<大正を唄う会第二回>に参加!


              セノオ楽譜「蘭燈」竹下夢二(写真)
大正を愛するバイオリン演歌師の楽四季一生さんが主催する大正を唄う会が武蔵小杉で開かれ参加した(10月23日)。明治の終わりから大正時代の歌を歌ったり、資料の公開、情報交換を行って楽しく過ごす会である。歌はヴァイオリン演歌、唱歌、童謡、寮歌、軍歌、民謡何でもよい。 

参加者は7名で、うち4名は若者であった。歌う前に軽くストレッチ体操を行い体をほぐしてからういろう売(外郎売)による発声練習、その後、東京節(パイノパイノパイ)を全員で歌った。

今回は<バイオリン演歌の夜明け、大正の始まり>というテーマだが全く堅苦しくはなかった。バイオリン演歌師として活躍した神長瞭月や桜井敏雄のテープを聴いたあと、楽四季氏の解説を聞きながらスカラーソング(学生節)、ハイカラ節等を歌っていった。

神長瞭月が明治42年に初めて演歌にバイオリンを導入した。浅草の電気館で楽士がバイオリンを弾いているのを聴いて、これは使える、歌に伴奏をつけようと思ったそうである(それまでの演歌は無伴奏)。

日露戦争における旅順港閉塞戦の概要と乃木大将とステッセル将軍との水師営での会見、乃木大将殉死などの解説を留吉さんが行う。文部省唱歌 広瀬中佐、水師営の会見、乃木将軍の歌、戦友を歌う。

その後、三大寮歌のひとつといわれる”都ぞ弥生”をバイオリン伴奏で歌う。この日のためにゆめじは特訓練習を行ったが、一高寮歌のああ玉杯に花受けてなどと違って、男子の寮歌ではなくて混声合唱の曲のようであまり個人的には気に入らない。あと、”妻をめとらば才たけてみめ美わしく情けある”と女性(2名)に遠慮がちに人を恋うる唄も歌った。

お茶とお菓子で休憩した後、参加者全員が個別に発表したり歌を歌ったりした。ゆめじは大正時代の童謡(しゃぼん玉、赤とんぼ、宵待草)をバイオリンを弾きながら歌った。なぜか、南京玉すだれの実演もあった。

今回バイオリンを持ってきた人が4名、全部で5丁のバイオリンが集合した。そこでバイオリン演歌教室のようになり、あちこちでバイオリンレッスンが始まり好評のようであった。
大いに盛り上がったが、あっという間に時間が過ぎて残念ながら終了時間となってしまった。
その他みんなで歌った曲:
ふじの山、虫のこえ、紅葉、汽車、ローレライ、奈良丸くずし、間がいいソング、軍歌多数
(大正を唄う会第二回:2005年10月23日 13:00 武蔵小杉 自治会館第4会議室)

次回 <大正を唄う会・第三回> 
日時:2005年11月13日(日) 9:00-11:40頃
場所:武蔵小杉・自治会館第4会議室 中原区小杉町3-1 電話(044)733-1232
参加費:500円(お茶代を含む)
http://homepage2.nifty.com/tanosiki/kai-taisyo-uta3.htm

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ

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上方落語『ほうじの茶』にもバイオリン演歌師が登場?


落語の天王寺詣には、大道芸であるのぞきからくり『不如帰』やお乞食さんの『賽の河原の物語』が登場する。
2年ほど前に大阪の天王寺さん(四天王寺)へ行ったが、相変わらずの賑わいであった。境内には、食べ物の屋台や骨董屋さん、衣類のフリーマーケットばかりで昔ながらの薬草売り、大道で占いをする六魔(ろくま)、のぞきからくりなんかはもういなかった。ただ、十干十二の干支の動物を書いた絵が描いてあるテントの中で占い師が個人的に鑑定をしていた。

亀の池の前にはのぞきからくりが出ていて子供のころよく見たという話を何回も年配者から聞いたものである。

落語の中には昔の大道芸がたくさん残っている。くしゃみ講釈という落語では、のぞきからくり節の「八百屋お七(しち)」出てくる。胡椒を買いに行くのに”寺の小姓の吉三さんーー”と唄って胡椒を思い出させるようにする内容である。

