ダンス雑誌「モダンダンス」
(The Modern
Dance)
復刊
昭和24年7月号
どうして昭和24年頃の雑誌「モダンダンス」が手元にあるのか良く分からない。英語の雑誌でもないのに誰かが譲ってくれたのだろうか。連合国占領下の時代である。「The New Yorker」という雑誌も実家にあったがこれは米軍関係から入手したのであろう。
ダンス月刊雑誌「モダンダンス」は昭和8年(1933)に創刊された雑誌であるが昭和15年(1940)に廃刊(休刊)のやむなきにいたった。この年、昭和15年にはすべてのダンスホールも閉鎖してしまった。
(昭和15年7月に出された奢侈〔しゃし〕品等製造販売制限規則(7.7禁令)による)
復刊号(昭和24年7月号)70円の編集後記を見ると戦時中、戦後のダンス界の状況がよく分かった。
創刊した昭和8年(1933)は「昭和8年 戦争への足音」といわれる年である。日本は国際連盟を脱退し世界から孤立。ドイツではヒトラーが政権をとり、アメリカではルーズベルトがニューディール政策を開始した。
「昭和15年7月、8月号を終刊号として出してから、10年の月日が流れた。昭和8年春からの過去は、編集者として、今、回想しても、ゾットする息苦しい時代だった。誌上に取り扱う事象の面に加重する時代の圧迫と遠慮ーーー 今日、晴々とした陽の目を仰ぐような気持ちで復刊号を手がけつつ、顧みるとすべてが悪夢としか感じられない。
なつかしい誌名が大手を振って、ここによみがえるーーーー」
昭和ロマンというけれど戦時中は「ロマン」なんかなかったということだと実感した。
戦後も昭和初期と同じように「ダンス不良化第一歩説」がまた出てきたとの記事が面白かった。平成の今も歴史「XXは不良化の第一歩」は繰り返している。
「警視庁防犯部がダンス関係業界人30名(キャバレィ、ダンスホール)ほどを招いて「ダンスと少年補導」について雑談会を催した。申し合わせで決定した主な事柄は、ホール内に警備員をおいて18歳未満者の入場を厳禁すること、ダンスエチケットの箇条文の掲示などであった。」
警視庁の調べでは、強盗、スリなどの少年犯罪は都内で2分間に1階の割で発生しており、その不良化の第一歩がダンスに始まっている例が多いという(朝日新聞5月12日記事)。
これに対する反論はダンスが少年を不良化するのではなく、すでに不良化した少年、容易に不良化する少年がダンスより前にすでに社会に充満しているのである。少年補導はキャバレイとダンスホールのフロアーより、ずっと遠いところから始めなければならない。これが補導の第一歩だ。
30年前にも「活動写真を少年少女が見に行く」のが不良の第一歩だったと。玉突き、麻雀などはどうか、ダンスだけではないのではなど。
この雑誌の中の「ダンス新聞」に「青少年不良化防止にダンス界も協力」<警視庁主催の懇談会>記事があった。
昭和24年5月10日午後1時から警視庁貴賓室に都下各キャバレー及びダンスホール業者と教師団体(NATD)並びに教授所経営者を招き、防犯部長、少年第一、第二課長、保安課長、都防犯協会連合会長、都教育局、都民生局、都少年補導連盟等各関係者も列席して懇談会を開いた。
結論:ダンスを通じての青少年不良化防止のために業者と当局は積極的に協力する。、業者は専属の場内係りを急速に設置する。、場内に「社交礼儀」を具体的に欠いた掲示をする。
以上をもとに、都下の各ホールで当局の協力の下に今後場内での不良行為とワイセツダンス及び未成年者の入場は徹底的に取り締まることに決定。
復刊号裏面には「日本最大・最高のホール オアシスオブギンザ(銀座松坂屋地下)」と場末である品川駅前の「都下で最も安いホールパラマウント」の広告があり面白い。
それぞれ「最大・最高」と「最も安い」を売りにしている。
ダンス用語英語の表記が現在と異なっていた。昭和24年頃までは下記のように記載されていた。発音は英語表現なら現在と変わらないし昔の方がより実際の発音に近い表記(ウオルツ)かもしれない。
クヰックステップQuick Step)、ウオルツ(Waltz)、ルムバRumba)
スロー・フォックス・トロット(Slow Foxtrot)、タンゴ(Tango)
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