<仲町氷川神社 祭礼演芸大会でバイオリン演歌 2005> 北千住


9月18日(日)の夕方から足立区北千住の氷川神社祭礼演芸大会に参加した。この神社には千寿七福神の弁財天がある。今年は5年に一度の大祭である。境内に展示してあったが、天保6年(1835年)に製作されたという本社神輿が19日には秋晴れの下で光輝くことになっている。

神社の周りは戦災に会っておらず、昔ながらの町である。氏子町内から老若男女が演芸大会と最後の富くじのために集まってきた。金魚すくい、水が流れるスーパーボール(人形)、焼きそば、かき氷などの露天も少しだが出ていた。

演芸舞台の客席はビールのケースの上に板を敷いて作ったいす席であるが200人ぐらいがぎっしり座って待っている(富くじのためか?)。ビールケースの座席がいい。子供のころは、天神様や愛宕神社でお祭りの夜、屋外で映画大会をやっていてよく見に行ったものだった。

最初は、足立区立一中の吹奏楽部40名の演奏である(写真)。全員女性で浴衣を着て本当にかわいいし中学生らしく、演奏する前から大人気である。彼女は帝大生の高下駄をみて驚いたり笑ったりしている。

われわれ大道芸はがまの油売り、バイオリン演歌、ピエロ4名であった。ピエロは休憩時間にバルーンで作った動物を配ったり、飲み物ボトル、お菓子、富くじを配り、最後は富くじの商品渡しを担当した。

最後のバイオリン演歌になっても誰も帰らない。早くやめろとはいわれないが、富くじを待っているのがよく分かるのでちょっとつらい。

これから富くじである。富くじといってもどうせ紙のくじだと思っていたら、本当に木箱の中に番号を書いた木札(松、竹、鶴、亀)をいれて竹の棒で刺す江戸時代の富くじであった。町内には大工さんや工務店がありすべて氏子の手作りだそうである。

商品は自転車が3本、あとは米、洗剤、クリーニング券等実用的なものばかりで約1時間の間、われわれを含めみな興奮と失望に包まれて楽しく過ごした。
仲町祭事長、祭事運営委員会、役員の皆様本当にお世話になりました。

バイオリン演歌曲目:金色夜叉、東京節、籠の鳥、さすらいの唄、まっくろけ節、故郷

演目: ブラスバンド、銭太鼓、がまの油売り(若竹源太)、手品、日本太鼓、かっぽれ、バイオリン演歌(帝大生ゆめじ)

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ

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マンドリンコンサート 産経学園祭 2005



30うん年前に使っていたマンドリン(鈴木バイオリン製)を実家で見つけてからマンドリンの演奏をまた聴きたくなっていた。たまたま9月に、新宿西口の明治安田生命ホールで産経学園生徒の発表会があることを知って30年以上ぶりに聴きに行くことにした。

いい場所の割りに観客が少ないのが残念であった。ひとつの発表が終わるとどんどん帰ってしまい、また次の観客が入場してくるパターンである。自分を含めてアマチュアとしてすこし反省した。

発表は新宿教室と自由が丘東急教室の合同演奏であった。第一、第二マンドリンの演奏は生徒であるが、当然マンドリンだけでなく、ギター(2名)、マンドラ(3名)が加わっており少人数(15-16名)であるが楽しい演奏であった(写真)。そうそう、忘れていたがマンドリンの合奏には指揮者がいることを思い出した。客席で聴くといい音色だが、演奏している人にはやはりいやな雑音が聞こえているのだろうか。
知床旅情は早春賦(大正2年)のパクリであるので、私のバイオリン演歌レパートリーに入っている。

曲目:旅愁、私のアイリーン、知床旅情、スケルツオ、風の丘、コーヒールンバ

バイオリン演歌師なら本当はこれを聴くべきなのかもしれないが、ついでにクラシックバイオリンの発表も聴いてしまった(写真)。バイオリンの発表というとグランドピアノの横でピアノに合わせて生徒が演奏する私の嫌いなスタイルかと思ったらピアノがなかった。

生徒のバイオリンに合わせて弦楽オーケストラ(?)が伴奏していた。ビオラ(2名)、チェロ(2名)、ベース(バス)(1名)の構成である。ベースは1名だが立って演奏しているし、音も目立つし目立ちたいならベースに限る。
曲はモーツアルト、ビバルディ、バッハ、ヘンデルらしいが習ったこともないので全く分からない。

バイオリン演歌師森田銀月が読売新聞に登場!