今回は、落語の中にバイオリン演歌が入っている落語があるので紹介する。桂文我の『ほうじの茶』で三味線やバイオリンの弾き語り入りである。CDも出ているそうだが残念ながらまだ聞いていない。バイオリン演歌師としては是非聞きたいものである。

桂文我は三味線やバイオリンまでも高座で演奏してしまうという落語家である。ずっとバイオリン演歌を続けてほしい。

<要約>
芸の無いたいこ持ちが若旦那に芸の精進するかひいきを止めるかと意見される。たいこ持ちは芸の精進はできぬが、お茶を焙じてお茶の精を出してそれが何でも芸をみせるという。踊り、浄瑠璃と出したところで、西洋と東洋の結合したバイオリン演歌ってなもん聞かれへんやろかということになる。

書生のカッコしてヴァイオリン弾くやつでっか? そんなん演れるんやろか? ちょっと待っとくれやっしゃ……ほな、バイオリン演歌師、出て来いよ~~ 金色夜叉はどないや? 熱海の海岸ねぇ あら陰気臭そまんなぁ 一体何が演れるんや? ほな、東京節どうや?
というわけで、落語の中で東京節(パイノパイノパイ)を演奏する。

その後、若旦那が自分で、芸妓、舞妓を出そうとしたら、死ん親父が出てきて、えらく怒られてしまう。

さよか…… で、若旦さん、お茶はよぉ炙(あぶ)りましたやろなぁ?
お前が帰って来たらいかん思て、えぇ加減にやったんや。
<さげ>
それがいかん。そら、焙(ほう)じが足りまへんねん。

http://www.beicho.co.jp/cd-bunga.htm

「大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい」 毎日新聞 2005年10月18日


読売新聞にも載ったが、2005年10月18日付けの毎日新聞にもわれわれの公演が下記の通り紹介されました。

遊ぶ:「大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい」--29日、世田谷区 /東京

 ◇独特の話芸を堪能--烏山区民センター

 日本に古くから伝わる大道芸を集めた公演「大道芸絵巻 江戸・東京の賑(にぎ)わい」が29日、世田谷区南烏山6の烏山区民センターで行われる。独特の口上で親しまれてきたバナナの叩(たた)き売りや南京玉すだれなど約20種類の演目が披露され、西洋のものとは一味違う口上中心の和の大道芸が堪能できる。

 「日本大道芸・大道芸の会」の主催。代表の光田憲雄さん(59)らが約10年前、「日本独特の話芸をこのままなくしてはいけない」と継承者育成を目的に結成した。光田さんは「西洋の大道芸は芸そのものが商品。日本では、零細業者が商品を売る人集めの手段として発展してきた」と話す。

 人相で運勢を見るなど笑いをとった上で手相占いをする「ロクマ(六魔)や、ふんどし姿で店先で景気の良い口上を述べ、店からお金をもらう「すたすた坊主」、浅利(あさり)売り、納豆売り、バイオリン演奏、沖縄三線(さんしん)など。

 高齢の出演者も多く、最高齢は「がまの油売り」の男性で83歳。これだけの演目を一度に紹介するのは珍しく、文化庁芸術祭参加公演になっている。【若井耕司】

………………………………………………………………………………………………………
 ★メモ
 公演は29日午後1時から同3時半まで。世田谷区南烏山6の烏山区民センター大ホール(京王線千歳烏山駅下車徒歩1分)。入場料500円。問い合わせは光田さん(03・3307・2146)。

『大道芸絵巻 江戸東京の賑わい』 でバイオリン演歌 2005年10月29日
http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/17240274.html

文化庁芸術祭参加公演『大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい』2005年10月12日の読売新聞東京版記事
http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/13404553.html

文化庁芸術祭参加公演『大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい』開催!





