NHK 連続テレビ小説(朝ドラ)に登場する「帝大生」たち

NHK 連続テレビ小説(朝ドラ)に登場する「帝大生」たち

2016年4月から始まったNHK「連続テレビ小説」、『とと姉ちゃん』にまたも「帝大生(帝国大学生)」が登場している。

最近のNHK「連続テレビ小説」(朝ドラ)に登場した帝大生をまとめてみた。衣装などが参考になっておもしろい。

『とと姉ちゃん』、2016年 4月4日(月から 全156回(予定)

不審人物と思われていた星野武蔵(坂口健太郎)が帝大生であることがわかる。

森田屋の配達途中の常子・鞠子に出会う。当初、不審な行動から常子や深川界隈の人々に怪しまれていたが、空腹で倒れたところを常子や森田屋の人々に助けられて素性が明かされ、親しくなる。


常子が就職後は、彼女と週1日語り合う友人関係が続く。大学院進学後に大阪帝国大学の研究職に呼ばれ

たことを機に常子に求婚するが、東京での家族との生活を優先され断られて、独り大阪へ旅立つ。






『あさが来た』(2015)

あさの娘・千代と病院で偶然出会い、千代が頭から離れなくなる好青年の帝国大学の学生・東柳啓介。





『花子とアン』(2014)

北澤司は「金沢の由緒あるお家柄で帝大いちの秀才」

おまけにみめうるわしく女子たちの羨望の的





『ごちそうさん』(2013)

『ごちそうさん』のめ以子(杏)と悠太郎(東出昌大)の出会いのシーン。カフェで帝大生・悠太郎の服にクリームをとばしてしまい、拭こうとしたところ、理屈っぽく断られ、口論になる。


『梅ちゃん先生』(2012)

主人公(梅ちゃん)の父(高橋克己)は帝大医学部教授。帝大生らが多数登場する。

女子医学専門学校を卒業してから帝大の医学部医局にに研究生として入ることはよくあるパターンであった。

研修中にもし帝大医学生とややこしい関係になっても親も「それはそれでしかたがないか」ということであろう。

戦前には東京帝大に女子学生はいなかったが女子研究生や履修生はたくさんいた。

帝国大学 帝国大学令 旧制高等学校
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高ゲタ黒マントの六高生記念像(岡山駅前) 


   高ゲタ黒マントの六高生記念像(岡山駅前) 

2016年1月に岡山駅で新幹線を降りて途中下車して駅前のバスターミナルへ急いだ。ずっと前から岡山駅前にあることは知っていた「六高マン」に会うためであった。バイオリン演歌・書生節をやっているからにはぜったいに見たいと願っていた。

旧制第六高等学校は、1900年(明治33年)3月に岡山県岡山市に設立された官立旧制高等学校。略称は「六高」(ろっこう)。1949年5月に新制岡山大学に包括され、1950年3月に廃校となった。
第六高等学校の跡地は現在、岡山県立岡山朝日高等学校に継承されており、当時の建造物(校門、書庫等)が多数残っている。

この高ゲタ黒マント六高生記念像は創立100周年を記念して平成12年に岡山駅前に建てられた。台座に「青春感謝」と刻まれ、背面の由来文に「三年間の六稜生活は 弊衣破帽 文武両道に励み 時に街頭に出て放歌高吟することもあったが 『六高マン』の愛称で温かく見守られた」とある。



右側面には「北進歌」(昭和3年)の一節

「胸に無限の覇気あらば 守れ不屈の意気の香を」が刻まれている。

子供のころ大人の話を盗み聞きしていて「六高」と呼んだり「岡山医大」と呼んだり「岡山大学」と言ったりしていた。

岡山にそんなにいろいろ大学のようなものがあるのかと信じていた。そのうち、同じ人のことを「彼は六高卒だ」といい、あるときは「岡山医大卒」というので漠然と同じ大学のことをいろいろな呼び方をしているということがぼんやりとわかった。大人たちも混用していたのであろう。







そういえば昔の大人は「国立」とは言わずに「官立」と言っていた。今の若者のように勝手気ままに騒いでいたら「お前ら、生意気なこと言うな!俺らの税金使っている官立だろう、言うことを聞け!」と怒鳴られた。

岡山医科大学は、1922年 (大正11年)に設立された旧制官立医大で略称は「岡山医大」。中国・四国地方では唯一の官立医科大学であった。

第六高等学校や岡山医科大学などが統合されて新しい「岡山大学」になった。このため以前は工学部、農学部、薬学部などはなかった。

旧制官立医科大学  「旧六医科大学」、「六医大」
千葉医科大学(現:千葉大学)、金沢医科大学(現:金沢大学)、新潟医科大学(現:新潟大学)、岡山医科大学(現:岡山大学)、長崎医科大学(現:長崎大学)、熊本医科大学(現:熊本大学)の六大学。
千葉医科大学より北には医学専門学校はあったが医科大学はなかった。

