映画に出てくる「のぞきからくり」の口上

映画に出てくる「のぞきからくり」の口上

のぞきからくり(不如帰)が出てくる松竹映画「時代屋の女房」 1983年

のぞきからくりが出てくる松竹映画「時代屋の女房」1983年  (第87回直木賞を受賞した村松友視の同名小説の映画化)
出演:渡瀬恒彦:安さん、夏目雅子:真弓、夏目雅子:美郷
この映画には、「覗きカラクリ」が頻繁に登場する。外題は「不如帰」






「覗きカラクリ」(のぞきからくり)

安さんと真弓は、古道具の買い付けで東北の田舎を行脚したことがあるようで、この時寂れた旅館「平野屋」で「覗きカラクリ」を見つけますが、その時は売ってもらえなかった。安さんはこの「覗きカラクリ」を時折思い浮かべ、「覗きカラクリ」の前で踊る真弓、「覗きカラクリ」の演目である「不如帰」のヒロイン浪子に真弓のイメージを重ねますが、BGMはいずれも春歌、猥歌。

安さん、マスター、鈴木健一、平野旅館の主人の4人が「覗きカラクリ」の前で春歌をがなりたてる。

「時代屋の女房」のなかで、盛岡の「のぞきからくり」のおじいさん(坂野比呂志)が歌っていたのは「のぞきからくり 不如帰(ホトトギス)」の春歌版であった。 「武男と浪子の替歌」(春歌版)

タケオがボートに移るとき   ナミさん赤い腰巻を

おへその上まで捲(まく)り上げ  これに未練はないかいな  

ナミコがボートに移るとき   タケオは紺のズボンをば  

膝の下まで摺(ず)り下ろし  これに未練はないかいな  

映画「長屋紳士録」 「不如帰(ホトトギス)」  歌:笠 智衆  監督 小津安二郎  (1947年 日本)



三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/

はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/

片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/

人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)

海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/

新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/

遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)

武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/

逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)

/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/

打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/

仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」

 
のぞきからくり ノゾキカラクリ 覗き絡繰 覗き機関 不如帰 ほととぎす ホトトギス 武男と浪子
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のぞきからくり 2

のぞきからくり 2
各地ののぞきからくりを紹介します。また、昔なつかしいのぞきからくりの復元も行われています。

「のぞきからくりはどこへ行った」  寺田寅彦少年の想い出(明治時代)

「十四五歳のころであったかと思う。 ----<中略>-----
 当時は町の夜店に「のぞきからくり」がまだ幅をきかせていた時代である。小栗判官(おぐりはんかん)、頼光(らいこう)の大江山(おおえやま)鬼退治、阿波(あわ)の鳴戸(なると)、三荘太夫(さんしょうだゆう)の鋸引(のこぎりび)き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇(やみ)に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京みやげの「江戸絵」を染めたアニリン色素のなまなましい彩色がまだ柔らかい網膜を残忍にただらせていたころの事である。」

(昭和六年九月、雑味)
「寺田寅彦随筆集 第三巻」 青衣童女像 寺田寅彦(1878 - 1935)

江戸時代末期から昭和40年代まで営業していたのぞきからくりは大掛かりな装置が必要なためか日本ではもう興行的には消滅している。残念ながら、のぞきからくりを見ることができるのは博物館だけである。

<実物>
新潟県西蒲原郡巻町 郷土資料館:のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」 (継母物)
広島県三原市 歴史民俗資料館:「俊徳丸」 (継母物)
佐賀県鹿島市 北園忠治氏(未公開):「不貞の末路」
鹿児島県奄美大島 原野農芸博物館:「地獄極楽」(黒田種一氏使用のもの)

<ミニチュア版>
佐倉市の国立歴史民俗博物館:「地獄極楽」
大阪市の大阪歴史博物館:「地獄極楽」

「日本の放浪芸」DVD版:「幽霊の継子いじめ」と「不貞の末路」の実演収録

私はVTR版で「不貞の末路」を見たことがある。亭主殺しの奸婦が若い男と一緒に逃げるが、ついには巡査につかまり死刑になるという勧善懲悪物。現代での実演は内容的に難しい。
 
中国ではまだのぞきからくりが大人気!