2005年10月12日の読売新聞東京版にわれわれの公演の内容が載った(写真参照)。大手新聞も日本の大道芸に理解があるようである。

われわれは最近流行っている西洋の大道芸(パントマイム、ジャグリング)でなく、日本古来の大道芸を伝承、復活させようと活動している。芸を見せて金をとったり、無心したりする芸もあるが、多くは客寄せのため芸を見せてその後、商品(薬、お札等)を売ることが多い。

また、声を上げて品物を売り歩く”振り売り”も昔は普通であった。
 
 行く先の 時計となれや 小商人(こあきんど)

コンビにができて便利になったというが、昔は必要なものほとんどを家の前まで売りに来ていたのである。

子供のころ、朝、お味噌汁を作るころになるとしじみ、あさりを売りに来て、母が台所の窓から声をかけて買っていた。砂抜きしたものを一合枡で量ってくれてすぐ味噌汁のなべに入れて、あさりの味噌汁の出来上がりである。窓を通しての売買であり、外に出る必要もなかった。ある意味では、昔のほうが便利だし、新鮮なものをおいしく食べることができた。

今回の『大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい』は江戸時代から昭和初期までの20種類以上の大道芸を一堂に集めて当時の扮装で紹介する。

本年2月にも公演を実施したが、アンケートで人気があったのは意外にも売り声であった。今回も14種類程度実演するのでぜひ見てほしい。穴の開いたなべ、釜を修理する鋳掛屋(いかけや)やゴム靴の修繕、屑屋は実際見たことがあるし面白い。

あと、絶対お勧めなのが”すたすた坊主”である。願人坊主とは”御利益は欲しいけれど修行はいやだ”という人(現代人も同じか)に代わって修行を引き受ける人たちである。そしてこれが単なる乞食坊主に堕落して奇妙な姿で踊って金を集めていたのがすたすた坊主である(昔の絵を見るとほとんど裸同然)。百聞は一見にしかずである。
おめでたいー!、おめでたいー!、すたすた坊主の来るところ!
おめでたいー!、おめでたいー!、商売繁盛、おめでたい、ちんぷんかんぷん、おめでたい!

ゆめじも江戸時代の振り売りで登場する予定である(たった1分程度の出番)。
あとは最後に高下駄に帝大帽の帝大生ゆめじとして登場して全員で故郷を歌う予定である。

<大道芸絵巻  江戸・東京の賑わい>

第60回記念文化庁芸術祭 参加公演
日時:2005年10月29日(土)開演13:00 - 15:30
場所:烏山区民センター大ホール(京王線千歳烏山駅前) 新宿から急行で15分
木戸銭:500円
演目:
浅利売り、納豆売り、獅子舞、朝顔売り、金魚売り、七味唐辛子売り、大原女、はったい粉売り、煮豆売り、鋳掛け屋、ゴム靴修繕、屑屋 、沖縄三線、和妻、江戸芸 かっぽれ(櫻川梅光枝社中)、すたすた坊主、 虚無僧流し(藤由越山(普化宗尺八院代))
中入り 
南京玉すだれ 、ロクマ 光田憲雄(東京都ヘブンアーティスト)、バナナのたたき売り 今井重美(東京都ヘブンアーティスト)、ガマの油売り 梅原白髯(東京都ヘブンアーティスト)、辻占売り、ヴァイオリン演歌(楽四季一生)、故郷合唱(全員)

問い合わせ先:日本大道芸・大道芸の会 代表 光田憲雄
E-Mail daidogei @ kib.biglobe.ne.jp (SPAMよけのため@の前後に半角スペースを挿入しています。お手数ですが削除してご使用ください。)

『大道芸絵巻 江戸東京の賑わい』 でバイオリン演歌 2005年10月29日
http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/17240274.html

「大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい」毎日新聞 2005年10月18日記事
http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/13858893.html

<上祖師谷神明社例大祭でバイオリン演歌> 2005


2005年10月1日(土)は世田谷区上祖師谷神明社のお祭りであった。神明社は江戸時代から上祖師谷の鎮守だったと思われる。仙川の横の小高い丘の上にあり、公園を含めるとかなり広い。

