<旧制高等学校> ナンバースクールとネームスクール





大正時代の書生を演じていると、衣装だけでなく、高等学校のことも勉強してみたくなる。
高等学校といえば寮歌である。バイオリン弾き語りで演奏できるのは現在、”ああ玉杯に花うけて”、”紅もゆる岡の花”、”あああ黎明は(近づけり)”等のみである。もっと覚えなくてはーーー
ほとんどの寮歌のリズムはターンタ、ターンタである。なぜだろう?弓はアップがいいのかダウンがいいのか、よく分かりません。

”青年の元気は一国の元気なり。青年の意気の振、不振は直接その国運の消長に関係す。 --中略ーー
 わが寮生たるもの、その任務の重且つ大なるを思うとき、誰か意気更に揚りて天に冲するを覚えざるものあらんや。 それ寮歌は実にこの意気の発露なり顕現なり。只徒に怒号乱舞の具にあらざるなり。”
今から約80年前、大正15年の某高等学校舎監の言葉である。

写真1:旧武蔵高等学校校舎(1923年(T12年))(武蔵大学)
写真2:一番有名な旧第一高等学校本館(1933年(S8年))(東大駒場) 

旧制高等学校の目的:
戦前日本に存在した高等教育機関のひとつで男子の国民道徳を充実させ、高等普通教育を完成することを目的としていた。エリートに対する一般教養教育を目的とし、大学への予備的な教育機関としての役割を担った。現在でいえば、大学の1,2年生に対する教育(教養課程)に相当する。
(ただし、戦後の混乱期に旧制高等学校に少数ではあるが女学生も入学したらしい)

 旧制高校は最終的に39校あったそうである。修業年限は3年である(尋常科を置く場合は7年)。誰でも一応知っていて、寮歌も有名なのが”ナンバースクール”8校。これらの旧制高校は旧制大学や他の高等教育機関と統合して大学に昇格している。

1.官立
   校名     (現在)          寮歌等
第一高等学校 (東京大学教養学部)    ああ玉杯に花うけて、春爛漫の花の色
第二高等学校 (東北大学教養部)     第二高等学校校歌  
第三高等学校 (京都大学教養部)     紅もゆる岡の花
第四高等学校 (金沢大学法文学部)    南寮寮歌 北の都
第五高等学校 (熊本大学法文学部)    武夫原、椿花咲く
第六高等学校 (岡山大学法文学部)    北寮寮歌若紫に
第七高等学校 (鹿児島大学文理学部)   北辰斜めに、楠の葉末
第八高等学校 (名古屋大学教養部)    伊吹おろし、春は日影

 その他の旧制高校は所在地の名前がついており、”ネームスクール”といわれた。その多くは新制大学の教養部や文理学部の母体となった。

2.官立
 東京地区では 、浦和高等学校 (埼玉大学文理学部)、学習院高等科(宮内省管轄) (学習院大学、戦後私立)、東京高等学校(7年)(東京大学教育学部附属高校、東京大学教養学部)。大阪地区では大阪高等学校 (大阪大学教養学部)である。

第一高等学校より入学するのが難しいのが学習院高等科であろう。勉強ができても、金持ちでも簡単には入れない。戦後、学習院大学になってからは普通の私立大学になり下がってしまったが。
あの三島由紀夫は1944年(S19)9月に学習院高等科を卒業、同年10月東京帝国大学法学部に入学し、1947年(S22)に東京大学を卒業している。彼は貴族でもないと思う。
第一高等学校に入れない場合、東京の近くのネームスクールは浦和(埼玉大)、水戸(茨城大)、静岡(静岡大)の高等学校である。関西地区では第三高等学校以外でネームスクールは大阪(大阪大)、姫路(神戸大)の高等学校がある。

3.公立
東京地区では、東京府立高等学校(7年) (東京都立大学附属高校、東京都立大学教養部)、大阪地区では 大阪府立浪速高等学校(7年) (尋常科廃止、大阪大学教養学部)である。