バンカラ

女学生 女學生のライフスタイル 


「女学生」といえば、三田明よりマイナーであった安達明が歌ってヒットした「女学生」を思い出す。東京オリンピックの年、1964(S39)年のヒット曲でアイドル歌手であった。2011年にお亡くなりになった。

安達明「女学生」  作詞:北村公一 作曲:越部信義
 
うすむらさきの 藤棚の 
下で歌った アベ・マリア
澄んだひとみが 美しく 
なぜか 心に残ってる
君はやさしい 君はやさしい 女学生

「女学生」。この言葉は明治初年頃に生まれ、20年代以降、一種の都市風俗を表すものとして定着した。文明開化の息吹のなか、新たな 女性像のひとつとして登場した女学生は、教養ある女性層を代表する存在でした。時代風俗の象徴のひとつとして世間の注目を集め、時に憧れの対象、時に風刺 の的ともなった

◆男袴を履いた女学生
椅子に座って授業を受ける際、着流しの着物では 裾が乱れやすいという問題があることから、政府はこの時代としては例外的に男袴の着用を女学生に認めました。
しかし、「~今日我邦にも婦女子にして袴を着し昂然として毫も恥る意なし。その甚哉奇異の風体、実に国辱とも云べし」(郵便報知新聞 明治7年1月15日)、「~女子といふものは髪形から着物までも艶くして総てやさしいのが宜いとおもひますに此節学校へかよふ女生徒を見ますに袴をはいて 誠に醜くあらあらしい姿をいたすのはどういうふものでありますか」(読売新聞 明治8年10月8日)など新聞紙上で投書による批判が相次いだように、女子の男袴の着用に対する世間の反発は根強く、明治16年(1883)には政府が着 用を控える旨の通達を出すに至り、女子の男袴は姿を消してしまった。
その後、鹿鳴館時代の洋装は下火となり、再び和 装へと戻る。しかし着流しの機能面での問題は依然として大きく、やがて明治30年(1897)頃から海老茶色の女袴が広まり始める。これは華族女学 校が採用していた紫色の女袴を元に、そのままでは畏れ多いということから色を変えたものであった。
◆海老茶式部
明治32年(1899)に高等女学校令が施行され、道府県に最低1校の高等女学校設置義務が規定されると、高等女学校に通う女学生の数は明治33年 (1900)には1万人、35年(1902)には2万人を越えて、女子教育は最初の開花期を迎える。。明治30年代半ばには海老茶袴スタイルは女学生に完 全に定着し、一方で髪形も、不衛生であるとされた江戸以来の島田髷等の結髪に代わり、西洋風の束髪が大勢を占めていく。この束髪に海老茶袴の女学生ス タイルは、紫式部をもじって「海老茶式部」とやや皮肉をこめて呼ばれるようになった。
◆魔風恋風と自転車女学生
魔風恋風 第一 「紀念会」 / 小杉天外(読売新聞 明治36年2月25日 朝刊 1面)
 読売新聞に連載された小杉天外による小説「魔風恋風」は、才色兼備の女学生萩原初野を主人公として当時流行の女学生風俗やその恋愛模様を描いて人気を博した。
「鈴(ベル)の音高く、見(あら)はれたのはすらりとした肩の滑り、デードン色(=深紅)の自転車に海老茶の袴、髪は結流しにして白いリボン清く、着物は矢絣の風通、袖長ければ風に靡いて、色美しく品高き十八九の令嬢である。」
◆堕落女学生
「魔風恋風」のような美しい女学生イメージの一方で、新聞紙上などでは「上京」「下宿」などのキーワードとともに、本分の勉強よりも恋愛にかまけ、服装も 華美に走っているとする「女学生の堕落問題」が盛んに取り上げられた。また風刺雑誌の格好の標的となり、揶揄的に取り上げられた。
荒馬物語
(東京パック 第1巻第2号 明治38年(1905) 5月 p.21)
女学生の髪形は「廂髪(ひさしがみ)」と呼ばれるこの時代の女学生の典型となった束髪のスタイル。タイトルの「荒馬」は女学生の口癖「あらまあ」からきており、男子学生との公園の茶店での逢引が描かれている。
「現今女学生の遊戯」
滑稽新聞 第102号 明治38年8月25日 5面
(宮武外骨此中にあり : 雑誌集成. 第10巻 / 複製 東京 : ゆまに書房, 1994)


「通れ通れ角帽お通りなされ角帽 行きはよいよい戻りもよくッて」
手をつないだ女学生の間に見えるものは・・・・・・
「角帽をかぶった書生のシルエット」になっている絵 「帰りは怖い!ただでは帰れないのは今も昔も同じかも・・・・・」
◆運動会
女子高等師範学校附属高等女学校第九回秋季運動会 / 桔梗
(風俗画報 279号 明治36年12月10日 口絵 復刻版 )
大勢の観衆が取り囲むなか、運動に興じる女学生たち。和装、袴姿がほとんどですが、洋装の女学生も混じっている。「動物採取競争」「髪結競争」など、現代の運動会には見られない一風変わった競技の様子が見られる。


国立国会図書館 第 148 回常設展示 「女學生らいふ」 より

昭和初期の女学生 着物にスカート?