風光明媚な西湖をはじめ、名所・旧跡の多い中南東部の浙江省の省都は杭州である。

明清時代の古い街並みの残る清河坊街でみかけた「のぞきからくり」、ここでも子供に人気があるようである。通りの真ん中では飴細工や笛売りなども


売っている。

ぜひ中国ののぞきからくりを見てみたいものである。

(「Osakanews.com」産経新聞社より転載)
 

  




上海ののぞきからくり


前ののぞきからくりが違う場所でも興行しているようです。
装置、内容は同じ物のようです。
たった4個しか穴がなくて商売になるのでしょうか。(む雀喜丸上海二人旅より)
『 豫園 のぞきからくりありました 四元60円位(平成15年12月)』

 



























人だかりの上からのぞきますと、チャイナ服にサングラス、どう見ても怪しげなおっさんが大声でなにやら述べています。子供の客がいくらか揃うと、オッサン、片手で紐を引き、もう一方でドラ太鼓を叩き、なにやら奇声を張り上げています。 
 
『俊徳丸』


これは大正後期に作られたもので演目は俊徳丸である。

畳1枚分よりやや小さい絵(ナカネタ)が5~7枚ほど箱(ネタ箱)に納められている。ナカネタは一枚一枚ひもでつるされておりひもを下ろすことによって絵が変わる。
縁日や祭りの花形であった。
(広島県三原市 歴史民俗資料館)

勧善懲悪 この世の誡め 『地獄極楽』(ミニチュア版)

佐倉市の国立歴史民俗博物館と大阪市の大阪歴史博物館(愛称:なにわ歴博)にのぞきからくりミニチュアが置いてある。

 そして黒田種一さんの声の『地獄極楽』テープが流れている。実演がないとなんだかおもちゃみたいで悲しくなってしまう。
 黒田さんは大阪天王寺等で活躍していたが、1980年(S55)に引退した。

佐倉版は羽子板などにも見られる押し絵と呼ばれる布細工の立体絵で本物を忠実に再現している。テープの歌にあわせて絵が変わっていく。

大阪版は穴を覗くとTVモニターに全く地獄極楽とは関係ないビデオが映し出されてる。インチキ見世物。テープの歌も三途の川がカット、「血の池地獄となるなればー」まではあるが以後がカットされている。差別用語等の禁止の名のもとに実際にあった歴史事実をゆがめている大阪歴史博物館である。

(写真は国立歴史民俗博物館のミニチュア)
   忠臣蔵(ネタ絵のみ)

この作品は、忠臣蔵を題材にしたもので、討ち入りの場面などが鮮やかな色彩で再現されている。顔の表情も布を膨らませて立体的にしているのが宮澤流の特徴で、目はガラス玉を半分に割ったものに彩色するなど迫力のある押し絵になっている。

宮澤由吉:明治期の押し絵の第一人者(姫路押し絵)
(岐阜県瑞浪市博物館、ミュージアム中仙道所有)

のぞきからくりまとめ           のぞきからくり3 (映画に登場するのぞきからくり)

のぞきからくり まとめ

のぞきからくり

紙芝居より古く、江戸時代からあった庶民の娯楽

今日の外題

のぞきからくり(覗絡操)は江戸時代の寛永年間に生まれ、社寺の祭礼・縁日に欠かせない風物誌となった。
 
広場に屋台を組み、覗き穴から中の絵を見せながら、興行師が独特の節回しで口上を語り、場面 に応じて絵が入れ替わる仕掛けになっている。

さあ、いらっしゃい! はい、のぞいて、のぞいて!
上の穴が大人用、下の穴は子供用。始まるんだよ、始まるんだよ。

中は歌に合わせて変わります! 今日の外題は「勧善懲悪 この世の誡め 地獄極楽!」
これからお子供さんの親となるか、前悪を犯された方、どうぞ戒めのためにご覧になってください。

1.不如帰
2.勧善懲悪 この世の誡め 地獄極楽
3.金色夜叉
4.伊達娘恋の緋鹿子 八百屋お七

 不如帰(ほととぎす)

浪子の幸はどこにある

明治の文豪、徳富蘆花の不朽の名作[不如帰]
新派大悲劇、片岡子爵の長女、浪子と海軍少尉男爵川島武男との悲しい恋物語
結核に冒された浪子は実家に帰されてーー

三府の一の東京にーて  浪に漂う益荒男は
はかない恋にさまよいて 父は陸軍中将にて

片岡子爵の長女にて  桜の花の咲いた様な
人もうらやむ器量よし その名ー片岡浪子嬢ー
   <中略>
一度帰りしその時は浪さん我が家の人ならず
二度目帰りしその時は浪さんこの世の人ならず
ないて血を吐くほととぎす