27歳 最年少演歌師 森田銀月

2005年9月11日(日)の読売新聞朝刊社会面に”バイオリン演歌の虜”というタイトルで演歌師仲間の森田銀月の記事が載った。

往年の演歌師たちと同じ服装が目をひく演奏活動であるとなかなか好意的な記事でありがたい。彼とは上野の花見、高円寺のお祭り等で一緒に活動しており、次の世代へ演歌を伝える若手のホープとして期待している。


<元海自マン 大転身>

「この春海上自衛官から「バイオリン演歌師」に転身した男性が東京井の頭公園で懐かしい音色を響かせている。森田 銀月さん(27)。
ほぼ毎週末、井の頭公園に立つ。かすりの着物、木綿のはかま、げた…。往年の演歌師たちと同じ服装が目をひく。演奏する曲は昭和初期までの流行歌が多い。---------

バイオリンを買い求め、約50曲をマスター。大道芸人が多い井の頭公園が気に入り、通い詰めるようになった。」

彼は海自では潜水艦の音を探知するソナーマンだったそうで、音感テストはいつも満点だった。音楽のような和音ではなく、微妙に変化する機械音を聞き分ける試験だそうだ。つまり、彼は音楽は素人だが、音感はプロとして教育を受け、それで仕事をしてきたのである。

5月頃から取材を受けていたがなかなか新聞に載らなかった。いつでも載せることができる予備用の記事であるためか。あした記事が載ると連絡を受けたときもあったが、そんなときには何か事件があり延期になってしまう。9月11日は衆議院選挙の日であった。この日はあまり書く記事がなかったのか、あるいは次の日の報道準備で大変だったのかもしれない。

上野公園花見:http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/1132727.html
高円寺ルック祭:http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/2287150.html
高円寺大道芸大会:http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/9858699.html

森田銀月 - Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E9%8A%80%E6%9C%88

書生節 バイオリン演歌 大正演歌 昭和歌謡 Violin Fiddle 昭和演歌師 平成演歌師 平成の演歌師 昭和の演歌師 日本で唯一の演歌師(27歳)
添田唖蝉坊 添田知道(添田さつき) 神長瞭月 宮島郁芳 鳥取春陽 石田一松 田浦美津路 桜井敏雄

東京帝国大学大講堂(安田講堂)(1925年、大正14年)


帝大生の書生演歌師であるからにはこの帝国大学の建物を説明しなければならない。日本の大学のシンボルでもある。
もちろんゆめじはこの帝国大学法科大学へ入ったことがある(トイレへ)。寅さんが出てきて大道で啖呵売をするなら、”おれは帝大に入っている、帝国大工組合だ、なんか文句あるか!”

安田家寄付東京帝国大学大講堂(安田講堂)は、安田財閥の安田善次郎からの寄付によって着工したが、大正12年の関東大震災によって工事が中断したりしたが1925年(大正14年)に竣工した。
1968年(昭和43年)の大学紛争によって安田講堂は占拠されて荒廃し、長らく閉鎖されていたが、現在は修復され講演や式典などに使用されている。

東京帝国大学からは上野の山や湯島天神までは大変近く、演歌師としての仕事がやりやすい位置にある学校であることは確かである(?)。

安田善次郎(1838-1921):
越中富山の生れ。江戸で両替商を営んで成功した。明治維新後政商となり、安田銀行、安田共済生命保険会なども経営し、安田保善社を中心に安田財閥の基礎を築く。日比谷公会堂、安田講堂を寄付した。

大正14年:籠の鳥、あの町この町、雨降りお月、からたちの花

安田財閥の戦後:
安田銀行は富士銀行と改称し、同行を中核とする芙蓉グループを形成した。安田財閥は企業集団としての復活はみたが、同族経営による支配体制ではなくなった。

安田財閥系の安田生命保険は明治生命保険に吸収され明治安田生命となり三菱グループ(旧・三菱財閥系)になってしまった。対等合併といいつつ、実質は明治による、財務体質の劣る旧安田の吸収合併である。
安田財閥関連の学校:保善高等学校、安田学園中学校・高等学校

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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