4.私立
 東京地区では、早稲田高等学院 (早稲田大学)のみが3年制である。他の武蔵高等学校 (武蔵大学)、成城高等学校 (成城大学)、 成蹊高等学校 (成蹊大学)は7年制である。

 その他に、帝国大学予科というのがあった。 北海道帝国大学予科、京城帝国大学予科(ソウル大学) 、 台北帝国大学予科 (台湾大学)。そこまで覚える必要もないだろう。
 京城、台北の両帝国大学は大阪帝大、名古屋帝大より先に設置されているという歴史的事実から、現在でも日本の有名大学よりレベルは高いのではないか。

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第4回漫才新人大賞 宮田陽・昇が受賞!


2005年5月24日(火)に国立演芸場(東京)で漫才協団の漫才新人大賞が行われたので見に行った。ゲストは内海桂子、あした順子ひろし、ロケット団等であった。(漫才協団の定席は浅草東洋館で毎月1-9日)

出場者は7組で面白くて完成度の高いコンビは3組ぐらいいたが、新人大賞は宮田陽・昇が取った。時事ネタから入って米国の全州の名前を言いながら位置を手足で示す得意のネタで熱演した。もっと前は全国の県を同じようにネタにしていたがそのときから清潔感があり正統的な漫才でだれにでも好かれるなあと思っていた。最前列で見ていたが陽が昇の顔を平手打ちした時にはすごい音がして迫力があって本当に心配してしまった。宮田陽・昇さんおめでとう!

太郎&ロッキーは得意なキャラクターで”聞いてくださいよお客さん”を無表情に繰り返す。なんだかおかしい。ファイヤーダンスの”焼肉屋さん”はコントのようで受けていた。おぼん師の娘のりぼん(姉妹)はあまり面白くなかったが鼻の穴にでリコーダをねじ込んで吹く芸をみせていた。二十歳ぐらいの女が体を張った芸!、やる気は評価しなければならない。

ゲストのロケット団はさすがに大賞受賞コンビであり面白い。すごい速さで一方が標語をいえばそのパロディー標語を合い方がいう。内容は忘れてしまったがすごく面白かった。内海桂子(漫才協団会長)は83歳でなおも元気である。三味線漫談の後、かっぽれ(奴さん)を踊ったがそれだけでは終わらなかった。”83歳だよ。たこのげそよりいいだろう!”と裾をまくって太ももを観客に見せた。その芸人魂には感心した。

出場者(出演順):りぼん、ホンキートンク、宮田陽・昇、Wコロン、ファイヤーダンス、ざっくばらん、太郎&ロッキー

川上音二郎の墓?(谷中霊園 東京)



川上音二郎は俳優でかつ興行師でもあり、オッペケペー節、壮士芝居で有名である。オッペケペー節は川上音二郎が唄って一世を風靡した、今でいえばその時の政治や社会を風刺したラップである。陣羽織に後ろ鉢巻、日の丸の扇子をかかげたいで立ちで唄い大評判になった。
彼は一座を引き連れて欧米へ行き公演している。明治33年(1900)にパリ万国博覧会の会場にて公演。(甦るオッペケペー1900年パリ万博の川上一座 CD 東芝EMI) 

演歌師の歴史を語るときに必ず出てくるのが川上音二郎、添田唖蝉坊、神長瞭月である。バイオリン演歌師なら、一度は訪ねたい場所であるが今までなかなか機会がなかった。

2005年5月吉日、絣の着物を着てバイオリンを持って千代田線根津駅から言問い通りを上がって下町風俗資料館を左折し谷中霊園を目指した。霊園のメインストリート沿いでトイレの横が川上音二郎の墓であった。近くには「毒婦」と呼ばれた高橋お伝の墓もあった(殺人罪で1879年(M12年)に日本での最後の斬首刑となった女)。
毒婦:腹黒く、悪事を働く女。奸婦(岩波書店・広辞苑)