『人間はなぜ死ぬのでしょう  死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも』
勧善懲悪 この世の誡め 地獄極楽


寒くともたもとに入れよ西の風、弥陀(みだ)のかなたより吹くと思えば耐え難し

<人が死したら七日目に、落ち行く先は六道の辻>

<三途の川>
娑婆から落ち来る亡者めが、左に行くなら地獄かや、右に行くなら極楽かと、迷い迷うておるならばーーーーー

<閻魔の庁>
娑婆で犯せし悪事をば、つつめーども、隠せども、映せばーわかる浄玻璃の鏡
罪の重いか軽いかは、業(ごう)の秤にかけられて、地獄の迎いは火の車

<賽の河原>
 死出の山路(やまじ)のすそ野なる、賽の河原は子供の地獄。

一つやー二つ、三つや四つ、十(とう)にも足らない幼子(おさなご)が、さいの川原に集まりて、あたりの小石を寄せ集め、一重積んでは母恋し、二重積んでは父恋し、三重四重と積む石は、親戚―兄弟我が身のためと回向する。

昼は川原で遊べども、日の入相となるなれば、邪険な鬼めが現れて、積んだる石をば打ち砕く。
幼子は、石につまずき血はにじみ、血潮に染めて、とと様、かか様と泣く声は、この世のー声とはこと変わり、哀れさ骨身を突き通すなり。

<地蔵菩薩>
もったいなくも地蔵菩薩が現れたまい。泣くな嘆くな幼子よ、汝の父母(ちちはは)まだ娑婆なるぞ。娑婆と冥土(めいど)はほど遠い。冥土の父母われなるぞ。聞いて幼子喜んで、袖や衣に泣きすがる。
幼い子供をお救いたもう、賽の河原は子育てのお地蔵菩薩なり。
 
金色夜叉(貫一お宮の物語)

鴫澤(しぎさわ)娘、宮さんと大学生の貫一と親の許せし許婚
ともに遊びし富山が宮さん見初めて恋をする

欲か迷いか両親の、勧めに従い宮さんは
富山名のる唯継と夫婦約束なさんため
今日しも母につれられて、熱海の浜や梅林で
出会うと知らない貫一に

熱海の海岸散歩する貫一お宮の二人連れ
ともに歩むも今日限り、ともに語るも今日限り

夫に不足ができたのか、さもなきゃお金に迷いしか

恋に破れし貫一はすがる宮さんけとばして
いづくともなく去っていく

宮の心の変わりしを恨みに思う貫一は
ああ、学問も何もやめ、悪魔となりて金色の
夜叉となりしもあわれなり、それに引き換え宮さんは
富山家にとかしずきて

はやひととせは夢と過ぎ、今宵は一月十七夜
来たらぬ年の今日今宵、僕の涙でこの月を
きっと曇らせみせるぞと、恨みのためか今日今宵
空が曇りて雪となる、遂に宮さんの気が狂う

伊達娘恋緋鹿子 八百屋お七      


そのころ本郷二丁目に 名高(なだか)き八百屋の久兵衛は 
普請成就する間 親子三人もろともに

檀那寺(だんなでら)なる駒込の 吉祥院(きちじょういん)に仮住まい

寺の小姓の吉三さん 学問なされし後ろからー
ひざでちょっくらついてー 目で知らせーーーーー
わたしゃ本郷へ行くわいなー たとえ本郷と駒込とー
道のりいかほどへだつともー  本堂の横でしたことは 
死んでもーー忘れてーーくださるなーーー

かわいい吉三(さん)にあわりょかと 娘心の一筋に
一把(わ)のわらに火をつけてぽいと投げたが火事となる 誰知るーまいと思えども 

恋のかなわぬ腹立ちで 釜屋の武兵衛(ぶへい)に訴人され まもなくお七は召し取られ 上野の白州(しらす)に引き出され 一段高いお奉行さん そちらは十四(じゅうし)であろうがなわたしゃ十五でひのえうま(丙午) 十四といえばたすかるにー 十五というた一言でー 百日百夜は牢住まい

