行機の発動機に使う鋳物を造っていました。来る日も来る日も土煙の出る薄暗い工場の片隅で、--- 中略 ----

そして夜勤の時は、みんなで大正、昭和の名曲といわれている歌を歌いました。
 昼間雪の中の軍事訓練の時は、三八銃を肩に担いで、繊維で出来た孔の開いた靴をはき、「日本男児と生まれきて、戦さの場(にわ)に立つからは、名をこそ惜しめつわものよ。死ぬべき時に花と散り、皇国(みくに)に香れ桜花」と合唱しながら行進し、夜勤の時には、級友と一緒に「行こうか戻ろうか、オーロラの下を」という「さすらいの唄」(トルストイ原作の『生ける屍』の劇中歌として松井須磨子が歌った名曲、北原白秋作詞、中山晋平作曲)とか、昭和初期の男女の恋を歌った「篭の鳥──逢いたさ、見たさに怖さを忘れ」といった粋曲など知っている級友と一緒に歌ったものです。みんな人間的なものに憧れていたのです。
 勿論、こんな唄を歌っていることが配属将校や三菱の勤労課の課員に見つかれば、往復ビンタを食らわされたでしょう。」


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成田山 新勝寺  開運出世小槌(こづち)  2006年正月





前回は成田山新勝寺のがまの油売りを紹介したが第2回として開運出世打出の小槌(こづち)を紹介する。

受験生、これからコンテストを受ける方、社会人になる御仁にとって、さいころとたぬきが入った開運出世小槌は必需品であろう。

小さな黄金の小槌に金色にメッキした小物を何種類も説明しながら入れて行きふたをしっかり閉めて客に手渡す。一年の間、皆様をお守りするお守りになり、毎年交換した方がいい(交換しなければいけない)そうである(毎年買わすつもり)。

成田山ではおじさんとおばさんが普通の格好(洋服)で口上をいいながら売っていた。ギャグを入れたりもするがあまり上手ではない。

湯島天神や巣鴨のとげ抜き地蔵に出ている香具師の方が本格的である。まず服装は易者のように帽子をかぶり、着物を着て、言っていることが本当らしく聞こえる。やはり大道芸は姿、形と口上である。

開運(出世)小槌に入れるものは約10種類までであり、内容は各場所大体同じであるが、最後に入れるものが成田のお不動様だったり、巣鴨のお地蔵様だったりそこにお祭しているものをいれる。

小槌に入れているものを下に記すがすべてが入るとは限らない。なんだかすべてだじゃれのようなものだが開運になるならなんでもOKだろう。

さいころ:どう転んでも必ず目(芽)がでる。勝負に勝つ!
恵比須様:金運、財運の神。お金に不自由しない。漁業・商売の守護神。
大黒様:米俵の上に座っている食べ物の神様、一生食べ物には困らない。
かえる(蛙):無事帰る、出て行った金は元へ返る。女性は一段と若返る。
小 判:小槌に入れて振ると倍倍と増えていく、千両、万両も夢ではない。
破魔矢:魔を打ち破る
南天の赤い実:難を転じて福とする
千成瓢箪:瓢箪(ひょうたん)6個でむびょうたん、無病息災。
だるま:七転び八起き
干支:その年の干支(動物)
たぬき:他を抜きますようにの意味。勉強、習い事、仕事、商売、あらゆることで他を抜きん出る。
最後にいれるもの:成田のお不動様、巣鴨のお地蔵様、天神様、弘法大師などいろいろ

実は帝大生は”さいころ”と”たぬき”が気に入って、ずっと前から持っておる。どう転んでも必ず芽が出て、他を抜きん出てバイオリンも歌も、大道芸も本業の学業、社会生活も成功するはずなのであるがーーー、いまだに十分な成果が見られないのはなぜか分からない。期限は約束していないらしい。


成田山 開運出世打出の小槌
(小槌の中身:小判、南天、破魔矢、恵比寿様、大黒様、サイコロ、カエル、ひょうたん6個、弘法大師、不動明王)
http://2.bp.blogspot.com/-inu6gmrMbYk/VpTHRNVRrJI/AAAAAAAACMw/eHg4HJDZnB4/s320/narita_kozuti.jpg

打出の小槌の中身の一例
振れば中から大判小判がザックザクといわれる打出の小槌の中に福をたっぷり詰め込んだ江戸時代から続く縁起物。
http://3.bp.blogspot.com/-N-TZHvQMcHA/VpTJIMMiTOI/AAAAAAAACM8/nk0PuNsnkuM/s400/itodenokozutinakami.jpg

ドラマ”伝説の秋田犬ハチ”におけるバイオリン演歌考察



1月10日の日本テレビドラマを見たが、大正末期から昭和の初めという設定であるので、バイオリン演歌が非常に重要な二つの場面で使われていた。脚本家と監督に感謝する。

最初の場面は書生役のドロンズ石本が帝大教授が死亡したため、お暇することになり奥様(泉ピン子)とお別れするシーンである。ドロンズがバイオリンを取り出し、船頭小唄を追悼のために弾き語る(演奏は楽四季氏の吹き替え)。船頭小唄は大正12年に大流行した。
ギターなんかない時代に音楽好きの書生はバイオリンを持っていて弾き語っていたということが分かる。

