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小説「長恨夢」と小説「金色夜叉」 翻案小説 パクリのパクリ?
2012/09/11
高等女学校生徒のバイオリン演奏(大正時代)
2012/07/01
篠崎浅間神社 のぼり祭り (江戸川区) 2012




前回の人力復活30周年以来、3年ぶりに江戸川区の篠崎浅間神社(上篠崎1-22-31)で、富士山の山開きである7月1日の前日、直径25㌢、重さ1㌧、長さ約21㍍の杉の丸太に「奉献浅間大神」と書かれた幟旗をつけると最長で約25㍍にも及ぶ幟10本を立て、五穀豊穣祈願する祭礼の「幟祭り」(江戸川区指定無形民俗文化財)が、6月30日の早朝6時から祭礼、7時から見どころとなる「幟上げ」と行われた。
2010/02/11
「書生節 演歌師たちの世界」 京都市立芸術大学資料
京都市立芸術大学でも「書生節と演歌師」の資料を集めていることに感激しました。でも、もう滅びてしまった芸能と認識されているということでちょっと寂しい限りです。
日本伝統音楽研究センター図書室 / 図書室だより:第3回より
最終更新日:2009/9/24 | 公開日:2009/9/24
http://kcua.ac.jp/jtm/library/shimi/bn/03.html
書生節は明治初期に、書生(今でいう大学生)が作って歌った流行歌です。「書生書生と軽蔑するな、末は太政官のお役人」が元歌です。書生の多くは、地方出身で、高官や富裕層の家に寄宿し、立身出世を望んで学業に励んでいました。これらの歌は、1883(明治16)年頃から政治や社会に対する批判を歌詞に込め、街頭で歌うようになり、自由民権運動と結びつきを深めていきます。彼らの歌う歌を演説に変えた歌という意味から「壮士自由演歌」「壮士節」といいました。これが「演歌」の始まりです。
明治20年代後半になると、自由民権運動が勢いを失い、新しく普及しだした唱歌や軍歌に押されて、これらの歌は衰退しました。しかし、日露戦争の頃(明治30年代)、添田唖禅坊が、《ラッパ節》で成功を収め、「演歌」は再び隆盛の時代を迎えました。この頃に、《金色夜叉の歌》も生まれました。その旋律は、従来のかたい調子を改め、唱歌や軍歌など流行している歌を用いたもので、政治性よりも流行歌として性格が強くなっていきます。さらに大正時代には、職業化し、書生のいでたちで流し歩く芸人となり、「演歌師」と呼ばれる人たちが登場してきます。
今回は、大衆に受け入れられた近代流行歌の歴史とそれを支えた演歌師たちの世界を知ることができる本を集めました。また音源資料では、今ではほとんど聞くことができなくなった演歌師たちの歌や壮士芝居の歌を収録した資料を紹介しています。
この機会に、街頭に立って、世相や風刺を歌った演歌師たちと、その系譜の世界を覗いてみるのはいかがでしょうか。