はだかの馬に乗せられて 伝馬町から引き出され 先には制札(せいさつ)紙のぼり 罪の次第を書き記しー-

お七を見にでし見物はあー  あれが八百屋の色娘えー
吉三ほれるはむりはない

田町、八つ山右に見て  品川表をこえるならあーー
ここが天下の仕置きばでー 鈴が森にとー着きにけるう

二町四面が竹矢来(たけやらい) 中にたてたる鉄はしら 花のお七をしばりあげ 千ば万ばの柴茅(しばかや)を 山のごとくに積み上げて 下より一度に火をつける あついわいな 吉三さんー わっとないたる一声(ひとこえ)が 無情の煙と立ちのぼればーー
哀れやこの世の見おさめーー 見おさめーーー

ありがとうございました おあとと交替 おあとと交替 
(写真:伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段)
 
「八百屋お七」 屋台と中ネタ  (新潟市巻郷土資料館所有)


「八百屋お七」の中ネタ(7枚)の一部を紹介する。

       2枚目:お七と吉三郎との初めての出会い(吉祥寺の奥座敷)


      3枚目:八百屋の店開き


      4枚目:本郷に帰ったお七は吉三郎に会いたい一心で放火

   
      5枚目:お裁き(15歳以下であれば減刑になるが、お七は16歳だと言い張る)


      6枚目:江戸市中引き回し


   
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  「八百屋お七」実演レポート    のぞきからくり 「八百屋お七」 実演  新潟市巻郷土資料館

 


瑠璃之宮(るりのみや)物語 のぞきからくり

瑠璃之宮(るりのみや)物語  「会うは別れの始まりという」

                                     By (Die for the Queen) 1998
 
 第一部 (今も昔も変わらぬは清き乙女の真心か)


花の東京、自由ヶ丘でー
人もうらやむ器量よし

乙女気取りの箱入り娘
うそで固めた人生は

裏と表の使いわーけ
お見合いパーティー仕掛けては

めぼしい男を罠にかーけ
夫(彼)と呼ぶ名に保険金

ひそかに微笑むお嬢さーま

そのー名ーーー、  XXXX、
るり子嬢ーーーー  (ヤレー)

 
 






第二部 ( ひとの定めの行く末は、一寸先も闇の中 )


学びは番町聖瑠璃学園
おつとめXXX、丸の内

おしゃれでシックなOL姿
清純・高貴を売り物に

甘いデートの夢まくらーー
その身にかかる保険金

知るや知らずや手に手を取って
降り立つ先はお台場のー

月は寂しくふたりを照らし
残るなぎさに彼は消え

帰らぬーー、ひととーー
なりにけーる (ヤレー) 
 

のぞきからくりが出てくる小説 江戸川乱歩「押絵と旅する男」

のぞきからくりが出てくる小説 江戸川乱歩「押絵と旅する男」


「新青年」昭和4年(1929)6月号初出、探偵物でも推理作でもない文学作品として、乱歩の一名作たるに恥じない代表作である。

江戸川乱歩全集 第5巻 
押絵と旅する男」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年1月20日初版1刷発行

1994年に映画化された。

浅草観音堂の裏手でのぞきからくり「八百屋お七」を語っている場面が小説に出てくる。  「膝でつっつらついて、眼で知らせ」
また、十二階「凌雲閣」内部や展望台の描写がある。


<あらすじ>
魚津へ蜃気楼を観に行った帰りの汽車の中、二等車内には「私」ともう一人の同乗者しかいなかった。「私」は同乗者の男の持つ風呂敷に興味を持ち、観察する。
男は「私」に近付き、風呂敷の中身を見せる。それは洋装の老人と振袖を着た美少女の押絵細工だった。男は、押絵細工である彼らの「身の上話」を語り始める。



<小説の抜粋>
「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは、一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ。表面はイタリーの技師のバルトンと申すものが設計したことになっていましたがね。まあ考えてごらんなさい。その頃の浅草公園といえば、名物がまず蜘蛛男の見世物、娘剣舞に、玉乗り、源水のコマ廻しに、のぞきからくりなどで、せいぜい変ったところが、お富士さまの作りものに、メーズといって、八陣隠れ杉の見世物ぐらいでございましたからね。そこへあなた、ニョキニョキと、まあとんでもない高い煉瓦造りの塔ができちまったんですから、驚くじゃござんせんか。高さが四十六間と申しますから、一丁に少し足りないぐらいの、べらぼうな高さで、八角型の頂上が唐人の帽子みたいにとんがっていて、ちょっと高台へ登りさえすれば、東京中どこからでも、その赤いお化けが見られたものです。