残念ながら音二郎の墓には銅像はなく台座のみであり、かって存在した銅像の写真が墓の横に掲示されていた。桜の時期と違い、5月の霊園は静かで人通りもあまりなく台座の前でバイオリンを取り出し、美しき天然をたっぷり演奏してきた。

メイン・ストリートには、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになった谷中天王寺・五重塔の跡(昭和32年に焼失)がある。その跡地を見ていると学生時代に通学路であったたため毎日この五重塔の横をあるいて見ていたという男性が話しかけてきた。
川上音二郎:
・文久4年(1864) 博多中対馬小路に誕生
・明治10年(1877) 家を飛び出し、大阪から東京へ 自由党の壮士に
・明治20年(1887) 浮世亭○○(マルマル)と名乗りオッペケペを始める
・明治23年(1890) 書生仁輪加を組織し、巡業開始
・明治24年(1891) 川上書生芝居旗揚げ。「板垣君遭難実記」の大ヒット
・明治26年(1893) 貞奴と結婚
・明治27年(1894) 日清戦争勃発。現地視察しての戦争物大ヒット
・明治28年(1895) 日清戦争実記「威海衛陥落」で歌舞伎座の舞台に立つ
・明治31年(1898) 衆議院選挙に立候補するも落選
・明治32年(1899) アメリカ巡業へ
・明治33年(1900) 米、英、仏で公演。仏政府からアカデミー勲章を授与
・明治34年(1901) スペイン、ロシア公演
・明治35年(1902) ロシア皇帝ニコライ2世からダイヤ入り金時計を授与
・明治44年(1911) 10月大阪に帝国座開場。11月帝国座の舞台で死去

<民衆の讃歌-大道芸とパーフォーミングアーツ>企画展 2005


5月、民音音楽博物館企画展へ行ってきた。JR信濃町駅から徒歩5分の慶応病院隣にあるきれいなビルである。もちろん入場無料であるのでぜひ見てほしい。

階段を上がると、チンドン屋の菊乃屋の衣装を着たマネキンとごぜさんのマネキンが迎えてくれる。菊乃屋の衣装は着物の下に化粧回し(エプロン)をしているのが特徴とのこと(常時ではない)。また、上島敏昭氏が企画に参加している。

「庶民に根ざした音楽運動の展開」との民音創立の精神に鑑み、庶民の生活のなかから生まれ、育てられてきた芸能である、大道芸に焦点をあてたと説明している。「大道芸を語らずして、日本の庶民文化は語れない」といっても過言ではないそうである。
そんなに大したものではなく、生きるため、または商売、布教のためにできたもので時代とともにどんどん変化して生き残ったものが今見られるだけの話ではないか。今は寄席や演劇等で残っているものが多い。本当の大道芸(路上)は洋物やバンド演奏が多くなったしまったのが残念である。

大道芸、音楽・演劇関連の大道芸、門付け芸に分類して紹介している。ほとんどがパネル展示であったが錦絵や演歌師が売った歌本も展示してあった。歌本は10種類以上ありカラフルで女性の絵が描いてあり大変参考になった。1872年頃はまだピアノは大変珍しく客を集めて見世物演奏が行われたらしい。
会場ではたまたまチンドン屋、あめ売り、竿立て等の実演をやっていた。

常設展示として、19世紀-20世紀初めの大型オルゴールの展示、実演、解説もあるし、世界中の楽器が展示されており、打楽器を自由に演奏できるコーナーもある。また、古典ピアノ室があり演奏会が開かれていた。