バイオリンが登場する二番目の場面は渋谷駅前の屋台付近をバイオリン演歌の夫婦ものが籠の鳥を歌いながら流すシーン。女が歌い、後ろで楽四季氏がバイオリンを演奏している。この唄を屋台の人々はそれぞれ思いにふけりながら聞いている。また、ハチ公は傷つき疲れて汚れた体を休めている感傷的な場面である。

大正時代、昭和の初めまで、バイオリン演歌は全盛であり、ドラマ、映画などでもっとバイオリン演歌を理解して情景としてどんどん使用してほしい。期待している。

放送日時:2005年1月10日(火)21:30~23:24 DRAMA COMPLEX 日本テレビ系で放送
原作/脚本:新藤兼人 監督:吉川一義 出演:泉ピン子 松方弘樹 乙葉 山本圭壱 ほんこんほか

<お正月の神社で大道芸・バイオリン演歌(本氷川神社)>





お正月の3日間、足立区千住の本氷川神社境内で大道芸を行った。この神社には千寿七福神の大黒天が祭ってある。帝大生が登場した1月3日は快晴で人出もかなりあった。2日は楽四季氏によるバイオリン演歌であったが雨で苦労したらしい。

大道芸が始まっても立ち止まって見る方は少なく、見ながら流れて行く。本氷川神社は北千住駅から近いせいもあり、最初の参拝のようで次の神社へ行こうという意思が働いているようだ。去年の千住神社は駅から一番遠く、イスに座って見ながら休んでいくお客が多かった。

バナナの叩き売りはやはり最悪で、バナナの入った袋を持って七福神めぐりをしようとする人は少ない、普通はしない。頼むようにして買ってお持ち帰りを願う状態であった。

帝大生のバイオリン演歌は前座で大正・昭和時代の有名な曲を歌う(金色夜叉、籠の鳥、カチューシャの唄、さすらいの唄、のんき節等)。素足に高下駄はやはり寒い、冷たい、書生はやせ我慢のみ。

やはり人を集めたのが今井氏の護符売りである。山伏の格好をして、”石が動くぞ、ほんの少しですがこの石が動く!”客を寄せて、縛った石を薄い和紙で持ち上げる。誰がやっても紙が切れてしまうが、九字を切って祈れば魂がお石に乗り移り、薄い和紙でも石をもちあげることができるようになる。お客は驚いていた。昔はお祭で見ることができたが今はほとんど見ることができない。

日時:2006年1月1日~3日 11:00-12:00, 13:00-15:00 
場所:本氷川神社(大黒天)JR・営団地下鉄・東武 北千住駅下車 
3日:バイオリン演歌(帝大生)、護符売り、バナナの叩き売り、ピエロ(バルーン)
http://www.dentan.jp/saijiki/7fuku/senjyu7.html

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成田山新勝寺境内の香具師たち(1) 2006年正月





今年も千葉県の成田山へ初詣した。最近、どこへ行っても面白おかしい、または不安にさせる口上を言ってたくみに物を売る香具師を見なくなった。今回は、前から気になっているがまの油売りを紹介する。

成田山大本堂前の休憩所脇にから少し行くと「出世稲荷」へ上がる階段があり、その階段を上がって出世稲荷へ行く道にその店は毎年ように出ている。

薬であるがまの油は薬事法の関係で販売できないはずだかなぜか堂々と”がまの油”と名づけて売っている。店頭に黒い蛙の干物をたくさん並べて、缶の中の薬らしき黄色い軟膏を黙ってかき混ぜているだけである。ただ、昔見たようにその香具師の横には古びた現金書留の束が無数に置いてある(壁の横の白くみえる棚)。

しかし、売人は服装も普通の服でほとんどの客は通り過ぎていくだけで買っているのを見たこともない。口上も聞いたことがない。

無害のものなら、子供のときにお祭で聞いたような口上で客を集めどんどん売ってほしい。私ならこう言うであろう。
白衣を着て、”私は帝大医学部の生理学教室で古来のがまの油の有効成分の研究で学位を取ったものである。この薬は切り傷、しもやけは当たり前、出痔疣痔、痔ろう脱肛鶏冠痔、その外、横根雁瘡楊梅瘡、歯の痛みまで、なんにでも効く。”

”そんなものうそに決まっているという方がおられるかもしれませんが、ほら、これを見なさい。ぜひ薬を送ってくれといって送られてきた現金書留の束だ。鹿児島、島根、高知、和歌山、東のほうでは北海道、秋田、栃木、全国各地から注文が来ている。”おもむろに、香具師はたどたどしい字で書かれた手紙を読み始める。”前に送ってもらった薬は著しく効きました。親戚もほしがっているので至急5個送ってほしい---”

子供心にうそだと思いながらも、香具師のうまい口上と表情に感心してずっと聞いていた。

今年売っていた香具師は驚いたことに奥さんと小学生らしき子供を連れて売っていた。がまの油なぞはそんな家族的雰囲気で売るものではないと思うのだがーーー。日本の大道芸がどんどん消えていっていることを実感した。

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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