現代の女子大学生の卒業式の服装は着物に行灯袴であり、これは明治や大正時代の高等女学校の卒業式の写真とほぼ同じである。

しかし、実家に帰ったときに家にあった古い資料を整理していて珍しい写真を見つけた。

今まで書生の写真などは興味があって集めたりしていたが、旧制高等女学校の女生徒の服装はあまり気にしていなかった。どうせ普段はセーラー服か洋装だと思っていた。

昭和初期(昭和2年、1927年)の卒業式の写真をみると、なんと着物に明らかにスカート風(袴)でストッキングを着ている写真を見つけた。


もちろん、いわゆる制服としての女袴(おんなばかま)とも考えられるが、全員のスカート(袴)に横に2本線が入っている。同じ学校の明治や大正時代の卒業式の写真には普通の行灯袴が写っている。

着物にスカートでストッキング&革靴が最先端のファッションであったのだろうか。今でも通用するようなおしゃれな組み合わせだと思った。

戦時下の体育(運動会)では戦後の服装と変わらない鉢巻にブルマー姿であった。



行灯袴(あんどんばかま):
行灯袴は袴のなかに中仕切りがないスカートタイプの袴。 着流し姿の普及によって着用が簡便な袴として作られた袴で、江戸後期には一般化した純国産の「和袴」である。袴のなかに中仕切りがあるものを馬乗袴という。

女袴(おんなばかま)
明治時代から昭和初期には女学生の制服として多く着用された。現在でも卒業式における女子大生の定番の服装であるが、現在着用されるものの多くは行灯袴と呼ばれる長い巻きスカートのようなタイプである。


卒業式 式典 着物 袴 高等女学校 女子大生 スカート ストッキング

「復刻」角帽が大人気 「帝大角帽」


大学生や高校生が帽子をかぶらなくなって何十年になるのだろうか。ゆめじの学生のイメージは冠婚葬祭すべてフォーマルウエアとして学帽に制服姿であった。
 
昔の書生は学生服も持っていたが、普段は学帽に着物姿が多かったようだ。
 
京都大学生協ではいまでも角帽を販売しているらしい。東京大学生協では、残念ながら東大グッズとしてミニ学帽が売られているのみである。
 
帝大帽に関する記事(京都新聞 2001.12.15)

京都大学生協(京都市左京区)がこのほど、京大生がかつてかぶっていた角帽を「復刻」、販売し始めた。下駄を鳴らしてかっ歩したOBらに好評という。
 
 角帽は旧京都帝大時代からの伝統がある。大学近くで角帽を製造・販売していた、大学近くの山本帽子店によると、戦後はかぶる人が減り、一九六〇年代後半にはほとんど見られなくなったという。そのため、角帽作りもやめてしまった。
 
しかし近年、新入生などから同生協へ「角帽をかぶって入学するのが夢だった」などの声が寄せられるようになったという。そこで卒業生から六〇年前後の帽子を借り、市内の帽子店に「復刻」を依頼した。ひさしなど革製だった部分はビニールに変更したものの、角がやや丸い当時の形や、旧字体で「大學」と書かれた記章など細部は忠実に再現した。
 十一月から一個五千八百円で販売。一週間で十個前後が売れるヒットになった。ただ、購入するのは昔を懐かしむ年配の人や教員がほとんどといい、生協では「伝統の角帽も、茶髪の現代っ子にはピンと来ないのかも」と話している。
 
                                                    
 
 
 東京大学生協のミニ学帽 
東大グッズとしてミニ学帽が売られている。どのように使用するのか不明だが人形にかぶせておくものか?

 
 
 
                  
インターネットを調べると今も帝大型角帽をネットで購入できる。
帝大角帽(国立大学型)  製 造 : 半田帽子店

カラー : 黒
定 価 : 5,300円(税込) アゴ紐・耳章付。 帽章は別売りです。
素 材 : ラシャ(毛) 
説 明 : 昔、大学生が被っていた懐かしい角帽の復刻版です。付属品もできる限り昔と同じ素材を使って再現しました。
庇とアゴ紐は当時そのままの特注品です。
全国的にはいろんな型があったようですが、当店のは国立大学型(帝大型)です。天井の形は角が丸みがかった菱形です。
熟練の職人が1個づつ手作りで作っています。厚手のラシャ生地を使用していますので、しっかりとした型に仕上がっています。
腰の部分は布を貼り合わせた芯で作っていますので、一般的なポリ芯と比べてどんな頭の形にも直ぐにフイットします。とても被りやすいです。つばの長さは約5.5cm。
洗濯・クリーニングはできません。日常のお手入れはこまめなブラッシングと、頭に直接接するビン皮(スベリ)を硬く絞ったタオルで拭いてください。
 
オプション : 帽章は別売りです。

 
終戦後になって地方の官立高等専門学校などが新制大学になった時、ほとんどの大学が帝大の帽章と角帽を採用したため帝大型角帽は国立大学型角帽となった。




角帽も重要な商売道具だったらしい。

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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