(中略)
兄が馬車鉄道を降りると、私も人力車を降りて、又テクテクと跡をつける。そうして、行きついた所が、なんと浅草の観音様じゃございませんか。兄は仲店から、お堂の前を素通りして、お堂裏の見世物小屋の間を、人波をかき分ける様にしてさっき申上げた十二階の前まで来ますと、石の門をはいって、お金を払って「凌雲閣」という額の上った入口から、塔の中へ姿を消したじゃあございませんか。まさか兄がこんな所へ、毎日毎日通かよっていようとは、夢にも存じませんので、私はあきれてしまいましたよ。子供心にね、私はその時まだ二十はたちにもなってませんでしたので、兄はこの十二階の化物に魅入みいられたんじゃないかなんて、変なことを考えたものですよ。

 私は十二階へは、父親につれられて、一度昇った切りで、その後行ったことがありませんので、何だか気味が悪い様に思いましたが、兄が昇って行くものですから、仕方がないので、私も、一階位おくれて、あの薄暗い石の段々を昇って行きました。窓も大きくございませんし、煉瓦の壁が厚うござんすので、穴蔵の様に冷々と致しましてね。それに日清戦争の当時ですから、その頃は珍らしかった、戦争の油絵が、一方の壁にずっと懸け並べてあります。まるで狼みたいな、おっそろしい顔をして、吠えながら、突貫している日本兵や、剣つき鉄砲に脇腹をえぐられ、ふき出す血のりを両手で押さえて、顔や唇を紫色にしてもがいている支那兵や、ちょんぎられた辮髪べんぱつの頭が、風船玉の様に空高く飛上っている所や、何とも云えない毒々しい、血みどろの油絵が、窓からの薄暗い光線で、テラテラと光っているのでございますよ。その間を、陰気な石の段々が、蝸牛(かたつむり)の殻からみたいに、上へ上へと際限もなく続いて居ります。本当に変てこれんな気持ちでしたよ。

 頂上は八角形の欄干(らんかん)丈けで、壁のない、見晴らしの廊下になっていましてね、そこへたどりつくと、俄(にわか)にパッと明るくなって、今までの薄暗い道中が長うござんしただけに、びっくりしてしまいます。雲が手の届きそうな低い所にあって、見渡すと、東京中の屋根がごみみたいに、ゴチャゴチャしていて、品川しながわの御台場(おだいば)が、盆石(ぼんせき)の様に見えて居ります。目まいがしそうなのを我慢して、下を覗きますと、観音様(かんのんさま)の御堂だってずっと低い所にありますし、小屋掛けの見世物が、おもちゃの様で、歩いている人間が、頭と足ばかりに見えるのです。

 頂上には、十人余りの見物が一かたまりになっておっかな相な顔をして、ボソボソ小声で囁きながら、品川の海の方を眺めて居りましたが、兄はと見ると、それとは離れた場所に、一人ぼっちで、遠眼鏡を目に当てて、しきりと浅草の境内けいだいを眺め廻して居りました。
(中略)

兄が見当をつけた場所というのは、観音堂の裏手の、大きな松の木が目印で、そこに広い座敷があったと申すのですが、さて、二人でそこへ行って、探してみましても、松の木はちゃんとありますけれど、その近所には、家らしい家もなく、まるで狐につままれたあんばいなのですよ。兄の気の迷いだと思いましたが、しおれ返っている様子が、あんまり気の毒なものですから、気休めに、その辺の掛茶屋などを尋ね廻ってみましたけれども、そんな娘さんの影も形もありません。

 探しているあいだに、兄と別かれ別かれになってしまいましたが、掛茶屋を一巡して、しばらくたって元の松の木の下へ戻って参りますとね、そこにはいろいろな露店が並んで、一軒の覗きからくり屋が、ピシャンピシャンと鞭の音を立てて、商売をしておりましたが、見ますと、その覗きの目がねを、兄が中腰になって、一所懸命のぞいていたじゃございませんか。兄さん何をしていらっしゃる、といって肩をたたきますと、ビックリして振り向きましたが、その時の兄の顔を、私はいまだに忘れることができませんよ。なんと申せばよろしいか、夢を見ているようなとでも申しますか、顔の筋がたるんでしまって、遠いところを見ている眼つきになって、私に話す声さえも、変にうつろに聞こえたのでございます。そして、『お前、私たちが探していた娘さんはこの中にいるよ』と申すのです。