企画展開催期間:2005年4月28日ー7月10日(休館日:毎週月曜日)

http://www.min-on.or.jp/library/special/daidogei/

「浮世絵で楽しむ江戸の旅 ~東海道宿場めぐり~」 2005


たばこと塩の博物館(渋谷)の企画展「浮世絵で楽しむ江戸の旅 ~東海道宿場めぐり~」へ行った。
この展示は東海道の宿場に関するさまざまな浮世絵を紹介している。江戸時代の人々は、決して楽な行程ではなかったが、自分の足で一つ一つの宿場を通り、そこで身体を休め、道すがら目にする名所や名物を楽しみ、旅というものをじっくりと味わいながら旅をしていた。現代人からすると大変贅沢な旅である。

天保4年(1833)、初代歌川広重が描いた東海道の各宿場の風景画が、保永堂という版元から出版されて人気を得た。現在では保永堂版「東海道五十三次」と呼ばれている。この成功により、東海道を描いた浮世絵が次々と制作されるようになった。
東海道五十三次は53枚の絵だと思っていたがこれに始点と終点の江戸と京を入れるので55枚になる。美人や役者を入れて描いたものや大名行列を入れて描いたシリーズものも展示されていた。各宿場の文字が入れてある。

現在、繁華街で客引きを厳しく取り締まっているが、江戸時代にも客引の旅人留女(たびびととめ女)がいて客の襟首をつかんで強引に宿に連れ込もうとしている浮世絵をみて笑ってしまった。また、宿場の宿屋にはきれいな着物で2階から声をかけている飯盛り女がよく描かれている。これも旅人の給仕をするという名目でいる売春も兼ねた女たちである。いつの時代にもうまく規制を逃れようとする現代と同じ商売があるものである。 (絵: 歌川広重画「東海道五拾三次之内 御油 旅人留女」)

東京の近くの宿場名を下に記す。横浜の長津田や青葉台にいたことがあるが石碑等には武蔵国と書かれていた。なるほど保土ヶ谷までが武蔵野国だったのか。納得した。

江戸(武蔵):品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷
    相模:戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根
    伊豆:三島
    駿河:沼津、原、吉原、---

期間:2005年4月23日(土)~5月22日(日) 入場料100円
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventApr05/index.html

高円寺ルック祭にバイオリン演歌師 登場 2005


2005年5月3日(火)、高円寺のルック祭に初めて演歌師の森田銀月が登場した。
当日は模擬店やフリーマーケットがあり、阿波踊りパレードも行われた。演奏場所は残念ながら模擬店があって混雑している中心からかなり離れた場所であった。今回は書生節全曲集CDの発売記念をも兼ねて路上演奏(ライブ)を行った。CDの中の曲を演奏して紹介したり、買ってくれた人のリクエストに答えたり昔の唄本売りのようにやってみた。

曲目はすべて明治・大正の曲であったがCDを買ってくれた人の半分は意外にも若者であった。どんな曲が80年から100年前に流行っていたのか興味があるのであろうか(写真はCDを買ってくれた若者)。
また、裏通りに昭和19年から60年も高円寺に住んでいるというお姉さんはバイオリンの懐かしいメロディーを聞いてわざわざ駆けつけてCDを買ってくれた。籠の鳥や金色夜叉は母がよく歌っていて覚えたそうである。空襲で自宅の3軒先から高円寺駅まではすべて焼けてしまったそうで、逃げて帰ってきたら奇跡的に自宅は焼け残っていたとのことである。

書生姿が珍しいのか写真はよく撮られた。でも、ほとんどの人はなにやってんだーというような眼で通り過ぎていくのが現実である。バイオリン演歌復活への道は険しい。

演歌書生節研究保存会 書生節全曲集1(全13曲) 森田銀月
さすらいの唄、復興節、ヂンヂロゲ、船頭小唄、籠の鳥、ハイカラ節、スカラーソング、のんき節・あきらめろ節、東京節、馬賊の唄、七里ガ浜の仇浪(真白き富士の嶺)、金色夜叉、流浪の旅

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 昭和演歌師 平成演歌師 帝大生ゆめじ 森田銀月 昭和歌謡

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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