夕方、境内には露天がぎっしりと並んでいる。焼きそば、お好み焼き、かき氷、あんずあめ、おでん、焼き鳥、スーパーボール、金魚すくい、輪投げ、コルクの玉を撃って景品を落とすなつかしい射的など多数。射的はやはり昔と変わらず小学生の男の子が必死になってやっていた。何十年ぶりにか見たのは型抜きである。相変わらずの人気である。

このあたりはもちろん、新しい住民も入ってきているが、昔から住んでいる地元の人も多い地域である。全国的にはあの”上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件(平成12年12月)”で有名になった地域でもある(未解決)。

神楽殿での演芸大会は子供からお年寄りまで参加した何でもあり大会であった。神楽殿の前には太い丸太で仕切ってシートを敷いた席があり、その後ろは立見席になっている(写真正面)。

午後7時、子供たちの和太鼓から始まった。子供たちの歌、和太鼓、K大学野球部のグランドや寮が近くにあるためか、選抜野球部員によるカラオケ&ダンス。YMCAを歌い踊るのが若々しくてよかった。

また、日舞や中国の二胡演奏もあった。子供たちが飛び入り参加でどらえもんの歌を歌ったりもしている。
もちろん、ゆめじもバイオリン演歌で出演して、10月29日に烏山区民センター大ホールで公演される”大道芸絵巻 江戸・東京の賑わい”の紹介もさせてもらった。

神楽殿を、地元の人たちのどんな演芸にでも開放しているのがよい。江戸時代からずっと地元の鎮守さまであり、これからも、時代が変わっても親しまれていくであろう。

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ

九段会館(軍人会館)(1934年、昭和9年)と街頭便所(昭和初期)




九段下にある九段会館(元軍人会館)でいままで何回もいろいろな講習会を受けたことがあり、1階から3階までの客席を知りつくしている。3階席の傾斜は非常に急でスリルがあった。この間行ってみたが、3階席への階段は立ち入り禁止であった。

この建物は帝国軍人会が昭和9年に建設したものであり、2.26事件の際はここに戒厳司令部が置かれたそうである。洋風の建物に瓦屋根、和洋折衷の様式で帝冠様式の代表的な作品である。いまでは、レストランや結婚式場にもなっており、ビヤガーデンもある。

九段会館ホール(講堂):客席数 1112(1階614席・2階168席・3階330席)、座席の列番号表記は「いろは順」

東日本大震災の影響で2011年(平成23年)4月に廃業し、施設は閉鎖された。

1928年(昭和3年)、昭和御大礼記念事業の一環として「軍人会館」建設計画が持ち上がる。
1934年(昭和9年)3月、「軍人会館」落成式
1945年(昭和20年)9月、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により接収。以降「アーミーホール」の名称で連合軍の宿舎として使用された。
1953年(昭和28年)8月、日本遺族会への無償貸与を開始すると共に、施設名称を「九段会館」に変更
2011年3月11日、東京観光専門学校の卒業式の最中に東北地方太平洋沖地震が発生し、天井崩落で2名死亡。この日以降休館に追い込まれた。


<東京市街頭便所>
また、今では昭和館がこのあたりでは目立つし有名かもしれないが、九段下の交番と九段会館との間に半地下式の古びたコンクリートで作られた公衆トイレがひっそりとある。これこそ知る人ぞ知る昭和初期の東京市街頭便所である。もちろん男女別であり、完成した当時はさぞモダンであったであろう。(写真の後ろは昭和館)

はっきり行って汚くて使う気にはなれないが、壊されることもなく、現存しているのである。軍人会館、靖国神社、お堀(牛が渕)、そして最近の昭和館を見続けてきた街頭便所をぜひみてほしい。

超モダン建築「野々宮アパート」:
軍人会館の向かい、九段坂下角に昭和11年建築の東京一モダンな”野々宮アパート”があったらしい。当然今はない。

アパートは、吹き抜けのロビーやエレベーター、備え付け家具など設備もホテル並みだった。現代の都市型マンションの原型といわれる。入居者は外国人や文化人が多く、旧ソ連へ亡命して話題となった故岡田嘉子さんも住民の一人だったそうだ。

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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