 そういわれたものですから、私も急いでおあしを払って、覗きの目がねをのぞいてみますと、それは八百屋お七の覗きからくりでした。ちょうど吉祥寺の書院で、お七が吉三にしなだれかかっている絵が出ておりました。忘れもしません、からくり屋の夫婦者はしわがれ声を合わせて、鞭で拍子を取りながら『膝でつっつらついて、眼で知らせ』と申す文句を歌っているところでした。ああ、あの『膝でつっつらついて、眼で知らせ』という変な節廻しが、耳についているようでございます。

 のぞき絵の人物は押絵になっておりましたが、その道の名人の作であったのでしょうね。お七の顔の生き生きとしてきれいであったこと。私の眼にさえほんとうに生きているように見えたのですから、兄があんなことを申したのもまったく無理はありません。

兄が申しますには『たとえこの娘さんがこしらえものの押絵だとわかっていても、私はどうもあきらめられない。悲しいことだがあきらめられない。たった一度でいい、私もあの吉三のように、押絵の中の男になって、この娘さんと話がしてみたい』と、ぼんやりとそこに突っ立ったまま、動こうともしないのでございます。

考えて見ますとその覗きからくりの絵が、光線を取る為に上の方が開あけてあるので、それが斜めに十二階の頂上からも見えたものに違いありません。

 その時分には、もう日が暮くれかけて、人足もまばらになり、覗きの前にも、二三人のおかっぱの子供が、未練らしく立去り兼ねて、うろうろしているばかりでした。昼間からどんよりと曇っていたのが、日暮には、今にも一雨来そうに、雲が下って来て、一層圧おさえつけられる様な、気でも狂うのじゃないかと思う様な、いやな天候になって居りました。そして、耳の底にドロドロと太鼓たいこの鳴っている様な音が聞えているのですよ。その中で、兄は、じっと遠くの方を見据えて、いつまでもいつまでも、立ちつくして居りました。その間が、たっぷり一時間はあった様に思われます。

 もうすっかり暮切って、遠くの玉乗りの花瓦斯が、チロチロと美しく輝き出した時分に、兄はハッと目が醒めた様に、突然私の腕を掴つかんで『アア、いいことを思いついた。お前、お頼みだから、この遠眼鏡をさかさにして、大きなガラス玉の方を目に当てて、そこから私を見ておくれでないか』と、変なことを云い出しました。『何故です』って尋ねても、『まあいいから、そうしてお呉くれな』と申して聞かないのでございます。

(中略)

ところが、長い間探し疲れて、元の覗き屋の前へ戻って参った時でした。私はハタとある事に気がついたのです。と申すのは、兄は押絵の娘に恋こがれた余り、魔性の遠眼鏡の力を借りて、自分の身体を押絵の娘と同じ位の大きさに縮めて、ソッと押絵の世界へ忍び込んだのではあるまいかということでした。

そこで、私はまだ店をかたづけないでいた覗き屋に頼みまして、吉祥寺の場を見せて貰いましたが、なんとあなた、案の定、兄は押絵になって、カンテラの光りの中で、吉三の代りに、嬉し相な顔をして、お七を抱きしめていたではありませんか。

 でもね、私は悲しいとは思いませんで、そうして本望ほんもうを達した、兄の仕合せが、涙の出る程嬉しかったものですよ。

プロフィール

tyumeji

Author:tyumeji
日本の大道芸をみたりやったり、日々の活動を報告する。
昔懐かしきあのメロディーや風景を紹介します。

バイオリン演歌 大正演歌 書生節 演歌師 昭和演歌師 平成演歌師  昭和ロマンを楽しむ会(享受昭和浪漫的会) 戦時歌謡

昭和ロマンを楽しむ会 http://peaman.raindrop.jp/syowa-roman/index.htm

書生のアルバイトであったバイオリン演歌・書生節や「のぞきからくり」等の日本の大道芸について調べたりしたことを紹介する。 帝大生ゆめじ

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